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いよいよ本日、歴史味噌シリーズ第一弾「荒木又右衛門の仇討ち味噌」





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寛永11年(1634年)11月7日、伊賀上野の「鍵屋の辻の決闘」で見事本懐を遂げた

渡辺数馬荒木又右衛門は、世間で大評判となりましたが、

鳥取藩の池田家と又右衛門の旧主の郡山藩が又右衛門争奪戦を繰り広げ、

数馬と又右衛門は伊賀上野の藤堂家に4年間もとどめ置かれました。


この両藩による4年間の又右衛門争奪戦は、結局、鳥取藩の勝利となりました。


寛永15年8月13日にようやく鳥取に到着した又右衛門ですが、鳥取藩はその17日後に

又右衛門の死去を公表しました(墓の案内板には28日に急死とある)。40歳でした。

この死に関する詳細は一切明らかになっておらず、毒殺説、生存隠匿説など様々な憶測がなされています。


そして、その4年後には渡辺数馬も35歳の若さで亡くなっています。得意げ


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鳥取県玄忠寺 荒木又右衛門墓所



余談ですが・・・

縁起の良いといわれる初夢は「一富士、二鷹、三茄子」などと昔からよく言われますが

その由来は、日本三大仇討ちによるそうです。


「富士」 曽我兄弟が富士山の裾野で工藤祐経を討った。
「鷹」  赤穂浪士事件の元となった浅野家の紋所が鷹の羽を意味する。
「茄子」 荒木又右衛門、渡辺数馬の仇討ちの場所が茄子の産地だっだ。

仇討ちの成功率は百分の一といわれていますが、身を捨てて、親の為、主君の為、藩の為に

多勢に無勢で立ち向かい、大義を成し遂げた快挙に対する民衆の賞賛が念願成就に転じ、

初夢のことわざとなったものと考えられています。




以上、鍵屋の辻の決闘について長文お読みいただきありがとうございました。




いよいよ今週、歴史味噌シリーズ第一弾「荒木又右衛門の仇討ち味噌」
予約を開始します。


キャラクターは人気イラストレーター・漫画家の濱元隆介先生に描いていただきました。

詳しくはブログとツイッターで告知しますのでもうしばらくお待ちください!!
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弟を惨殺された渡辺数馬に仇討ちの助太刀を頼まれた荒木又右衛門でしたが、
この頼みを快く受けて入れ郡山範をを辞して、又五郎の行方を捜すため江戸から東海道を訪ねまわります。


このころ河合又五郎は奈良に潜伏していましたが、危険を察し再び江戸へ逃れようと移動していました。


又右衛門たちは又五郎が伊賀上野に来るという情報をつかみ、「鍵屋の辻」で待ち伏せすることにしました。


又五郎は叔父の河合甚左衛門(元郡山範剣術指南役)、妹の夫の桜井半兵衛(槍の名人)
など10人ほどを護衛に付けていますが、、待ち伏せする側は又右衛門の門弟の岩本孫右衛門
河合武右衛門を入れて4人です。


寛永11年(1634年)11月7日早朝、待ち伏せを知らず鍵屋の辻を通過する又五郎一行に数馬、又右衛門らが切り込み決闘が始まりました。



又右衛門はまず馬上の河合甚左衛門の足を斬り落馬したところを切り伏せます。


槍の名人桜井半兵衛には門弟二人にかからせて得意の槍を渡さないようにさせ、
最後は刀の勝負で又右衛門が打ち倒しました。

又五郎を倒すのは渡辺数馬の役目。しかしこの二人は剣術に慣れていないため延々5時間も
斬り合いました。


やっと数馬が又五郎に傷を負わせたところで、又右衛門がとどめを刺しついに又五郎を
討ち果たすことが出来たのです。


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伊賀越資料館 河合又五郎首洗供養地蔵池



鳥取県玄忠寺境内の荒木又右衛門遺品館には鍵屋の辻の決闘で使用して折れた
又右衛門の大刀が展示してあります。これは河合甚左衛門を斬り倒し、次いで桜井半兵衛を
斬った直後、小者が打ってきた木刀を刀の棟で受け折れたものです。


伊賀上野城下で新陰流の道場を開いていた藤堂家の家臣、戸波又兵衛が
「決闘に新身(出来たばかり)の刀を用い棟で受けておるとは武芸者にあるまじきこと」と
評したので、又右衛門は「ごもっとも至極」と言って数馬を伴い戸波の道場に入門したそうです。


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決闘で折れた又右衛門の大刀

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決闘の時、又右衛門が着用した鎖帷子



鍵屋の辻の決闘 その3に続く・・・