沙耶には兄がいる。
矢野 馨。
人気カメラマン。
両親はそんな馨を遠くから見守っている。
沙耶の両親は子供に何かを無理にさせることをしない。
自主性を尊重していると言えばそうなのだが、時として重いことがある。
ピアノを習いたいと言えば教室に通わせてくれた。
あれは、そう小学校三年生の時。
やってみたいと思うことがまず最初の一歩だと考えている。
自由に生きていいよと言われても・・。
もし沙耶が何かを見つけたら、馨を見守るように見守ってくれることはわかっていた。
でも、少しだけ助けて欲しい時がある、今みたいな時。
沙耶は両親に対して、ありのままの自分を見せることが できないでいた。
どうしてこうなったのか、いつからこうなったのか、わからない。
「沙耶は手のかからない子供だったわ、小さい頃からずっと。」
そう母は幼い頃の沙耶のことを話す。
それでは、沙耶には辛いことや逃げ出してしまいたいと思うことがこれまで無かったのかというと、そうではない。
人並みに経験してきた。
ただ、母に泣きついたり、相談を持ちかけたりしたことがなかった。
母が嫌いだったわけで決してない。
母よりも近くに馨がいたから。
こんな沙耶のことを母親はどうおもっているだろう。
父はと言えば、あまりゆっくり何かを話したことが無かった。
仕事が忙しくてあまり家でゆっくりしていることがなかった。
それが不満だったわけでもなく、どこの父親もそんなモノだろうと思っていた。
結果として沙耶は卒業までの一年半の間に自分にとっての『それ』を見つけることが出来なかった。
始めの頃は考え込んでいたが、最後には諦めていた。
どうせ見つかるわけがない、今までずっと頑張って来たけれどダメだったのだから・・と。
隼人のことも相変わらずの毎日だった。
もし、隼人と繋がっているモノがあるとしたら、それは試験前に授業のノートを渡していたことくらい。
三年間ずっと、沙耶は隼人のことがあったから真面目に授業を受けていた。
隼人に渡すノートのために。
おかげで復習にもなって成績はいつも上位だった。
最期の試験の前にノートを渡した時、隼人は言った。
「俺みたいのが落第もしないで卒業できるのは沙耶のおかげだよな。
このノートがあったからだよ。」
「そんなことないよ。
私はノートを書いただけ。
そこから先は隼人の努力だから。」
「このノートやってれば七割は取れたから。
他のヤツに借りたことあったけど、俺は沙耶のノートが一番好きだった。
ホント、サンキュー。」
隼人の言葉に泣きそうになるのを堪えた。
「そう言ってもらえて嬉しいよ。」
クラブ活動の終わった校庭。
沈みかけている太陽。
赤く染まった空。
そこに二人。
ドラマだったら、最高の告白のシーンなのに、二人が交わす会話がこの程度のことなのだ。
沙耶は、卒業したらドイツだと思っていた。
いろんなことから逃げてフランクフルトに行くのだと思っていた。
こんなことでもないと隼人のことだって諦められない。
遠く離れれば、時間と距離が忘れさせてくれる・・そう思っていた。
