令和大相撲5年史 優勝争い分析④ 優勝決定日 | 三代目WEB桟敷

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令和の優勝争い分析、4つめの切り口は、優勝決定日。

 

最終的な星の差が小さくても、優勝決定後に負けて結果的に接戦に見えていることもある。

混戦模様を測るには、優勝決定のタイミングで比較するのが一番実態を表しているはずだ。

 

 

 

  時代別比較

まずは令和、平成、昭和(部屋別総当たりの40年以降)で比較する。

令和

平均14.85日目

 

平成

平均14.55日目

昭和

平均14.56日目
 

決定日の平均を取ると、昭和と平成ではほとんど差がなく14.55〜14.56日目となる。千秋楽決着は共に62%という辺り。僅かに平成の方が13日目決着が多いが、その差の0.01日。長期で集計すれば、だいたい集約されるところは決まってくるのだろうか。

 

集計期間に大差があるとはいえ、令和は平均0.3日も決定が遅い。内訳を見ても、13日目決着は1度もなく、85%は千秋楽決着。相当縺れていることは明らかだ。見る側にとっては最後まで興味が保たれて、ありがたい話である。

 

貴重な令和の14日目決着は、初っ端から。平幕朝乃山が14日目の取組で勝った後、ライバルが敗れて決定。その他は照ノ富士2回、白鵬1回と横綱が悠然とゴールテープを切っているが、わずか4場所。2年、4年は全て千秋楽決着となった。

 

 

  年代別比較

 

続いて、約5年間をベースに平均決定日(=(13*13日目決定場所数+14*14日目決定場所数+15*千秋楽決定場所数)/合計場所数)で比較。
令和に勝る縺れ具合の年代はあったのだろうか。
 
令和1-5  14.85
平成26-31 14.63
平成21-25 14.31
平成16-20  14.47
平成11-15 14.6
平成6-10  14.67
平成1-5    14.6
昭和60s 14.54
昭和50s後 14.57
昭和50s前 14.73
昭和40s後 14.4
昭和40s前 14.5
 

混戦

令和の混戦ぶりは決定日にも現れ、トップの14.85日目。千秋楽前に決まるのは異例だった。これに次ぐのは昭和50年代前半の輪湖時代で14.73日目。14日目決定が5年で8度だからこれも実感としてはかなり少ない。1,2位は13日目決定が皆無だった。

星の差の小ささでは令和に肉薄する2位に並んだ平成前半の2つの時代は、決定日では接戦ぶりの順位が下がった。平成11−15年に関しては、優勝決定後の敗戦が多いことが挙げられる。14日目決着8場所中5場所で千秋楽黒星。13日目で決めた曙は連敗した。結果的に僅差になったものの、決定は早かったので5位タイ。平成6−10年は3位。前半は貴乃花が早々に決める場所も度々あり、8年秋は13日目に4連覇を決めたが、翌場所初めて休場して以降、千秋楽前の決定は激減した。

4位に割り込んだのは、星の差では6位の1.44だった平成末期。白鵬独走の印象もあるが、26年から28年春までは1場所を除いて千秋楽決着。むしろ白鵬の休場が増えた後半期の方があっけなく、28年夏からの15場所中10場所が14日目決着。抜け出した力士の勢いを止める重しがいなかった。

5位タイは星の差も1.27で5位の平成初頭。13日目決着も3場所あったが、14日目は最少クラスの6場所。前半期の千秋楽前決着は千代の富士だけ4場所。その後は小結、平幕勢の抜け出しが4場所と特定の場合に偏っており、千代の富士以外の上位陣が制する時は千秋楽まで縺れた。

独走

優勝決定が早かったのは、やはり白鵬独走時代の平成21年−25年。13日目決着が5場所もあった(うち1回は把瑠都)。

2位は意外にも昭和40年代後半。戦国のイメージの割に星の差もそこそこあったが、それ以上に14日台前半と決定の早さが目立った。13日目決定が3度あったことも効いた。象徴的なのは輪島で、13日目から休場しながら優勝した48年秋。後続に1差の12勝ながら13日目での優勝決定となった。北・玉・大鵬による、優勝は許しても全勝は阻止し合うせめぎ合いもあった。

次いで3番手は朝青龍全盛の平成16-20年。ここまでが14日目台前半(変な言葉だが)。一人横綱時代が長く、大関陣を引き離して独走する姿が目立った。個人では最長4場所連続の千秋楽前決定を、2度も記録している。