隼人は静かに話し始めた。


「ケガしちゃってさ。


毎晩夜になると一人でこっそり泣いてた。


もうサッカー出来なくなったらどうしよう。


不安で怖くて。


だけど涙も枯れてある時思ったんだ。


これ以上続けても、もう俺は伸びないかもしれない。


違うことを探してみるのもイイかもしれないって。


あれこれバイトして、今この仕事をしている。


これから先のことなんて考えてない。


いつか諦める時がくるなら、今諦めてもいいかって、サッカーは辞めたんだ。」


「そうだったの。」


なぜだろう、沙耶に話していた。


今まで誰にも話したことはなかったのに。


だけど、彼女は何も言わなかった。


そう、あの頃と同じ。


沙耶は何も言えなかった。


隼人は隼人で辛い思いをして苦しんだのだ。


あれこれ深く考えるタイプではないと思っていたがそれは間違いだった。


「ゴメン、辛いことを思い出させちゃったね。」


「いいさ、俺はもう気にしてないから。」


まるで他人のことのような口調で隼人は言った。


「それよりさっきのヤツ、沙耶の彼氏?


そういえばあの頃、噂あったよな。


それってアイツだろ?」


二人が並んで歩いている姿が、長い時間を感じさせた。


隼人はいつも女の子に言われていた。


「隼人、待って・・。」


「もう少しゆっくり歩いて・・。」


だからと言って歩くスピードをゆるめるよな人間ではない。


いつだって女の子が少し急いだ足取りで並んで歩くのだ。


隼人は女の子との付き合いにも不自由することは無く、何を言えば喜び、どう言えば別れられるかを知っていた。


二人が自然に並んで歩くことが難しいことも。


隣のアイツが沙耶のことを大切に思っていることも強く感じていた。


隼人は誰のことも心から愛せない自分に気づいていた。


いつか本当に大切だと思える相手に出会えたなら、二人のように並んで歩きたいと思った。


いくら友人たちが沙耶に告白しても無駄なはずだ。

あんなヤツが相手じゃ、どうにもならない。


沙耶が選ぶ男はやっぱりそういうヤツなんだ。


「俺なんかに声かけずに行っちゃえば良かったのに。


きっと『誰だ?』って思ってるぞ。」





全部書き終えて下書き保存・・さっきまでちゃんと動いていたのに急に固まってしまって、どうにもならなくなりました。


気を取り直して同じ場面をもう一度。


それでなくても、そう速くはできないので2倍時間を使ってしまいました。


隼人の働いている店の前までやってきた。


見るからに高級そうな洋服を扱っているような店構え。


ここで働いているんだ・・そう思った。


心を決めて中に入る。


「いらっしゃいませ。」


若い女性の店員に迎えられる。


「すみません、夏木さんいらっしゃいますか?」


「はい、呼んでまいりますので、少しお待ちください。」


自然な笑顔を沙耶に向ける。


・・きっと同じくらいの年だわ・・。


服装もメイクも言葉づかいからも、好感が持てる。


しかも、とても美人。


隼人の周りにはいつもこんな人たちが自然と集まってくる。


季節を先取りして春物が並べられている。


こういう場所に来るのは大好きだ。


見ているだけでも十分楽しめる。


「お気に入りのモノがございますか?


どうぞ、ご試着なさってください。」


そう言って隼人は現れた。


「さっきは、ど~も。」


「隼、夏木君、ゴメン、こんなところまで来ちゃって。」


「『隼人』でいいよ。


ドイツだったんじゃないの?」


「うん。


明日、あずさの結婚式だから、昨日着いたんだ。」


「そう。


ドイツ、どう?


結婚したの??」


「まさか、そんなこと考えたこと一度も無いよ。


それより、サッカーは?」


「辞めたんだ。


場所、変えよう。


ちょっと出てきます。


あと、頼みます。」


「お店いいの?」


「彼女たち仕事出来るから大丈夫。


行こう。」


「うん。


隼人には、こんな才能もあったんだね。


ちょっと意外。」


「『才能』そんなの無いさ。


頼まれたから他にすること思いつかないし、やってるってだけのこと。」


「隼人はこの仕事、好きじゃないの?」


「特に好きなわけじゃないよ。


けど、嫌いでもない。


仕事なんて何やっても同じだろ?


女だって嫌いでなきゃ付き合える。


そんなモノだろ?」


「本気?」


「勿論。」


冷めきった隼人を感じた。


あの頃は、一生懸命だったのに・・。


「じゃあ、私は隼人に嫌われてたんだね。


付き合ってもくれなかった。


あの頃、はっきりそう言ってくれてたら良かったのに。


そしたら私は・・。」


そう言いながら沙耶は目の前が揺れて見えるのを感じた。


そして次の瞬間真っ暗になった。


疲れているつもりは無いけれど、身体は悲鳴をあげているのだろうか。


こんなことが最近よくある。


「沙耶、大丈夫か?」


隼人が沙耶の身体を支えてそう言った。


・・そうだ、隼人と公園に来て話していたんだ。


気が付いた時、心配そうな隼人の顔が近くにあった。


こんな優しくされたのは出会ってから今までで初めてだった。


「ゴメン、もう大丈夫。


ありがとう。」


「医者、行くか?」


「本当にもう大丈夫。


いざとなったら志保もいてくれるし。


ねえ、どうしてサッかー辞めたの?


あんなに一生懸命だったじゃない。


ドイツにいても隼人はサッカーやってるって、ずっと思ってた。


何かあった??」








沙耶は隼人に好きになってもらおうとか、優しくしてもらおうとかそんなことを思っていたわけではない。


好きなままじゃ苦しすぎるから嫌いになる理由を探しに来たのだ。


嫌いになる瞬間て、ほんのちょっとしたことだと人に聞いたことがある。


でも、沙耶にはあてはまらなかった。


好きになるよりも嫌いになる方がずっと難しいことだった。


優しさを好きになったのならそれが失われた時、終わるのかもしれない。


沙耶の場合、その最初が無い。


いつの間にか好きになっていた。


グランドを走る姿、友達と話している姿、そんな姿をいつの間にか目で追うようになっていた。


特別仲が良かったというわけではないが、すれ違えば言葉をかけあうくらいの付き合いはあった。


そんな彼をどうして好きになったのかと聞かれたところで答えられない。


理由なんかなくても好きになる。


好きになろうと頑張っても好きになれるものでもない。


そんなわけのわからないモノ、それが『恋』。


沙耶は自分の恋の始まりを振り返った。


嫌いになれたらきっとラクになれる。


終わりにできる。


このままじゃ、苦しい。


好きなままで終われたら一番幸せなのかもしれない。


もっと誰かを好きになったら、自然に前の恋は終わって、新しい恋へと向かえる。


残念ながらそんな人に出会うことなく今に至っている。




沙耶は小さい頃、馨のお嫁さんになりたいと思っていた。


少し大きくなって兄妹は結婚できないことを知った。


周りで友達が好きな男の子の話に盛り上がっている時、いつも聞き役だった。


沙耶の周りに馨を超えるほどの男がいなかったのか、高校で隼人に会うまで誰かを好きになったことはなかった。


「馨、彼女いるの?」


「いるよ。」


「そっか・・。」


「沙耶は?」


「私のことはいいの。」


笑って沙耶は誤魔化す。


付き合っている彼女がいても馨の人気はものすごかった。


誕生日、クリスマス、バレンタインデー、プレゼントの山に母親と沙耶はいつも驚いていた。


「女の子のパワーってすごいよな。」


「そう??


馨が彼女を好きな気持ちとは別だからね。


馨を好きな自分の気持ちは誰かと付き合っているからといって減るモノじゃないよ。」


馨は何でも持っていた。


沙耶が欲しいと思っているモノ全てを・・。


優しさ・穏やかさ・強さ。


悩みを打ち明けた時、悔しくて涙が止まらなかった時、一人でいるのが辛いと思った時、いつも馨が傍にいてくれた。


他の誰より馨のことが好きだった。


そんな沙耶が初めて好きになった男・・それが隼人だった。



「誰?


知ってる人?」


馨が言った。


「同級生。」


沙耶はそう答える。


「こんにちは。」


馨が隼人に向かって声をかける。


「こんにちは。


じゃあな。」


隼人はそっけない。


「ねえ、時間ない?


話したいんだけど・・。」


沙耶が歩き始めた隼人を追いかけてそう言った。


「でも俺、仕事あるから。」


「夜、夜だったら時間ある?」


そう簡単に引き下がるわけにいかないのだ。


「俺、これからここにいるから 、ここに来れば・・。」


そう言って例の名刺を手渡して行った。


「沙耶、お前が好きだったヤツってアイツか?」


「まいったな~。


馨には何でもわかっちゃうんだね。」


「ここだよ、いい店だろ?


俺も最近、見つけたんだ。


何か落ち着くだろ?


この雰囲気。」


「うん。」


見せの中は静かでコーヒー豆の香りが二人を迎えた。


入り口の真正面の大きな柱時計。


「あるんだね、こんな大きな時計。


ずっと小さかった頃、どこかで見たような気がする。


どこだったんだろう。」


「沙耶のすぐ後ろでボーン・ボーン・・って二度鳴って大泣きしたアレだろ?


アレって家族で旅行した時だったよな。」


「お決まりですか?」


「俺はミルクティーとチーズケーキ、沙耶は?」


「レモンティーとイチゴのケーキをお願いします。」


「かしこまりました。」


「変わらないよな、小さい頃からイチゴのケーキ好きだったもんな。」


笑いながら馨が言う。


「もー、変なことよく覚えてるんだから・・。」


馨には沙耶と過ごした幼い日の記憶がはっきりとある。


小学生の沙耶、中学生の沙耶、高校生の沙耶・・。


自分のことよりも沙耶のことを一番に大切にしてきた。


沙耶が本当の妹でない記憶もぼんやりとあった。


ある日、父親は赤ん坊を抱いて帰って来た。


「馨、お前の妹だ。


名前は沙耶、よろしく頼むぞ。」


そう言った。


五歳の馨にはそれで十分だった。


嬉しい気持ちが湧き上がるのを感じた。


・・遠い昔のことだ。


「さっきの話の続きだけど、アイツはやめとけ。」


「どういうこと?」


「昔のアイツはどうだったか知らないが、今のアイツは沙耶を傷つけることはあっても、その反対は無いぞ。」


馨の言っていることは、多分正しいと思った。


「そうかもね。」


地下鉄に乗っている間、何から話そうか考えていた。


ずっとサッカーを続けていると思っていた。


なぜ止めてしまったんだろう・・知りたい。


でも、また『沙耶には関係ない。』そう言われそうな気がしていた。


隼人がいるという店は、まだ閉まっていた。


(少し早すぎたなぁ。)


もう少し行けば、馨の個展が開かれている会場がある。


暇つぶしに行ってみよう。


沙耶は一年に数えるほどしか会わない馨のところに向かった。


「やあ、沙耶どうした?


こんな朝早くから。


何か用か?」


こっちに来ることはメールで知らせていた。


「少し時間、余ったから・・。」


「久しぶりなのに、随分な挨拶だな。」


「馨・・、すごくカッコイイね。


家にいる馨とは別人だよ。」


家にいる時の姿といったら人に見せられたものじゃない。


あの姿を見たら百年の恋も冷めてしまうかもしれない。


だけど沙耶はそんな馨も好きだった。


「沙耶、ケーキ食べに行かないか?


美味いところを見つけたんだ。」


「うん、行く行く。


でも、ここに居なくていいの?」


「ああ、ちょうど出ようと思っていたところだったんだ。


入れ違いにならなくて良かった。」


「行こう。」


沙耶は馨の腕に手を回した。


会場を出てケーキ屋に行くまでの間、何人の人に振り返られただろう。


前からそうだった。


馨といると、いつもそうだった。


学生時代、沙耶は馨と映画に行くことが多かった。


志保が彼とその映画を見たと言った時は、次の日の学校の帰りには映画館だった。


「だって志保、彼と見たって言うんだもん。


馨、明日四時半に校門の前だからね。」


これで決まりだった。


「困ったヤツだなぁ。


映画に一緒に行く彼氏の一人や二人いないのかよ。


俺だって、もうそれ見たよ。」


馨はそう言って笑った。


だけど、次の日の午後、待っていてくれた。


いつもそうだった。


沙耶はその頃のことを思い出していた。


そんな時、向こうから歩いてくる人の中に沙耶は隼人を見つけた。


髪形も服装も全く変わっていたが、それはやっぱり隼人だった。


隼人も馨と同じくらい目立つ存在だった。


隼人の周りだけ時間の流れがゆっくりで、まるでスローモーションを見ているようだった。


すれ違う女の子たちが振り返る。


この感じ、外側から見るのは初めてだ。


「あっ・・。」


隼人が沙耶に気づいた。


あれから何年も過ぎているのに、それもこの人ごみの中で。


沙耶は単純に嬉しかった。


半分は計画的だった再会の場面が出来上がった。