かつて教壇に立っていた時に、漠然と特別支援学校の教員免許状を取得を目指していた。2〜3年かけて、「教育委員会免許状認定講習」で必要な単位を取得していた。しかし、熊本へ来てドタバタしている中で、免許取得の手続きを忘れていた。

 手続きを見ると、「実務経験証明書」と「勤務成績書」が必要であった。「あ〜あ、退職する前に書類お願いしておけばなぁ」と反省。「年度途中で辞めたし、対応してくれるかな。」と思いつつ、

教育委員会へ書類を送付、、、

 

退職を巡る悩みに日々を費やしていたある時期、妻の口から予期せぬ一言が飛び出した。「あれ、ちょっと

 

はげていない?」その瞬間、私の心は凍りついた。日々の重圧が、想像もしなかった形で現れてしまったの

 

だ。鏡に映る自分を見つめ、10円玉大の薄毛を発見。これが「噂の10円ハゲか」と、ある種の諦めと共に、

 

自分でも気づかぬうちの変化に驚愕した。

 

美容室へ行った時、「確かに…だけど、気にならない範囲ですよ」と慰められたが、心のどこかで不安が渦

 

巻いていた。

 

「どのくらいで治るのか?もう治らないのか?」 不安が大きかった。

 

私は6週間に一度の美容室に行っていたが、その都度、自分の頭皮の状態を確認した。

 

初めての治療から数回目の訪問時には、なかなか改善の兆しが見えなかった。治療法には個人差があると言

 

われていたが、不安が募るばかりであった。

 

この一連の出来事は、ただの薄毛の治療を超えていた。それは、人生の不確実性と向き合い、時には自分自

 

身を見失いそうになりながらも、前を向いて歩み続ける勇気を私に与えてくれた。

 

熊本へ行って、3ヶ月が過ぎた時、美容室に行った。その時、「もう大丈夫だよ。」と言われた時、

 

ほっと胸を下ろしたのであった。

 

退職のタイミングに悩んでいたある日、妻から意外な一言が投げかけられた。

 

「あれ、ちょっとはげていない?」その言葉に、言葉を失った。

 

日々の不安やストレスが、予想外の形で現れてしまったのだ。慌てて鏡を見たとき、確かに10円玉くらいの

 

部分に髪の毛がなかった。いわゆる10円ハゲだった。その部分を必死に探したが、やはり髪の毛はなかっ

 

た。以前、理容室に行った時も、「確かに…だけど、目立たないよ」と言われたことを思い出した。

 

この出来事で、自分が気づかないうちに、それほどまでにストレスがかかっていたことを実感した。自分の

 

身体が、内面のストレスをこんな形で訴えていたとは、驚きであった。

一週間が経過した頃、校長先生からの予期せぬ連絡が私の日常に静かに滑り込んできた。

 

学校で私が辞めた後の代わりの英語教師について、校長先生は「なかなか英語教師が見つからない」という事実を伝えてきた。このニュースを聞いた瞬間、私の心の中で「予想通りだ」という感覚が閃いた。11月に退職をするというのは、教育界の現状を考えれば、難しいことは理解できる。

 

時間が経つにつれ、この問題は単なる問題ではなく、学校全体、そして特に英語を学ぶ生徒たちにとって大きな影響を与えることが明らかになってきた。校長先生は解決策を模索していたが、適切な候補者が見つからない中での苦労は想像以上に大きかった。

 

ラッキーな方に、代わりの教員が見つかったという連絡があった。「ほっと瞬間であった。」

しかし、その代わりの先生が、勤務校に勤務できるのは3週間後。しかし、こちらは大幅に遅らせても

2週間であった。

 

校長先生と相談の上、残り2週間で話がまとまった。

その時、いつもの美容室へ行くと、、、、。

 

熊本でアパートを見つけた後、長野に戻り、退職の手続きに取り組んだ。

 

その最中、校長からの思いがけない話があった。「次の教員が見つかってい

 

ない。辞めるのを少し待ってほしい」と言われた。この言葉は、私の退職へ

 

の決意と学校への責任感の間で心を揺らがせた。退職を進めるべきか、それ

 

とも学校の話に応えるべきか、悩んだ。

 

私は未来への期待と現実の責任感を天秤にかけた。長年務めた学校への愛着

 

と生徒たちへの思いが、退職の決断を一層複雑にした。

 

しかし、この瞬間の選択が、私の新しい人生への道を決めることになる。最

 

終的に、自分の価値観と未来への希望を基に決断を下し、新たな人生の章へ

 

と踏み出す勇気を持つことにした。

 

引越しを控えたある晴れやかな朝。

 

 

 

その日の朝の便で熊本空港へ、Aさんの温かい支援から始まった。彼は私のために、心を込めて3つのアパートを選んでくれていた。その中から、彼の家の近くにあるアパートを選ぶことに決めた時、私の心は希望でいっぱいになった。この選択は、新しい街での生活に、すでに一筋の光を灯していた。

 

そして、そこからの毎日が、まるで小さな冒険のように思えた。WING SCHOOLへと続く道を、江津湖の沿いを歩いてみることにしたあの日。風は湖面を優しく撫で、陽光は水面をキラキラと輝かせていた。私はそこで立ち止まり、この美しい景色を胸に刻み込むとともに、新しい毎日への夢を膨らませた。

 

想像してみた。朝の光が湖面に反射して、キラキラと教室に差し込む様子を。そして、その光が私の新しいページを照らすのだと。友人Aさんの近くで新生活を始める安心感、そして江津湖の美しい風景が私を迎えてくれること。これらすべてが、私の日々を明るく照らしてくれる。

 

この物語は、挑戦と発見、そして成長の物語。熊本市での新生活が、私にどんな物語をもたらすのか、心から楽しみにしている。希望に満ちたスタート、そして友情と美しい自然に支えられながら、私は新しい章を歩み始めるのだった。

ちょっと今回は番外編。

 

現在、働いている熊本・WING SCHOOLがNHK熊本の長期取材を受けました。

 

NHK熊本で、本放送、再放送の2回放送され、そして、NHKプラスで2週間限定で

 

視聴できることになりました。

 

「お子さんが学校に足がむかなっくなった。」「自分の子どもにあった教育を受けさせた

 

い。」って、思っている方、選択肢の一つにWING SCHOOLはいかがですか?

https://wingschool.jp

 

WING SCHOOLの子ども達の笑顔や様子をご覧ください。

 

https://plus.nhk.jp/watch/st/430_g1_2022122547950?playlist_id=4a908930-ab23-48d1-bd9d-2e33a9fcf99e&fbclid=IwAR2ax2zVLqjSvTfnsyTJZynJ4ePcyrKyB_bCvpeb4wh7pEYeHWAZYc1Alg0

 

 

 

 もらった退職金は1000〜2000万円の間ということで、ちょっと話を濁しましたが、、、。

 

さて、退職金だけかというと、、、

 

他県はわかりませんが、長野県の教員をしていると、給料から天引きされるようになって

 

います。

 

 例えば、税金関係は当然として、生命保険代、銀行の積み立て代(財経)、

 

コープ(coop)、6団体ぐらいあったかな。

 

 それらの団体の中から、お金も返ってきました。それは数万円。

 

 

そして、10月の下旬に退職をしたので、11月の給料はどうなるのかなと、

 

ワクワク・ドキドキしていたら、なんと額面で10万円ちょっと、、、。

 

額面で40~50万円だったのに、、、。

 

「半月働いたからせめて、今までの半分ぐらいは欲しい・・。」と思っていましたが、

 

残念でした。

 

残るは、ボーナスの金額は、、、。

 

 

長野県の中学校教師が50歳で退職したら,

いくらになるのか。

 

早期退職者制度がある一方で、

 

それじゃ、私の退職金はいくらになるのかが気になるところ。

 

退職した後の生活にも直結してきます。

 

退職金は、勤続年数等で計算式があり、事務の先生に聞くとわかります。

 

当然、長く勤務した方が退職金は多いわけですが、

 

①定年まで勤める場合と、②個人的理由で辞める時とでは、当然違う訳です。

 

私の場合は、②の場合ですから、当然、数百万円の違いがあります。

 

(詳細は忘れてしまいましたが、、、)

 

 

ただ、長野県の場合は、大学を卒業してから、60歳定年をした場合、

 

退職する先生方からの話だと、約2,000万円だと言っていました。

 

(これは伝聞ですが、、、)

 

1度、40代後半で退職しようと思った時がありましたが、1000万円は

 

いきませんでした。

 

ということで、約1000~2000万円の間の金額をもらいました。

 

退職金にもらって、ついに退職です。

 

 

 

 

 

 

 

前回は、退職届を出したところまで。

 

朝に退職したいことを伝えた。さあ、文化祭。コロナ禍での文化祭だったので、

 

体育館に全員一同に集まったりしなかったが、最大限の文化祭を終えた。

 

午前中も「終わったなぁ」と思っていると、校長先生よりお話が、、、。

 

 

 

 もう一度、意思確認。

 

 

年度途中の退職は迷惑をかけるのは重々承知である。本当にここは心苦しい。

 

長野県では、50代になると早期退職制度があり、退職金が700万円プラスされる

 

制度がある。3月までは働いて、その制度を使うのはどうかとのお話。

 

 しかし、人数制限があるので、必ずそれを受けることができるのか、わからない。

 

それは断った。えーん

 

 そして、次の退職の準備を進めていく。

 

 

  しかし、乗り越えられない壁はまだまだあった。