【中編】四団体になっても……… | ボクシングライフW

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趣味と言うよりライフワークになっているボクシングについてとりとめもなく感じたままに

前回の続き。


1992年、ペレストロイカ軍団の1人、勇利アルバチャコフがムアンチャイ・キティカセムをKOして旧ソ連初の世界王者になった。



続いてオルズベック・ナザロフも後を続く。
これは日本では慶事だったが………西側諸国の悪夢の始まりとなった。

共産圏のプロボクサーは昔からいた。古くはキッド・キャビラン、ホセ・ナポレス、日本に伝説を残したマヌエル・アルメンテロス(映像が手に入らない………泣)等、キューバの亡命選手が東側のボクサーの強さを知らしめた。しかし、それは少数に過ぎなかった。

そう、プロボクシングは西側のスポーツだった。

それがソビエト崩壊と共に東側の優れたボクサーがプロの世界を席巻する。プロ入りする東側諸国のボクサーは西側とは違いアマチュアエリートばかり。エリートアマが大量にプロになる………これは西側のトッププロからすれば大災厄。

そして思う。

テオフィロ・ステベンソンがプロ入りしていたらモハメド・アリを筆頭に盛り上がった第一次ヘビー級黄金時代は存在しただろうか?

ステベンソンはオリンピック三連覇にして、史上最高のボクサーとして名高い。

フェリックス・サボンがプロ入りしていたら1990年代の第二次ヘビー級黄金時代(私の造語)は存在しただろうか?

サボンもオリンピック三連覇。デビュー戦でホリフィールドに勝てるとまで言われた。

後に訪れるクリチコ兄弟によるヘビー級冬の時代がもっと早くに訪れていたかもしれない。

※注  ドイツでは盛り上がっていたのでクリチコ兄弟をアメリカや日本は「不人気王者」の烙印を押していたが、冬の時代はあくまでアメリカの話。

続く。