令和大相撲5年史 優勝争い分析③ 星の差 | 三代目WEB桟敷

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令和大相撲5年間の優勝争い。

①優勝成績、②優勝者の地位と分析して、

平成、昭和とは異様な様相を呈していることが明らかになった。

 

続いて、③優勝力士と後続の力士(準優勝力士)との最終的な差を分析していく。

優勝成績が低かったことで当然後続との差は縮っているはずだが、結果はいかに。

 

平均 1.11

 

平均 1.38

 

平均 1.46

 

グラフ中の数字がは、そのまま後続との星の差を表す。

 

0は、同点。つまり優勝決定戦で決着したもので、本割の成績は相星。以降数字の大きい順に大差がついたということになる。当然数字が小さい方が接戦で最後まで盛り上がったということになるが、優勝が決まってから優勝力士が負けて結果的に1差になったケースよりも、千秋楽1差の直接対決で結果的に2差となったケースの方が盛り上がるはずなので、一概には言えない場合もある。その辺りは「優勝決定時点」での分析の方が実際を正確に捉えているかもしれない。

 

小数点以下があるのは引分によるもの。大相撲史上最後の引分相撲を取った三重ノ海が次点となったためだ。

余談ながら、優勝表彰の初回となった明治末期にはいきなり引分力士が優勝したが、優勝基準が不明確という近代スポーツらしからぬ体制を露呈。未整備のままだったが、競技の変化により引分が急速に減少して今日に至る。一応競技規則上引分があり得るのであれば、単純に勝利数なのか、勝越数なのか、優勝の基準として一応定めておくべきだとは思う。しかし、水入り取り直し何回で引分にするかは審判の裁量であり、運用として痛み分けも適用しないようなので、事実上引分は廃止されているようものなので、杞憂というものだろうか。

 

 

令和の特徴

令和時代はまだぶっちぎりの4差という場所はなく、3差も1割未満。他の時代では3差以上が15%余あったのに比べて少なかった。決定戦の3割は平成、昭和と比べてもかなり多い。1差の決着は他の時代よりも数%低いが、1差以内だと67%と3分の2を占め、平成の61%、昭和の59%を上回っている。

決定戦率の高さが10%ほど高く、接戦ぶりを示す結果になった。平均値も対平成で0.27、対昭和で0.35縮まっている。

しかし、グラフの形が示すとおり、①優勝成績や②優勝者の地位程には、平成、昭和と比べて極端な割合の違いはない。

 

優勝成績と星の差

そこで優勝成績毎に星の差の内訳を調べると、平成・昭和では優勝者の成績だけでなく、後続の成績もやや低くなっているようだ。

 

12勝の場合はどの時代もおよそ半数が決定戦になっているので特に差はない。

 

しかし、13勝の場合には違いが顕著。令和は9場所中1場所のみ決定戦決着。半数以上が2差をつけての決着となった。平成では決定戦29%、2差以上13%、昭和では決定戦20%、2差以上は16%だったので、令和の13勝は容易く優勝を掌中に納めていた。唯一正代が徳勝龍に1差競り負けて優勝を逃している。

 

14勝の優勝は、令和初期5年間は4場所しかなかったが、2差以上が3場所で75%。2差以上の余裕の展開が平成では49%、昭和では47%と半数に満たなかったのに比べると、令和の14勝はほぼ独走している。ちなみに平成、昭和ともに15%が決定戦に持ち込まれているが、令和は0。ただ、3年名古屋の照ノ富士は-1差。白鵬との楽日全勝決戦で敗北、優勝を逃した。

 

上記のような成績ごとの星の差分布で分かる通り、優勝成績の低下ぶりに比して、後続との星の差は極端には縮まっていなかった。優勝ラインの低下は嘆かわしいが、その分優勝争いは最後まで興味が引かれるはずだが。思ったほど最後は縺れていないというのは、印象として確かにある。飛び抜けた力士がいないだけでなく、安定して12勝程度の成績を残す力士が育っておらず、優勝争いが低レベル化している令和の状況が浮き彫りとなった。