令和大相撲5年史 優勝争い分析②−2 平成5年毎の地位別割合 | 三代目WEB桟敷

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前項 優勝争い分析②−1では、令和、平成、昭和後期の地位別割合を示した。

今度は同じ5年のまとまりで、令和と各年代を比較する。

 

▶昭和との比較はこちら

 

 

 

 

 

  優勝力士の地位 令和と平成各年代

 

まずはおさらい。

 

令和は小結を除く4つの地位が均等に近い。昭和・平成1割程度と珍事だった関脇以下の優勝が、何と半数を上回った。

 

5つの地位全てが登場。前半は横綱・大関が占めたが、後半に入っていきなり平幕優勝が連続。関脇は曙、小結は若貴が記録し、合わせて2割超が関脇以下となった。一時不在にもなった横綱は2年間も途絶えて、最後に曙が3連覇するも半数に届かず。

 

貴乃花を中心に安定の時代。横綱・大関だけで占めそうだったが、最後の最後に琴錦が平幕V。大関は貴ノ花、若乃花が4回、武蔵丸3回、貴ノ浪が2回制した。横綱・大関の占有率97%ながら、優勝平均勝利数は13.5と意外に伸びず。

 

上位陣は8割をマークしたが、関脇以下も2割に当たる6回と、荒れる場所が増えた。大関は横綱に迫る11場所を制したが、最初の2回をマークした武蔵丸しか昇進できず。残り9回は空砲に終わった。4横綱となるが、年6場所皆勤したのは12年の曙だけ。優勝平均13.1勝と平成で最も低かった時代、飛び抜けた横綱はおらず全勝もなかった。

 

上位陣がスイープ。うち横綱が8割と圧倒。大関は4人が優勝したが、連覇で横綱昇進を果たしたのは白鵬だけ。関脇琴欧州、白鵬、平幕北勝力が決定戦に進出したが、横綱朝青龍が撃退し、唯一関脇以下の優勝がない時代となった。優勝平均成績も13.8勝、ほぼ付け入る隙がなく、一時の勢いでは優勝争い勝ち上がることはできなかった。

 

青白両横綱の時代を経て白鵬独走時代へ。横綱がさらに割合を増やした。大関は日馬富士が4回。唯一白鵬が乱調した24年夏に11年ぶりの平幕優勝者が出たが、関脇以下としてもそれ以来で同時代唯一。優勝者の平均勝利数は14超え。

 

なおも白鵬の独走が続いたが、後半は休場がちとなり、他の横綱も穴を埋めきれずに荒れる場所も。横綱は7割超あったが、5つの地位が優勝を記録し関脇以下は計5回で15%ほど。煽りを受けて大関は最小タイの4回ながら、横綱鶴竜、稀勢の里が誕生した。平成時代で連覇せずに昇進したのはこの2人だけだった。

 

 

 

  まとめ

どの時代を切り取っても、令和の5年間と似たものはない。

どれだけ低くても横綱は40%台。後半は平均8割超え。

横綱が低くても、大関と合わせれば75%(3/4)以上を占め続けた。

未曾有の長期戦国、下克上時代が続いたことが明らかになった。

次回は昭和後半の5つの年代とも比較する。