「お帰り。
いたんだね。」
麻衣がリビングにやって来るとそこには尚がいた。
「ああ・・。」
尚は一人ソファーに座って水割りを飲んでいた。
この家に帰って来たのは一か月振りくらいになるだろうか。
山村 尚 三十一歳。
こうして麻衣と暮らし始めて五年くらいになる。
結婚はしていない。
でも壊れる寸前の状態。
尚の仕事はイベントプランナー。
忙しく動き回ってはいるけれど、一か月も家に戻れないなんてほどではない。
「私も少し飲もうかな?
一緒にいい??」
麻衣は向かい合わせに座った。
「ああ、仕事はもういいの?」
「今夜は煮詰まっちゃったからもう止める。」
書きはじめると時間など関係なしに鉛筆を走らせる麻衣だった。
だけど、こうして止まってしまうと次のシーンが浮かぶまでに時間がかかることがあるのだ。
「そっか・・、じゃあ、俺が作ってやるよ。」
「何か食べるモノないかな~。」
麻衣はそう言いながら冷蔵庫の中を覗き込む。
ローストビーフのサラダと白身魚のムニエルそして白菜とベーコンのスープ。
「これならあるけど・・いい?」
「何でもいいよ。
麻衣、俺が帰って来ないってわかっていても俺の分も作ってるの?」
「そうだよ。」
「どうして?」
「今日みたいに帰って来た時、何も無いなんて寂しいんじゃないかと思って。
でも、そんなこと気にしなくていいよ。
食べなかったら次の日の昼に食べるから。」
とは言っても、仕事の進み具合によっては、カップラーメンをすすりながらの時もある。
だけど、大体の場合、食事はちゃんと作って食べるように心がけていた。
どうせ一人、尚は帰って来ない。
買って食べた方が経済的なのかもしれない。
だけど、料理をしている。
頭を空っぽにして部屋を出て、小説とは違う現実の世界に戻るために、その行為が必要だったのだ。
「尚、私たちが初めて出会った時のこと覚えてる?」
「勿論。
新幹線の中で・・だろ?」
「良かった。
もう忘れているだろうと思ってた。」
京都で高校時代の友人の結婚式があった。
彼女は短大をその春に卒業して、すぐに結婚を選んだ。
麻衣は悦子と一緒に新幹線に乗っていた。
披露宴のスピーチをすることになっていたので気分は落ち着かない。
悦子はいい、歌を歌うわけでもなく、ただニコニコ笑っていれば良いのだから。
本当は、麻衣もそのつもりだった。
それなのに友達がみんな揃って、
「スピーチは麻衣に決まり。」
だとか何とか言って、結局引き受けることになった。
「結婚式ですか?」
彼は声をかけた。
「はい。
ごめんなさい、ブツブツうるさいですよね。」
気まずそうに麻衣は言った。
「いえ、とてもイイと思いますよ。
花嫁さんの姿が、何も知らない俺にもイメージ出来るから。」
「聞こえていたんですね~。
恥ずかしい。」
そう言って麻衣は頬に手を当てて小さく笑った。
「俺は、山村 尚。
キミは?」
「私??
あっ、草野 麻衣です。」
いつもの麻衣だったらきっと黙っていた。
だけど、その日は結婚式だったし、スピーチの大役もあったし、テンション高めだったせいなのか、初対面の彼とも気軽に話ができた。
「東京でもう一度会ってくれませんか?」
尚が言った。
「はい。」
麻衣の中で、彼に対して悪い印象は無かったし、まあ、この場の雰囲気で返事をした。
「連絡先、教えてもらっていいかな?」
意外と強引??そんな気もしながら連絡先を交換した。
「じゃあ、また。
スピーチ頑張って。」
そう言い残して彼は名古屋駅で降りた。
「麻衣~、ナンパされたの?」
悦子が冷やかす。
「起きてたなら、何とか言ってよ。
寝たふりしてるなんて、悦子の性格疑っちゃうよ。」
麻衣は本気で怒っている。
「でも、なかなかカッコイイじゃない?
慎二はどうするのよ。」
「そんなんじゃないよ。
あの人だって、そう言っただけだと思うよ。
連絡だって、きっと来ないよ。」
・・・そんなことがあったのだ。
「じゃあ、一緒に暮らし始めたころのことは?」
「覚えてるよ。
俺の住んでいたボロアパート、忘れるわけないだろ。」
尚は名古屋から東京に出てきている。
一人で暮らすことを両親は心配したし、名古屋の仕事が無かったわけでもないのだが。
尚は、とにかく自立したいと思っていた。
大学を卒業しても東京で暮らしていくことを何とか両親に納得させた。
麻衣は大学に通っていた。
自宅から通える距離に学校はいくらでもあった。
学力もあったので自宅から一番近い大学を選んだ。
親からもらう月々の小遣いと家庭教師のバイト代で金銭的には十分だった。
尚と暮らすようになったのは、麻衣が二十三歳の冬だった。
あの日、初めて会った日から三年の月日が流れていた。
社会人と学生の付き合いが続く。
お互いの時間が合うときはできるだけ一緒に過ごした。
麻衣はいつも思っていた。
ずっと一緒にいたい。
他のこと全てがどうでも良くなって、何度も尚のアパートに転がり込もうと考えた。
それでも尚はそんな麻衣を受け入れなかった。
「卒業したらな。」
そう言い続けていた。
麻衣は無事大学を卒業して銀行に勤め始めた。
とにかくどこかに就職して、尚と一緒に新しい生活を始めたかった。
心はとっくに決まっているのだが、家を出て尚と一緒に暮らすということが両親に言えずにいた。
反対されるとわかっていたから。
悲しませることになる。
そう思うと心が痛んだ。
これまでずっと『自慢の娘』だったわけだから、ここにきて急に驚かせることになる。
まさか麻衣が・・・、きっとそう思うだろう。
でも、もう自分の気持ちをごまかせない。
尚のことが、どうしょうもなく好きだった。
クリスマスの夜、尚の部屋に行った麻衣は高熱にうなされている彼を見た。
銀行が忙しくて今週は会えなかったのだ。
尚は電話でも何も言わないから気が付かなかった。
一緒にいれば助けてあげられたのに・・。
こんなに苦しそうで・・。
一晩中、眠らずに尚の様子を見ていた。
朝になった。
その日の午後、身の回りの荷物を持って麻衣は尚の部屋にやってきた。
予想通り両親は猛反対だった。
だけど、それは最初から覚悟していたことだった。
その反対に折れてしまわないように今まで尚に対する気持ちを少しずつ育ててきたのだ。
もう、迷わない。
「あの頃、幸せだったな~。」
「俺が何か欲しいものは無いかと聞いたら何もいらないって答えた。
それでも、何か一つ言ってみろと言うと、麻衣、何て答えたか覚えてるか?・
「うん。
ほんの少しのお金って・・。
そしたら尚が、金か!いきなり現実的だなって笑った。
でも、欲しいモノなんて無かったんだよ。
大好きな人が傍にいた。
それだけで十分だった。
戻りたいよ、あの頃に・・。」
「そんなこと言うなよ。
俺が悪いんだ。
麻衣にこんな思いをさせて。」