砂場 -12ページ目

砂場

本の感想と日記。些細なことを忘れないように記す。

猫の客 (河出文庫 ひ 7-1)
平出 隆
河出書房新社
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借家住まいの「客」である自分。そこに隣家から遊びにくる猫もまた「客」である。主人公夫婦は猫をまるで自分の子供のように可愛がり、また自分たちも大家さんから我が子のように信頼され仲良くしてもらう。だが、それは「客」という一時的な関係でしかない。その付かず離れづの距離感が生みだす心地よさが、なすすべもなく「切なさ/刹那さ」へと裏返しになっていく。

僕の実家もいつも猫を飼っていた。母は動物が好きで犬も猫もよく拾ってきた。いつも犬は僕の姿をみると尻尾を振って吠え立て、いつも猫は塀の上からじっと僕を見ていた。母はよく「猫は家につく、犬は人につく」と言っていた。犬を置いて引っ越したら、飼い主を探して引越し先までやってきた犬の話と、猫を連れて引っ越していくと猫は元の家に勝手に帰っていくという話を何度も聞かされた。

でも、猫は「家」ではなく「土地」についているのだろうと思う。不変である「土地」と消えていく「屋敷」。何十年も生きる「人間」から見れば、「猫」の生涯もまた刹那的だ。うつろいゆくものは、なぜこんなにもいとおしいのか。
芽むしり仔撃ち (新潮文庫)
大江 健三郎
新潮社
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疫病が流行する村に取り残された、感化院の少年たちの数日間。理不尽なまでに自由を奪われていた少年たちが、大人に見捨てられることによって自由を得る。

幸福と不幸の激しい落差。強者と弱者の圧倒的な対比。本能的に選び取られる友情と裏切り。薄皮一枚で隣り合った生と死。ここには大人と子供の狭間に位置する少年ゆえの喜びと苦しみがあり、少年ゆえの無邪気さと純粋さ、そして無力さが切実に描かれる。

印象的なのが、それらにまとわりついてくる、泥、汗、血、涙、そのぬるりとした感触が本を持つ手から伝わってくる。身体的にも感情的にも極限にまで追い詰められていく主人公。その生々しい人間の姿を徹底的に描きつつ、そのどこかフィクショナルな状況は、同時に寓話的な世界観をつくりあげていく。

最近はヌルイ小説ばかり読んでいたので、久しぶりに小説というものが真剣勝負だと思い知らされた。気を抜くと、物語に飲み込まれてしまいそうで。読み終えてひどく疲れている自分に気づいた。けれど、また大江健三郎の本を読みたいと思う。
2010年3月発売の気になる単行本を「砂場書店」にて更新。いつになく海外小説が充実していて、どれを読むかとても悩む。積読本も大量にあるわけだが、やっぱり新刊が気になる。

火山の下 (EXLIBRIS CLASSICS) (エクス・リブリス・クラシックス)
マルカム・ラウリー
白水社
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そんな中でも特に評判がいいのがこの作品。ガルシア=マルケスやら大江健三郎など大作家たちが愛読するという超傑作。これは、その待望の新訳というわけで、原作の面白さは保証付のうえに読みやすくなったとなれば、これを読まないわけにはいかない。
数えずの井戸
数えずの井戸
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京極 夏彦
中央公論新社
売り上げランキング: 1300

江戸時代の有名な怪談を超常現象抜きに語り直すシリーズ。京極夏彦は色々なシリーズを書いているが、僕はこれが一番好きで必ず読んでいる。今回は番町皿屋敷。本来は、家宝の皿を割ってしまったため主人に殺され井戸に投げ込まれた女中の幽霊が、夜な夜な井戸から現れて「一枚、二枚…」と数を数えて、「……一枚足りない」とすすり泣く、という怪談話。これが京極夏彦の手にかかると、悲哀に満ちた物狂おしい事件へと変貌する。

この物語では、人が生きていう上で「数える」ことの意味が問い直される。人はお金を数え、名誉を数え、幸せを数えて生きているということ。「数える」とは自分自身を見つめることであり、それは自分と他人を比べることでもある。今の自分が満たされているか、人は数えることによって「足りる/足りない」ものを見定めていく。

だが、数えなくても直感的に「足りる/足りない」が分かるもいる。そもそも数えられない人もいる。数えることができても、それが「足りる/足りない」のは分からない人もいる。そして、足りないと思った時の反応も人それぞれだ。どうしても欲しいと思う人。それは元から無いのだと諦める人。壊してしまえという人。足りないことに気付かない人。

ここで描かれるのは、そんな様々な「数える」ことを巡る人間を描いた群像劇。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。僕らは毎日、何かを数えて生きている。番町皿屋敷という怪談話がなぜこんなに怖いのか。それは理不尽に殺された女中の恨みなのか。皿一枚のために女中を殺す男の冷酷さか。この物語の恐怖は違う。それは、ただ「足りない」ことの恐ろしさだ。誰もが満ち足りることがなく、何かが欠けていて、そこにぽっかりと穴があいている。その不安が生み出す闇の深さが、全てを狂わせていく。

この物語を読むと、迂闊に数を数えられなくなる。何かを数えて、幸せになどなれない。行き着く先は「足りない」という闇の中。

テレビなどでも取り上げられ今年を代表するベストセラーになりそうな勢いの本書。女子高生がドラッカーの本を参考に伸び悩む高校野球部を甲子園へと導いていく物語になっている。ドラッカーは経営の神様と呼ばれ、現在活躍する経営者&ビジネスマンにその支持者は多い。その思想が分かりやすく実践され成功していく様子はとても痛快だ。

ただ、35歳になる一応社会人の僕にとっては、ここで描かれるドラッガーの教えに目新しいものはない。著書を読んだことはないが、そのカリスマ性ゆえに多大な影響力を持つドラッガー的な視点というものは、ビジネス雑誌やビジネス書をそれなりにチェックしていれば知識としては入ってくる。

だが、それを自分の状況に照らし合わせてドラッカー的に判断できるかといえば、できた試しがない。この本が秀逸なのは、ドラッカーの理論を無理矢理に野球部の世界に置き換える過程にあるのだろう。この試行錯誤の力技こそ学ぶべきなのだ、と知識だけで実践が伴わない僕としてはしみじみと思う。