ついに、辞職届を出す日の朝がやってきた。

 

当日は文化祭。タイミングが悪いなぁ、、、。

 

朝、校長室へ!

 

校長先生に朝の挨拶をして、辞職届を出した。

 

そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは、いいから。」と言われた。

 

「え、いらなかったのか?」と思い、スーツのポケットに入れた。

 

校長先生から理由等を聞かれた。熊本への思いを告げた。

 

そして、私の初めて書いた辞職届は家のゴミ箱の中へ、、、。えーん

 

家族の次は、、、年度途中で辞めるって・・・!

 

なんとか家族の同意を得て、次のハードルは学校長に伝えること。

 

どうやって伝えるのか、辞職をした人を周りに見たことがない。退職の方はいるが、

 

辞職となると、、、。

 

ここで伝えておくが、私が年度末の3月で辞めるのはそれほど大したことじゃないが、

 

私が辞職をしようとしたのは、年度途中の9月下旬。

 

この時期に私が辞めると、校長先生は私の代理を探さなければならない。現在、

 

65歳まで働く教員が多いので、なかなか代わりがいないのが実情。校長先生には

 

「迷惑をかけて申し訳ないなぁ。」と思いながら、どうやって伝えるべきかを考える。

 

そして、やはり辞職願を出そうということで、人生初めて辞職願を書こうと決意を

 

する。

 

 

辞表の書き方って・・・?

 

それじゃ、「書こう」とするがどんな形式なのかわからない。

 

そこで、ネットで検索する。「辞職願い」、「辞職届」などなどいろんな名称が

 

あり、それぞれ意味が違う。そこで、私の場合は、「辞表」ということで、落ち着く。

 

そして、内容。こちらは例文がどのサイトを見ても同じような形式であった。

 

こちらはそれ程、悩まずに書くことができた。

 

あっ、そういえば、何に書くか。

 

それは、卒業式に答辞の時に使われる用紙を購入し、久しぶりに筆ペンで書き上げた。

 

緊張して、バランスが悪くなってしまった。それを、妻にも見せて、「明日、渡してく

 

る。」と言って、明日に備えた。

 

しかし、次の日、まさかの展開が、、、。

 

 

 

 

 

 

「熊本へ大学を作りに行こう!」と強く思ったが、次にいろいろなことが頭を

 

よぎって来た。妻、娘、両親、その後の収入、学校への迷惑度などなど。

 

まずは、家族の同意が一番大切だ。

 

 

 妻に思い切って言ってみると、「いいんじゃない。」とあっさり一言。

 

私が朝、学校へ行こうとしている姿があまりにも、しんどそうオーラを出して

 

いたようだ。このまま、退職までの10年間その姿を見てはいられないと言われた。

 

妻の思いを聞いて、本当にありがたかった。(もう一生、頭が上がらない。笑)

 

 

 次に、両親との話。父親は「お前の人生だから。」という言うことで、認めてもらった。

 

母親は、長野に残る「妻、娘が心配である。」とのことであった。当然の反応であり、話し

 

合いの中で、どうにかOKをもらった。

 

 

 自分の中で、一番のドキドキしたのは妻の両親に伝えることであった。妻は長野県出身

 

ではなく、東北出身である。妻の両親から見れば、「長野県に嫁がせたのに、単身赴

 

任?それも、教員を辞めて、、、。」

 

どんな反応がなのか、本当にドキドキした。電話をかけてみる。

 

妻のお父さんとお母さんとの話、「まあ、いいんじゃない。」との返事をみる。

 

妻のお父さんも単身赴任で、5〜6年アメリカに行っている。

 

これで、家族との話は終わった。

 

 しかし、次の山が高かった。

 

 

 

 

 

 

 それまで、長野県の教員をしていた。残り11、12年? で、そのまま退職するものと

 

思っていた。

 

が、しかしその日はやってきた。

 

熊本の知り合いがclub houseを開くと言うことで、そのルームへ。

 

様々な話を聞いていたら、いきなり「大学作りのプロジェクトを始めている。」

 

いう話がズキュンと耳の中に飛び込んできた。「大学作り?、そんなことできるの?」

 

と思いながら、「やってみたい!参加したい!」と言う気持ちは抑えることができなかっ

 

た。

 

 そして、最後に「一緒にやってくれる仲間を募集している。」とのコメント。

 

もう聴き終わってから、「熊本に行きたいなぁ!」と言う心のときめき感は止めることが

 

できなかった。

 

 でも、「 熊本に行く」ということは、今の生活がガラッと変わることを意味する。

 

特に、家族のことが一番、心配だ。どうやって、妻に伝えるか、数日間かかった。

 

 

 

 

 

 

 

DROBE

 

次回に続いて、、、教師は聖職者と言われていますが、教師も人間ですから、

 

職員室や研究室でもいろいろな人間関係が存在します。

 

私は「職員同士が協力していければ」と思っていましたが、実際は違いました。

 

私は、2回パワハラのようなものに会いました。

 

1回目、小さい学校でしたが、知り合いのちょっと年上の教員でしたが、

 

いろんなことをいじってきます。「そんなことまで言うのか!」と思っていましたが、

 

気の弱い私は流していましたが、更にヒートアップ。まあ、神様は見ているもので、

 

その方は出世欲がありましたが、夢叶わず。

 

2回目は、何かとマウントを取るこという方でした。まずは、大きな声、目の威嚇、

 

生徒が自分の言うことを聞いていることが、指導できていると思っているようでした。

 

よく、部活動の子ども達は、私にはわからない理屈をつけ、泣きながら帰っていきました。

 

その中で、子ども等の心が成長すればいいと思うのですが、。

 

最後には、保護者からの訴えで部活動の顧問から外されましたが、、、。

 

いろいろ、教員をやっていると、???があります。

 

 

 

 

 

 

 

 


こんにちは、はじめまして。

 

長野県出身、長野県の公立中学校で27〜28年間、教員をしていました。

 

教員って、本当に素晴らしい仕事だと思っています。

 

子どもの笑顔、やりがい、成長を見守れる等など、そのことがあったから、

 

続けてくることができたと思います。

 

 一方で、毎日の多忙感は否めません。

 

日々の授業の準備(←これは教師のやりがいであるところですが)

 

いい授業をしようとすればするほど、キリがありません。

 

そのギリギリのとこで準備をしています。

 

実際、授業をして、子ども達から

 

「授業面白かった。」「楽しかった。」という「嬉しい〜。」と言われる一言です。

 

 

  また、学級担任をしていると、部活の後、保護者の方へ電話連絡をしたり

 

します。そこで、保護者と話をしたり、協力したりして、担当する児童・生徒が

 

少しずつでも成長をしてくれることは、本当に嬉しいことです。

 

 

 一方で、中学校ですので、部活動の指導もあります。

 

苦手な先生と、大好きな先生方もいます。

 

私はちょっと苦手な方で、、、(笑)

 

長野県では、朝部活があり、7:20〜8:00前後まで行われます。

 

ただし、活動の準備のために7:00ぐらいには、学校に来ています。

 

また、6月の頃、中学校体育連盟の地区大会前は、18:30ぐらいまで

 

行われています。

 

 教師の勤務時間は、17:00前後(学校・地域によっても違い

 

ますが)まで、その後はボランティアという状態になります。

 

 一番辛かったのは、土日の練習や練習試合です。

 

私のいた地域では、土曜日の①午前、②午後、日曜日の③午前、④午後と

 

①〜④の4つに分けて、そのうちの一つの時間帯だけやっても良いと

 

いうことでした。

 

 実際、大会前になると、①+② 実質、1日練習。あるいは、

 

土日全部、練習試合ということもよくあることでした。

 

最近は、土日に練習試合等が多い場合は、平日の放課後に

 

部活を休みになっていますが、、、。

 

ただし、土・日も教員の時間を削られることには変わりありません。

 

ただ、部活動手当のようなものは半日で、3000円程度(曖昧ですが)

 

は支給されていました。

 

個人的には、手当より、休日の方が重要でしたが、、、。

 

 

今回は、ここまで。

 

次回は、もっと深く、教員の世界の閉塞感をお伝えしたいと思います。

 

退職までの話は、もう少しお待ちください。