「なあ、なつみとはどうなってるんだ?」
春樹にそう聞かれて翔平は黙っていた。
言葉を探していた。
「なつみのことは好きだ。
こんな気持ちになったのは初めてかもしれない。
好きだと一年前に言っていれば、今の俺たちは違ってたかな?
一緒に手をつないで歩いていただろうか。
だけど、言えなかったんだ。
あの時から別々の道を歩き始めたのかもしれない。」
「それって、終わったってことか?」
隆が心配そうに言う。
「終わってなんかないさ。
俺たちは始まってもなかったんだから。
お前たちとなつみの距離とそう変わらない。
少し近かったってだけのことさ。
なつみの力になってやりたいと思った。
でも俺がしてやれることって、本当にあるのか?」
「好きなら好きだって言えばいいじゃん。
今からだって言えよ。」
剛はそう言う。
「お前はわかりやすくていいよ。
望月さんんが言ったんだ。
『私にとっての智也のような存在の人に必ず出会うはずだから・・って。』
それがなつみだと思っていた。
その自信が無くなってきた。
なつみが一人で歩き始めたから。」
「翔平、お前・・。
なつみが自分の足で歩き始めたから淋しく思ってるんだろ?
喜んでやれよ。
俺たちだけに向けられていた笑顔が、そうじゃなくなって・・それがお前をそんな気持ちにさせてるんじゃないか?
『別に俺でなくたって・・。』そう思ってるんだろ?
焦ることないさ。
時間をかけてゆっくり育てていけばイイ。」
春樹はそう言った。
なつみはフランスに帰る準備を始めていた。
一か月の間にライブにも行ったし、会って話もした。
彼が今も情熱を持って生きていることを傍で感じられた。
それで十分だった。
描いていた夢を手にしたんだから。
フランスでまた頑張る元気をもらった。
自分には何があるんだろう。
今は逃げ道としてピアノを弾いているわけじゃない。
コンクールに挑戦してみよう。
初めての大きなコンクール。
なつみの中でも新しい何かが生まれようとしていた。
「亜美、奈穂、ただいま。」
「お帰り。
今日は早いのね。」
「日本に出張が決まったんだ。
来月の始めから三週間の予定で。
久しぶりに一緒に帰ってみないか?」
「そうね。」
「いつものホテルを予約してもらおう。
俺の仕事も、ひどくつまっているわけじゃないから、ゆっくりしよう。
それから・・、転勤することになるかもしれない。」
「どこ?」
「イタリア。
まだ、はっきり決まったわけじゃないけどな。
日本から帰って来るころにはわかるはずだ。」
「へ~、次はイタリアかぁ・・。
イタリア語??
幾つになっても私は勉強するしかないのね。」
知らない土地で暮らす不安よりも、新しい場所で始まる日々を楽しみにしている亜美を頼もしく思う智也だった。
「亜美さん、なつみです。
今日、こっちに帰って来ました。」
「お帰り。
久しぶりの日本はどうだった?
楽しかった?」
「はい。」
「それは良かったわね。」
「彼にも会ってきました。
一生懸命に頑張ってました。
私はやっぱり彼のことが好きなんだと思います。
彼は何も言ってくれませんでしたけど。」
「『好き』って言って欲しい時あるよね。
でも、言わなくても通じる気持ちってあるでしょ。
なかなか言えないよね~私も言えないな・・。
でも、でも、十回思ったらその内の一回くらい言ってくれてもいいんじゃないかって思う気持ちもわかる。
言わなきゃ伝わらないこともあるもんね。」
「彼には好きな人、いるかもしれません。
指のリング、あの頃のまま同じ指にありました。
『彼女とペアーですか?』って聞いた私に『違うよ。』って笑って言ってくれたんですけどね。
その人を今も・・。」
「信じてみたら。
人には、忘れずに持ち続けたい想いとかあるんじゃないかな。
ゆっくり育てていけばいいんだよ。
いつも走ってばかりはいられない。
歩くことも立ち止って休むことも必要なんだから。
私たち、しばらく日本に行ってくるね。
智也の出張に付いて行くことにしたから。」
「気を付けて行ってきてくださいね。」
なつみは今までと同じ学生生活を送っていた。
一人だけど独りじゃないってこういうことなのだろうな。
いつも誰かを頼っているのは嫌だけど、ここだって時に誰かがいてくれると思える今、気持ちは随分とラクになる。
なつみは本当にピアノが好きだった。
彼女を苦しめつづけていたモノが一つ一つ消えて、ずっと欲しいと思っていたモノを少しずつ手にしていた。
自分で拾い集めた『それ』はなつみを輝かせる力になった。
独りぼっちだった頃の淋しさや大切な人に出会えたことの喜び。
その一つ一つの出来事全てをなつみは愛せると思っていた。
いつか亜美が言っていた言葉が頭の中をよぎる。
『忘れずに持ち続けたい想い』
この時、翔平の指のリングの意味を初めて理解した気がした。