部屋から馨がやって来る。
「沙耶、どうした?
何かあったのか?」
「・・・。」
「泣いてるじゃないか。
どうした?
俺に話してみろ!」
「ゴメン、一人にしてくれないかな。」
やっとの思いで絞り出した声だった。
(これから私はどうしたらいい?
どこに行けばいい?)
何も知らなかった今朝までの自分でいる自信なんてどこにもなかった。
次から次に出てくる疑問に何一つ確かな答えを見つけることもできずにいた。
(私は捨てられたんだろうか?
そんな私がなぜここに?
どうして?)
この家には居られない。
ぼんやりとした答えだった。
ここを出てどこかに行くあてがあったわけではなかった。
誰も自分のことを知らない場所に行って静かにこれからのことを考えようと思った。
黙っていなくなると両親も心配するだろう。
こんな場合にそんなことを考える自分がおかしくもあった。
気まぐれに旅に出たのだろうと思えるような短い手紙を残して翌朝、沙耶は家を出た。
勤務先の出版社に立ち寄って上司に挨拶をした。
「勝手なことは十分承知しています。
でも、こんな気持ちのまま仕事を続けることなんて私にはできそうにありません。」
そう言って退職願を手渡した。
「私に話してごらんと言ったところで、今の沙耶はきっと話してくれないだろうな。
何があったか知らないが、沙耶の書く文章が私は好きだ。
これはしばらく預かっておくから、落ち着いたらまた顔を見せてくれ。」
「でも・・。」
「後のことは、心配いらないから、ゆっくりしてくればいい。
元気を取り戻した沙耶に期待しているから。
・・で、行くあてはあるのか?」
「いえ、それはまだ・・。」
「沙耶らしくないな、行くあてもないのにそんな大きな荷物を持っているなんて。
私に任せてくれないか。」
「そんな・・。」
「いいじゃないか、私に任せなさい。」
そう言って彼は思い当たる人のところに連絡をする。
そして一枚のメモを沙耶に渡した。
「ここに行くといい。
少し寒いところだが、温かい人たちだから。」
「ここは?」
「私の妻の両親の家だ。
去年の秋、一番下の娘が結婚してからは夫婦二人が暮らしている。」
「ありがとうございます。
お言葉に甘えさせてもらいます。」
沙耶はそう言って出版社を後にした。
彼は本当に世話好きな人で社員誰に対しても家族のように接する。
出版社とは言っても、本当にまだ小さい会社だが、発行部数も少しずつ伸びてきている。
「難しいことばかり載せても売れない。
だけど、下品なことを書き並べて売るようなことはしたくない。
次の号の発売を読者が心待ちにしてくれるようなモノを作りたい。」
初めて会った時、彼は言った。」
資産家だった父親の財産を引き継いで始めた道楽だと心無い人たちは陰口をたたく。
そんなこと少しも気にせず思うままにやりたいことを堂々とするその姿を素晴らしいと思っていた。
子どものような輝く瞳を見た時、ここでなら自分は何かを見つけられるかもしれない、沙耶はそう思った。