『数えずの井戸』 京極夏彦/中央公論新社 | 砂場

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本の感想と日記。些細なことを忘れないように記す。

数えずの井戸
数えずの井戸
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京極 夏彦
中央公論新社
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江戸時代の有名な怪談を超常現象抜きに語り直すシリーズ。京極夏彦は色々なシリーズを書いているが、僕はこれが一番好きで必ず読んでいる。今回は番町皿屋敷。本来は、家宝の皿を割ってしまったため主人に殺され井戸に投げ込まれた女中の幽霊が、夜な夜な井戸から現れて「一枚、二枚…」と数を数えて、「……一枚足りない」とすすり泣く、という怪談話。これが京極夏彦の手にかかると、悲哀に満ちた物狂おしい事件へと変貌する。

この物語では、人が生きていう上で「数える」ことの意味が問い直される。人はお金を数え、名誉を数え、幸せを数えて生きているということ。「数える」とは自分自身を見つめることであり、それは自分と他人を比べることでもある。今の自分が満たされているか、人は数えることによって「足りる/足りない」ものを見定めていく。

だが、数えなくても直感的に「足りる/足りない」が分かるもいる。そもそも数えられない人もいる。数えることができても、それが「足りる/足りない」のは分からない人もいる。そして、足りないと思った時の反応も人それぞれだ。どうしても欲しいと思う人。それは元から無いのだと諦める人。壊してしまえという人。足りないことに気付かない人。

ここで描かれるのは、そんな様々な「数える」ことを巡る人間を描いた群像劇。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。僕らは毎日、何かを数えて生きている。番町皿屋敷という怪談話がなぜこんなに怖いのか。それは理不尽に殺された女中の恨みなのか。皿一枚のために女中を殺す男の冷酷さか。この物語の恐怖は違う。それは、ただ「足りない」ことの恐ろしさだ。誰もが満ち足りることがなく、何かが欠けていて、そこにぽっかりと穴があいている。その不安が生み出す闇の深さが、全てを狂わせていく。

この物語を読むと、迂闊に数を数えられなくなる。何かを数えて、幸せになどなれない。行き着く先は「足りない」という闇の中。