少し前に小学生が修学旅行から帰ってきた。

 

子ども達は、修学旅行の前より大人びて見えた。

 

自分たちで行き先を考え、自分達で予約し、自分たちでお金を稼いでいく。

 

私自身、小学生の頃には考えられないことを子ども達はやってのける。

 

大人が機会を与えていないだけなのか。

 

 

今回の修学旅行は、広島へのスキー。

 

広島のスキーに決まったのにも、紆余曲折あったようだ。

 

修学旅行の通して、多くのことを体験した子ども達。

 

どんな様子だった聞いたことを次回へ。

 

 

 

 

「英語塾」の話はちょっと置いて、勤務しているオルタナティブ・スクールでの話

 

ところで、皆さん。

 

修学旅行って、誰が計画をするのか?

 

 

 

修学旅行の実施するには、

 

①行先 ②時期 ③期間 ④金額 

 

これからを決めていく必要があります。

 

 

 

 

私が公立学校に勤務していた頃は、

 

①行先

学年会の先生方の構成により決定!

 

京都・奈良 か 京都・奈良・広島。

 

②時期

長野県では、ほとんど4月中旬。

 

③期間

2泊3日

 

④金額

中学1年生の頃に、3社見積もりで、決まる。

 

ここまで、全てが教員の仕事である。

 

①〜④の中に「生徒が〜を決める」という言葉はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

容赦のない指摘が、メーリングリストに山のようにやってきた。

 

・笑顔がない。

 

・声のトーンが低い。

 

・姿勢が悪い。

 

・子ども達全体を見ていない。

 

・活動と活動の間に、変な間がある。

 

指摘は更に続く、、、

 

ちょっとしたショックを受けつつも(^^;

 

次が、キツかった。

 

 

他の先生方の授業を指摘する。

 

自分のできていないことでも、指摘をしなくてはならかたっか。

 

つら!

 

お互いの授業力向上のため、心を鬼にして取り組んだ!

 

 

善さんとの出会いから生活が変わった。

 

善さんが中心となり、全国の志を持った先生方で「英語塾」という勉強会がj始まった。

 

内容は、授業開始の5分間のビデオを撮り、お互いの授業を見合い、コメントを述べる。

 

ただし、コメントは誉めない。訂正箇所をメーリングリストで発信し合う。

 

 

そのために、自分の授業をビデオに撮影。

 

仲間に見せる前に、自分自身を授業を見た。

 

愕然とした。

 

ひど、、、。

 

もう一度、ビデオを撮り直して、ちょっとでも上手くできた様子を見せたいと

 

思いがけない欲が出た。

 

締切が迫り、そのままへ。

一緒にやる人はいませんか?」が変えた私の学び

 

 今、熊本市にあるおルタナティブスクールWING SCHOOLに勤務している。そこの校長先生は田上善浩氏。ニックーネーム:善さん。しばらくの間、WING SCHOOLや善さんとの出会いを書いていく。

 

TOSS中学の仙台セミナー。善さんはセミナー講師。これまで抱いていた授業づくりの悩みや指導技術への不安が、彼の言葉によって次々と打ち消されていくように感じたのだ。とりわけ心に残ったのが、「一緒にやる人はいませんか?」という呼びかけだった。

 

 その当時、英語教師のグループを作り、週に1回、授業の始め5分間をビデオに撮り、グループ内で批評し合う。褒めることは禁止。「英語の授業をもっと上手くなりたい」私の中に眠っていたやる気が一気に引き出され、セミナーが終わる頃には「自分も動き出さなくては」という強い思いに変わっていた。

 

 そして、セミナー終了後、おそるおそる周囲に声をかけてみると「一緒に勉強させて下さい。」と善さんにお願いをした。快諾をしてくれた。これが自分と善さんとの出会いとなった。

 

 この出会いが私の人生の分岐点となった!

 

 

 かつて教壇に立っていた時に、漠然と特別支援学校の教員免許状を取得を目指していた。2〜3年かけて、「教育委員会免許状認定講習」で必要な単位を取得していた。しかし、熊本へ来てドタバタしている中で、免許取得の手続きを忘れていた。

 手続きを見ると、「実務経験証明書」と「勤務成績書」が必要であった。「あ〜あ、退職する前に書類お願いしておけばなぁ」と反省。「年度途中で辞めたし、対応してくれるかな。」と思いつつ、

教育委員会へ書類を送付、、、

 

退職を巡る悩みに日々を費やしていたある時期、妻の口から予期せぬ一言が飛び出した。「あれ、ちょっと

 

はげていない?」その瞬間、私の心は凍りついた。日々の重圧が、想像もしなかった形で現れてしまったの

 

だ。鏡に映る自分を見つめ、10円玉大の薄毛を発見。これが「噂の10円ハゲか」と、ある種の諦めと共に、

 

自分でも気づかぬうちの変化に驚愕した。

 

美容室へ行った時、「確かに…だけど、気にならない範囲ですよ」と慰められたが、心のどこかで不安が渦

 

巻いていた。

 

「どのくらいで治るのか?もう治らないのか?」 不安が大きかった。

 

私は6週間に一度の美容室に行っていたが、その都度、自分の頭皮の状態を確認した。

 

初めての治療から数回目の訪問時には、なかなか改善の兆しが見えなかった。治療法には個人差があると言

 

われていたが、不安が募るばかりであった。

 

この一連の出来事は、ただの薄毛の治療を超えていた。それは、人生の不確実性と向き合い、時には自分自

 

身を見失いそうになりながらも、前を向いて歩み続ける勇気を私に与えてくれた。

 

熊本へ行って、3ヶ月が過ぎた時、美容室に行った。その時、「もう大丈夫だよ。」と言われた時、

 

ほっと胸を下ろしたのであった。

 

退職のタイミングに悩んでいたある日、妻から意外な一言が投げかけられた。

 

「あれ、ちょっとはげていない?」その言葉に、言葉を失った。

 

日々の不安やストレスが、予想外の形で現れてしまったのだ。慌てて鏡を見たとき、確かに10円玉くらいの

 

部分に髪の毛がなかった。いわゆる10円ハゲだった。その部分を必死に探したが、やはり髪の毛はなかっ

 

た。以前、理容室に行った時も、「確かに…だけど、目立たないよ」と言われたことを思い出した。

 

この出来事で、自分が気づかないうちに、それほどまでにストレスがかかっていたことを実感した。自分の

 

身体が、内面のストレスをこんな形で訴えていたとは、驚きであった。

一週間が経過した頃、校長先生からの予期せぬ連絡が私の日常に静かに滑り込んできた。

 

学校で私が辞めた後の代わりの英語教師について、校長先生は「なかなか英語教師が見つからない」という事実を伝えてきた。このニュースを聞いた瞬間、私の心の中で「予想通りだ」という感覚が閃いた。11月に退職をするというのは、教育界の現状を考えれば、難しいことは理解できる。

 

時間が経つにつれ、この問題は単なる問題ではなく、学校全体、そして特に英語を学ぶ生徒たちにとって大きな影響を与えることが明らかになってきた。校長先生は解決策を模索していたが、適切な候補者が見つからない中での苦労は想像以上に大きかった。

 

ラッキーな方に、代わりの教員が見つかったという連絡があった。「ほっと瞬間であった。」

しかし、その代わりの先生が、勤務校に勤務できるのは3週間後。しかし、こちらは大幅に遅らせても

2週間であった。

 

校長先生と相談の上、残り2週間で話がまとまった。

その時、いつもの美容室へ行くと、、、、。

 

熊本でアパートを見つけた後、長野に戻り、退職の手続きに取り組んだ。

 

その最中、校長からの思いがけない話があった。「次の教員が見つかってい

 

ない。辞めるのを少し待ってほしい」と言われた。この言葉は、私の退職へ

 

の決意と学校への責任感の間で心を揺らがせた。退職を進めるべきか、それ

 

とも学校の話に応えるべきか、悩んだ。

 

私は未来への期待と現実の責任感を天秤にかけた。長年務めた学校への愛着

 

と生徒たちへの思いが、退職の決断を一層複雑にした。

 

しかし、この瞬間の選択が、私の新しい人生への道を決めることになる。最

 

終的に、自分の価値観と未来への希望を基に決断を下し、新たな人生の章へ

 

と踏み出す勇気を持つことにした。