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2016年11〜12月にかけて、MSI検査をするためにS国際病院の遺伝子センターで説明を受けた時のことです。
その時に説明のプリントをもらったのですが、その表紙がこれです。
「ほとんどの場合、偶然なってしまうだけです」
と言われました。
「あなたはお子さんが2人いて、妊婦で、そんなめちゃくちゃな食生活なんてしてないでしょ。食事のせいなんかじゃないし、たまたまなってしまっただけです。」
と。
大腸がんは食生活のせいだという人が多いですが、少なくとも私の場合は全く当てはまらないというのは当たっていました。
●私はアルコール脱脂綿も禁止にしてもらってるくらい、アルコールはだめなので、当然お酒も一滴も飲みません。
●毎日子供たちにも食べさせる、味の濃すぎない、野菜もたくさんの食事を自炊しています。
●牛肉は親がアレルギーなので、元から私もほぼ食べません。
●昔も今も魚、豚肉、鶏肉がメインです。
●喫煙も一切しません。
だからこそ、若年で右側結腸に多いリンチ症候群の可能性もあったので、MSI検査をしましたが、前々回書いたように全て陰性だったわけです。
たまたまと言われればそうなのかもしれませんが、私は
①精神的ストレス
②物理的ストレス(睡眠不足や過酷な疲労)
③頑張り屋、些細なことが気になったり怒りやすい
この順番で、このような状態が続くと発症しやすいと自分では気づきました。
私は大学時代も建築学科で徹夜で図面や模型を制作することが多く、常に寝不足、
またサークルでも歌のパートリーダーをまかされてしまって、徹夜で模型と図面を完成させて満員電車で学校へ持っていき、1限から最後の授業まで全てみっちり入っている授業をやったあと、サークルもパトリなので休むわけに行かず、徹夜で全授業後にそのまま後輩の練習も夜遅くまで見たり、ということが続きました。
大学卒業後、建築設計の仕事をしながら、二級建築士、商業施設士、福祉住環境コーディネーター2級を取得、休日出勤や毎晩遅くまで仕事に追われていました。
健診ではいつも低血圧でした。
結婚後も会社の後や休日は資格取得の学校に通い、
26歳の時に一級建築士を取得。
その時も毎週徹夜で図面を仕上げていました。
ちょうどその頃会社ではスカイツリー設計にも少し携わることができたのは本当に嬉しいことです。
妊娠を機に、いろいろ考えた末、子供と一緒にいたいと思い、思い切って仕事をやめました。
でも家でできることをしたいと、ハンドメイドの作品を作るようになり、それでデザインフェスタをはじめ様々なイベントに出展し、作品集を制作したり。
そんな中、右下腹部がたまに痛いので、婦人科や内科エコーをやるも、何も見つからず。近所のクリニックで、若いから大腸内視鏡は無しでいいでしょうと言われる。
そのうち痛みが無くなる。
2人目出産の1週間後、我慢できないほどの下腹部痛で夜中に病院へ行き診てもらうも原因不明。
これもすぐなおった。
2人目出産の1年2ケ月後くらいに健康診断に行った。
貧血を指摘されるも、大して低い数値じゃない、授乳中だからかな程度の考えで終わってしまい、疲れやすいのにもいつのまにか慣れてしまっていました。
まさか貧血が体のどこかから出血しているなんて思い付きもしなかった。鉄分不足とか授乳のせいとか軽い考えだった。
この時が盲腸癌発覚の約1年2ケ月前。
この時もしも健康診断の先生が、貧血を甘くみてはいけない、体のどこかから出血している可能性もある、と言ってくれていれば、もっと早く見つけられたなとも思う。
下腹部痛があれば、子宮関係だと思っていたし、大腸に何かあるとは全く考えが及ばなかった。
知識が無いというのは恐ろしいことです。
2人目も産まれて、もうハンドメイドの活動もできないなと思っていましたが、徐々に再開して、最終的には全国チェーンの手芸店を経営している会社の専属講師として契約してもらうまでになりました。
建築とは全く違う世界で、大人から子供まで一緒に大きなイベントでワークショップをまかされたり、とてもやりがいもあって楽しかった。
でも子供を寝かしつけた後に作業したりしていたので、夜中に作業したりかなり無理していました。
そんな中、建築の仕事の方もこれ以上ブランクが開くのも良くないなと思い始め、建築事務所の面接を受けて、ありがたいことに在宅で建築の仕事ができるという会社に受かっていました。
子供の面倒を見ながら、平日は家で建築の仕事と、ハンドメイドの仕事の準備、休日はハンドメイドのワークショップなどの仕事、と
もう限界に近いくらい詰め込んだスケジュールでした。
そんな中、3人目妊娠、元から子供は3人欲しかったので計画どおりといったところでしたが、正直生活がどうなるのか不安でした。
34歳で3人目妊娠中、11,5cmもの盲腸癌が発覚。
私は3人目の子が、このままの無理な生き方ではだめだよ、と教えに来てくれたとしか思えません。
実際に、子宮が大きくなったことで盲腸癌を圧して気づかせてくれた。
当時5歳だった一番上の子は、私が3人目を妊娠する前から、「ママは3人目を産むよ」と何故か断定していました。
病気後は、適度に精神的にも物理的にも少しは余裕のある生き方で、頑張り過ぎてコン詰め過ぎないように気をつけています。
とは言っても、妊娠したまま開腹手術後、抗がん剤治療しながら6ケ月後にそのまま出産し、すぐ抗がん剤治療しながら0歳2歳5歳の育児をしながら、幼稚園や習い事も皆勤賞、という・・・またまた無理してますが、、、
でも自分が頑張りすぎたり無理しすぎる性格で良かったなと唯一思えたのは、周りから止められても3人目をそのまま産む決意をして、無事に産み、元気に育ち、その子と今もう会話ができることです。
あの時あきらめなくて良かったと本当に思います。
物理的には忙しい毎日ですが、精神的にはゆとりのある生活になるように気をつけています。
少しのことは気にしないで生きるというのがなかなか当たり前にできないのですが、
子育てでも仕事でも常に心配や悩みも付きまといますが、とにかく普通に平然と生きることができるようになればと考えています。
以前はヘモグロビン6,7の状態で妊婦で二人の育児、幼稚園送り迎えや習い事、休日ワークショップ講師をこなし、それでもそこまで疲れを感じない身体になっていました。
それは起爆装置のような11,5cmもの癌が、自転車操業のようになんとか作り出したエネルギーで生きていたのだと思います。
今は、ヘモグロビン13,5以上ありますが、普通の人と同じように疲れを感じるようになりました。これが普通なんだなと思います。
食生活なんかで癌になったわけではない。
生き方の問題だというのは、私にはほんとに当てはまっています。
いつもの検索検索で自分でいろいろ調べて、免疫力を上げるために摂取した方がいいなというものや、やった方がいいことは続けてますが、