令和大相撲5年史 優勝争い分析②地位別 平成・昭和との比較 | 三代目WEB桟敷

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  令和の優勝争い 

 

 

稀に見る下剋上が続いた令和初期の大相撲。象徴的なのが2年初場所、幕内最下位で4場所ぶりの再入幕だった徳勝龍の優勝。久しぶりの幕内勝ち越しを9日目に決めると、好調の平幕力士との対決を突き落としの連続で勝ち残り、14日目には平幕とはいえ上位常連の正代との首位対決も突き落としで制し、千秋楽は結びで取って大関を真っ向破って快挙達成。役力士との対戦が1番のみという批判もあったが、横綱不在で役力士にも好成績者がいなかったので、適当なストッパー役もいなかった。結局それから1年持たずに十両陥落。優勝経験者では大蛇山以来の最高位平幕に終わった。

 

12勝での優勝が続いたり、11勝の優勝があったりと印象だけでなく低レベル化しているのは明らかだが、改めてデータで比較してみよう。

 

 

 

  優勝力士の地位 令和と平成と昭和後期

 

まずは、平成通期(181場所)と昭和後期(部屋別総当りの24年間144場所)と比較する。

 

明らかに形が違い、令和は小結を除く4つの地位が均等に近い。昭和・平成1割程度と珍事だった関脇以下の優勝が、何と半数を上回った。

 

 

平成通期では、横綱、大関の地位でほぼ9割を占め、残り1割を関脇、小結、平幕がせせこましく分け合っている。

 

昭和は部屋別総当たりとなった40年以降の24年間を対象にした。平成期と地位別の順位は同じで割合も似ているが、より横綱の強さが目立つ。52年後半から55年までの3年半は全く大関以下を寄せ付けなかった。関脇以下の10%余でほぼ平成と同じ。横綱の8%増加分は、大関がほとんど被っている。

 

平成期の横綱昇進は連続優勝が絶対条件のように言われ、本来横綱として記録しているべき優勝を大関として記録したからというのも一因かもしれない。少なくとも貴乃花は4回は余計に大関で優勝しているし、旭富士、白鵬も昭和なら昇進を決めた連覇以前に昇進しているはず。

 

連覇どころか直近2場所に優勝がなくても昇進できていた昭和後期には、大関時代に複数回の優勝を記録したのは琴櫻(4回)、北の富士(3回)、玉乃島、隆の里、大関止まりでは貴ノ花と若嶋津だけだった。