
荒木又右衛門の36人斬りで知られる鍵屋の辻の決闘は
伊賀越えの仇討ちとも言われていますが、今回は仇討ちまでの経緯をお話します。
けっこうドロドロしているし、BL的要素もあったりします。
発端は仇討ちの4年前の寛永7年(1630年)7月11日。
岡山に藩主池田忠雄が寵愛する

当時17歳の渡辺源太夫という美少年小姓がおりました。
彼に当時19歳の藩士、河合又五郎が横恋慕して関係を迫ったのですが、
冷たく拒絶されたため逆上して源太夫を殺害してしまいます。
又五郎は藩を出奔して江戸に逃げ
、旗本の安藤家にかくまわれました。実は旗本の安藤家と岡山藩の池田家とは、遡ること50年前の
小牧・長久手の戦い
の時からの遺恨があり、犬猿の仲だったのです。池田家は又五郎の引き渡しを要求したのですが、安藤家は仲間の旗本と結集してこれを拒否し、
旗本対外様大名の争いは天下を二分しかねない険悪な事態となりました

2年後、岡山藩主池田忠雄が疱瘡に倒れ、死の床で「池田家の面目にかけても又五郎を討つように」
との遺言を源太夫の兄渡辺数馬に残して急逝します

その後、池田家は鳥取に国替えとなり、幕府は旗本側にも謹慎と又五郎の江戸追放を決定し、
喧嘩両成敗としました。
当時の武士のルールとして、藩主の命令による仇討ちをしない限り、
藩に出仕することはできないので、渡辺数馬は鳥取には行かず仇討ちの為に脱藩します。
しかし数馬は武士と言っても剣に全く自信がありませんでしたので、
姉の夫である郡山藩剣術指南役の荒木又右衛門に助けを求めました。
こうして荒木又右衛門はかの有名な「鍵屋の辻の決闘」に向かって進んでいくことになるのです。
鍵屋の辻の決闘 その2に続く・・・

、おばあちゃん
に感謝の気持ちを込めて