鍵屋の辻の決闘 その2 | 健康食生活

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弟を惨殺された渡辺数馬に仇討ちの助太刀を頼まれた荒木又右衛門でしたが、
この頼みを快く受けて入れ郡山範をを辞して、又五郎の行方を捜すため江戸から東海道を訪ねまわります。


このころ河合又五郎は奈良に潜伏していましたが、危険を察し再び江戸へ逃れようと移動していました。


又右衛門たちは又五郎が伊賀上野に来るという情報をつかみ、「鍵屋の辻」で待ち伏せすることにしました。


又五郎は叔父の河合甚左衛門(元郡山範剣術指南役)、妹の夫の桜井半兵衛(槍の名人)
など10人ほどを護衛に付けていますが、、待ち伏せする側は又右衛門の門弟の岩本孫右衛門
河合武右衛門を入れて4人です。


寛永11年(1634年)11月7日早朝、待ち伏せを知らず鍵屋の辻を通過する又五郎一行に数馬、又右衛門らが切り込み決闘が始まりました。



又右衛門はまず馬上の河合甚左衛門の足を斬り落馬したところを切り伏せます。


槍の名人桜井半兵衛には門弟二人にかからせて得意の槍を渡さないようにさせ、
最後は刀の勝負で又右衛門が打ち倒しました。

又五郎を倒すのは渡辺数馬の役目。しかしこの二人は剣術に慣れていないため延々5時間も
斬り合いました。


やっと数馬が又五郎に傷を負わせたところで、又右衛門がとどめを刺しついに又五郎を
討ち果たすことが出来たのです。


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伊賀越資料館 河合又五郎首洗供養地蔵池



鳥取県玄忠寺境内の荒木又右衛門遺品館には鍵屋の辻の決闘で使用して折れた
又右衛門の大刀が展示してあります。これは河合甚左衛門を斬り倒し、次いで桜井半兵衛を
斬った直後、小者が打ってきた木刀を刀の棟で受け折れたものです。


伊賀上野城下で新陰流の道場を開いていた藤堂家の家臣、戸波又兵衛が
「決闘に新身(出来たばかり)の刀を用い棟で受けておるとは武芸者にあるまじきこと」と
評したので、又右衛門は「ごもっとも至極」と言って数馬を伴い戸波の道場に入門したそうです。


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決闘で折れた又右衛門の大刀

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決闘の時、又右衛門が着用した鎖帷子



鍵屋の辻の決闘 その3に続く・・・