『中世の人間』J・ル・ゴフ編から[28]
○女性と家庭
~個人として成り立つ前の女性~
(1)はじめに
A.中世の3身分の図式=「騎士,聖職者,農民」(11世紀頃)には、女性固有の地位は与えられていない。社会的な区分・職業(例:農民の女,女城主,聖女)を通じて女性を規定するようになるのは、まだ後のことであり、長い間女性は「子を産む役割,家族グループ内での立場・関係」によって規定されていた
〈例〉妻・未亡人・処女というのは、男性(or男性グループ)との関係において定まる。一方では男性には法的人格・日常的倫理が明示されている
B.中世における女性の立場は、家族グループという狭い空間の中が全てではない。「女性のために出された請願・命令はもっと広い範囲に影響を生じる」「交際範囲も血縁・姻戚関係に止まらず、地域の交友・経済界・政界に広がる」のだった
C.女性と家庭の姿を伝えている史料(ごくわずか)が、主な当事者としての女性の声を再生してくれる。実際のところ「『日常的な喜び・悩み,家庭での歓喜,不和のこだま』は、女性側よりも男性側のほうがはるかに多い」という制約がある(それは寛容・悪意・むき出しの敵意といった感情とともに伝えられる)
D.史料におけるもう1つの制約は「社会の上層(古い時代には貴族階級,中世後期には都市のブルジョワジー)に関する史料が多い」という点にある
(2)婚姻という戦略
A・中世において、一族と一族との間の対立関係(時には紛争の果てに)の存在するところにおいて、婚姻によって「和平」が調印される。和睦する相手の家へ娘を嫁がせるのは、和平の担保(or手段)としてその中核となり「女性の個人的運命,私的な願望」を越えた(無視した)役割が与えられる
B.女性は「両家族の間の一切の不都合を解消する,嫁ぎ先の家系を維持するために子供を産む,身体と持参金を提供する」という役割が、夫への義務よりも強く要求された。近代的な「夫婦の結合の原理」は、聖職者たちによって徐々に考察が熟し、さらに深刻な経済的・社会的変動(中世後期)を経過して、はじめて現れるものである→“良妻”のイメージが浮かび上がって来るようになる
C.女性を利用しての2家族間の友誼を作る(or回復させる)事例は、最初は封建社会の指導層から始まる。封建領主は領土的野心・政治的理由によって広く実行していた(中世盛期)。やがては都市の指導層(13~14世紀)において「旧来の憎悪・絶えなかった報復行為が、華麗な女性交換で終結する」。しかし時には和解が失敗し、そうなると必ず私的or公的な戦いが白熱してしまう
〈例〉フィレンツェ:
チェルキ家とアディマリ家の婚姻(1288年)のおかげでビアンキ派の結束は固まり、旧来の軋轢に終止符を打った。他方でネリ派の党首は、最初の妻(チェルキ家の女)と離婚しただけでなく、反対派から奪った豊かな女相続人と再婚したために、内乱を招いた
その後アディマリ家とペルッツィ家は、プリオーレ広場に両家の友人たちを大勢集めて厳かな和睦を結んだ(1312年)。ここでも女性は家族間で移動させられ、和平の保証にされた。ここでは巨額の持参金が動いたことが記録されている
【教会の介入】
D.婚姻戦略の理論化は、聖アウグスティヌスから始まっている。この聖者は「他の家族と結婚する義務」「社会的な絆を保証し、姻戚となった者同士が守るべき慈善と友愛が社会の結合の基礎となる必要性」を強調している
E.ところが、血縁の連帯は閉鎖的家族グループを互いに対立させてしまう可能性があった。というのは「祖先伝来の財産を子孫に伝える」のは家系の最も重要な義務であり、財産の流出を防ぐために同族間結婚が行われてきたのだから、他の家族との結婚は家系の義務に反することだった
★俗人は(たとえ聖職者から「近親婚に該当する」と言われても)一族の財産を守ろうとして同族の子供同士を結婚させるために、既に存在する姻戚関係を放棄してしまうことがあった
F.一方で教会は、上記D.を口実として「同族間結婚の禁止」を正当化した(6~8世紀)。「あまりに近親すぎるいとこ同士の結婚」は、教会にとっては排除しなければならないが、俗人にとっては(家族財産の流失を防ぐために)奨励されるべきこととなる。両者の見解の衝突は、王侯家族の結婚をめぐって起こった(11世紀末)
⇒教会は年を追って要求を緩和し、第4ラテラノ公会議(1215年)では「7親等の外婚範囲を4親等に引き下げた」=「互いに4代目の子供なら結婚できるようになった」
⇒ただしその代わりに、いくら身分の低いキリスト教徒でも、いとこ同士であることを知らないフリが出来ないようにした。つまり「当人たちの親等をよく知らない婚約者たちの近親婚を避ける」ために「予め婚約の公示をさせる」ようにした
(3)結婚がもたらす効果
A.婚姻は両家族の身分・名誉に関係し、結婚によってもたらされるメリット(名誉と物質的利益)を両家族ともに計算する。重要となるのは「嫁に出される娘は『夫の家への移動』『階級・地位の上下への移動』を甘受しなければならない」点である。後者は、夫の家と妻の家の社会的序列が違うと必ず発生する
B.騎士階級の結婚戦略(11・12世紀)と都市ブルジョワジーの結婚戦略(14・15世紀)は、いずれも「父親が自分の息子のために、自分より上流階級の娘を嫁に迎えようとする」ものだった。嫁の大半は結婚によって「家系の地位・階級が劣る夫のもとへ嫁いで身分を落とし、それでも夫に服従しなければならない」のだった
C.このことから、中世文学において「身分の低い夫を非難してやまない短気で過酷な女」「自分の家系&家紋を笠に着てガミガミ言う女」に刃向かう男の恐怖は、よく見られるテーマだった
〈例〉再婚に際して、前の妻より偉い身分の女を選ばないように勧めた(byパオロ・ディ・チェルタルド)。なぜならそんな女と再婚したら「あたしには貸しがあっても借りはない。だったあたしの方が大家の生まれだし、親類も偉い人ばかりだから」と言われる筈だから
D.結婚が社会に認められるためには、時代がいつであれ「たとえ僅かでも財産がある家族集団から他の家族集団へ譲られ、それによって女性の譲渡が実現されなければならなかった」。これによって双方の家族集団の名誉が保たれた
E.中世初期には「a.夫とその家族から妻の家族へ財産が移された」(=娘を譲渡した家族への損失補填)。その後「b.この財産は妻自身へ与えられる」「c.妻は見返りとして衣類・不動産をもたらす,現金を夫に与え続ける(or自分の手許に残す)」。この仕組みによって「d.彼女は夫の死後も生活を確保できた」
★この贈与&見返りによって「両家は固く結ばれる」。しかもその価値はハッキリとランク付けされ、両家の社会的地位を現していた
【持参金】
F.やがて妻の持参金額が増加する一方となり、夫の贈り物・提供物に比べて負担が大きくなる(12世紀~)。夫の提供する物のうち、あるものは勝手に廃止された
〈例〉フランク族に由来するジェノヴァの“テルティア”(亡夫の財産の1/3に対する未亡人の権利)は廃止された(1143年)
G.その後持参金は(特にローマ法の原則を受け継いでいる国=西欧の南半分で)結婚に関係する交換の中心的負担となり、中世後期には「夫婦間の財産提供に関する全ての法律」へとつながる。夫側からの提供も完全に消滅することはなかった:
1.「南フランス・イタリア・スペインでは、嫁いだ女性の評価は持参金額に依る」
2.「それより北側の西欧では、夫が設定する財産遺贈(=自分の死後に妻へ遺す)は近代まで存続する」
3.「一般的には女性は、持参金・夫から貰った財産を完全には自由できないようになる(中世後期に至るまでは、自由に財産を利用できた)」
4.「これにより『a.夫が上記の妻の財産を管理するようになり、収益をほしいままにできる』『b.夫が死んでも妻には用益権しか手にできない』『c.全ての遺産を自由に遺贈できなくなる』のだった」
【財産に対する女性の権利喪失の理由】
1.「土地関係の封建化が進んだことにより、女性が城・領地といった財産の移転に関与できなくなる」
2.「商工業で生計を立てている都市では、各職業組合の閉鎖性により、活動と責任は男性のものとなる(=女性の経済的役割の低下)」
3.「支度金を貰ったことにより、娘は世襲財産の相続から外される(支度金が相続分の代わりとなるから)」
4.「ひとたび嫁ぐことにより、理論的には自分の所有である筈の財産に対しても、能動的な管理権を放棄することにされた」
H.上記の変化の方向は、地方や慣習によって多少の違いはあっても、ほとんどの場所で同じだった(中世が進むにつれ)
【女性の地位低下】
I.女性の経済的役割・財産管理能力が引き下げられたことによって、女性の「価値」が低下していった。文献史料に見られる女性蔑視(13~15世紀)の生まれた原因は「禁じられた性に対する聖職者の抑えがたい悩み」でしかないのだが、しかし女性に対する敵意に満ちた雰囲気を作り出し、女性の財産権を制限する方向へと働きかけた→さらに「女性に対する懐疑的・否定的な一般の態度」を助長した
J.都市化されたヨーロッパの大部分において「持参金のインフレ現象」が起こる(中世後期)。それは決して女性の貪欲と虚栄心のせいではなく、持参金・結婚支度金が「社会的な地位を確保し、身分を社会に認めさせる」目的で高額を用意するようになったから(=結婚は家族の名誉のために金がかかる!)
☆夫から貰う見返りもなく、持参金を付けて嫁ぐ女性もいたので“女性は嫁がせるのに高くつく”と言われた
【妻の振る舞い】
K.男系相続の原理が確立し、家の名誉を重んじる社会では、女性は「血統を保存する役割が重要」であり、後は「煮炊き物”と子供をしつける」だけでよい。ところが、女性が性的な節操を守れるか否かは家族の中心問題となり得た。というのは「“良家”では他人の血が血統に混じるのを心配する」からである
L.夫が婚外で作った子供は、言うまでもなく相続から除外される。しかし妻の不倫から生まれた子供は、母親が上手く罪を隠したならば(血統にとって)危険な存在となる。おまけにそれは「肉体の罪から生まれた,嫁ぎ先の家に対する裏切り行為」という二重の非難を受けた
M.身分不相応な家へ嫁いだ女性は(窮屈な立場にあっても)「実家と嫁ぎ先の仲介役」という役割に忠実&献身的でなければならない。時にはこの求めは「妻の愛情,夫への服従」という義務とぶつかった。中世の終わり頃には世俗の人々は、家系に対する服従意識がぐらつき始めていた
○女性と家庭
~個人として成り立つ前の女性~
(1)はじめに
A.中世の3身分の図式=「騎士,聖職者,農民」(11世紀頃)には、女性固有の地位は与えられていない。社会的な区分・職業(例:農民の女,女城主,聖女)を通じて女性を規定するようになるのは、まだ後のことであり、長い間女性は「子を産む役割,家族グループ内での立場・関係」によって規定されていた
〈例〉妻・未亡人・処女というのは、男性(or男性グループ)との関係において定まる。一方では男性には法的人格・日常的倫理が明示されている
B.中世における女性の立場は、家族グループという狭い空間の中が全てではない。「女性のために出された請願・命令はもっと広い範囲に影響を生じる」「交際範囲も血縁・姻戚関係に止まらず、地域の交友・経済界・政界に広がる」のだった
C.女性と家庭の姿を伝えている史料(ごくわずか)が、主な当事者としての女性の声を再生してくれる。実際のところ「『日常的な喜び・悩み,家庭での歓喜,不和のこだま』は、女性側よりも男性側のほうがはるかに多い」という制約がある(それは寛容・悪意・むき出しの敵意といった感情とともに伝えられる)
D.史料におけるもう1つの制約は「社会の上層(古い時代には貴族階級,中世後期には都市のブルジョワジー)に関する史料が多い」という点にある
(2)婚姻という戦略
A・中世において、一族と一族との間の対立関係(時には紛争の果てに)の存在するところにおいて、婚姻によって「和平」が調印される。和睦する相手の家へ娘を嫁がせるのは、和平の担保(or手段)としてその中核となり「女性の個人的運命,私的な願望」を越えた(無視した)役割が与えられる
B.女性は「両家族の間の一切の不都合を解消する,嫁ぎ先の家系を維持するために子供を産む,身体と持参金を提供する」という役割が、夫への義務よりも強く要求された。近代的な「夫婦の結合の原理」は、聖職者たちによって徐々に考察が熟し、さらに深刻な経済的・社会的変動(中世後期)を経過して、はじめて現れるものである→“良妻”のイメージが浮かび上がって来るようになる
C.女性を利用しての2家族間の友誼を作る(or回復させる)事例は、最初は封建社会の指導層から始まる。封建領主は領土的野心・政治的理由によって広く実行していた(中世盛期)。やがては都市の指導層(13~14世紀)において「旧来の憎悪・絶えなかった報復行為が、華麗な女性交換で終結する」。しかし時には和解が失敗し、そうなると必ず私的or公的な戦いが白熱してしまう
〈例〉フィレンツェ:
チェルキ家とアディマリ家の婚姻(1288年)のおかげでビアンキ派の結束は固まり、旧来の軋轢に終止符を打った。他方でネリ派の党首は、最初の妻(チェルキ家の女)と離婚しただけでなく、反対派から奪った豊かな女相続人と再婚したために、内乱を招いた
その後アディマリ家とペルッツィ家は、プリオーレ広場に両家の友人たちを大勢集めて厳かな和睦を結んだ(1312年)。ここでも女性は家族間で移動させられ、和平の保証にされた。ここでは巨額の持参金が動いたことが記録されている
【教会の介入】
D.婚姻戦略の理論化は、聖アウグスティヌスから始まっている。この聖者は「他の家族と結婚する義務」「社会的な絆を保証し、姻戚となった者同士が守るべき慈善と友愛が社会の結合の基礎となる必要性」を強調している
E.ところが、血縁の連帯は閉鎖的家族グループを互いに対立させてしまう可能性があった。というのは「祖先伝来の財産を子孫に伝える」のは家系の最も重要な義務であり、財産の流出を防ぐために同族間結婚が行われてきたのだから、他の家族との結婚は家系の義務に反することだった
★俗人は(たとえ聖職者から「近親婚に該当する」と言われても)一族の財産を守ろうとして同族の子供同士を結婚させるために、既に存在する姻戚関係を放棄してしまうことがあった
F.一方で教会は、上記D.を口実として「同族間結婚の禁止」を正当化した(6~8世紀)。「あまりに近親すぎるいとこ同士の結婚」は、教会にとっては排除しなければならないが、俗人にとっては(家族財産の流失を防ぐために)奨励されるべきこととなる。両者の見解の衝突は、王侯家族の結婚をめぐって起こった(11世紀末)
⇒教会は年を追って要求を緩和し、第4ラテラノ公会議(1215年)では「7親等の外婚範囲を4親等に引き下げた」=「互いに4代目の子供なら結婚できるようになった」
⇒ただしその代わりに、いくら身分の低いキリスト教徒でも、いとこ同士であることを知らないフリが出来ないようにした。つまり「当人たちの親等をよく知らない婚約者たちの近親婚を避ける」ために「予め婚約の公示をさせる」ようにした
(3)結婚がもたらす効果
A.婚姻は両家族の身分・名誉に関係し、結婚によってもたらされるメリット(名誉と物質的利益)を両家族ともに計算する。重要となるのは「嫁に出される娘は『夫の家への移動』『階級・地位の上下への移動』を甘受しなければならない」点である。後者は、夫の家と妻の家の社会的序列が違うと必ず発生する
B.騎士階級の結婚戦略(11・12世紀)と都市ブルジョワジーの結婚戦略(14・15世紀)は、いずれも「父親が自分の息子のために、自分より上流階級の娘を嫁に迎えようとする」ものだった。嫁の大半は結婚によって「家系の地位・階級が劣る夫のもとへ嫁いで身分を落とし、それでも夫に服従しなければならない」のだった
C.このことから、中世文学において「身分の低い夫を非難してやまない短気で過酷な女」「自分の家系&家紋を笠に着てガミガミ言う女」に刃向かう男の恐怖は、よく見られるテーマだった
〈例〉再婚に際して、前の妻より偉い身分の女を選ばないように勧めた(byパオロ・ディ・チェルタルド)。なぜならそんな女と再婚したら「あたしには貸しがあっても借りはない。だったあたしの方が大家の生まれだし、親類も偉い人ばかりだから」と言われる筈だから
D.結婚が社会に認められるためには、時代がいつであれ「たとえ僅かでも財産がある家族集団から他の家族集団へ譲られ、それによって女性の譲渡が実現されなければならなかった」。これによって双方の家族集団の名誉が保たれた
E.中世初期には「a.夫とその家族から妻の家族へ財産が移された」(=娘を譲渡した家族への損失補填)。その後「b.この財産は妻自身へ与えられる」「c.妻は見返りとして衣類・不動産をもたらす,現金を夫に与え続ける(or自分の手許に残す)」。この仕組みによって「d.彼女は夫の死後も生活を確保できた」
★この贈与&見返りによって「両家は固く結ばれる」。しかもその価値はハッキリとランク付けされ、両家の社会的地位を現していた
【持参金】
F.やがて妻の持参金額が増加する一方となり、夫の贈り物・提供物に比べて負担が大きくなる(12世紀~)。夫の提供する物のうち、あるものは勝手に廃止された
〈例〉フランク族に由来するジェノヴァの“テルティア”(亡夫の財産の1/3に対する未亡人の権利)は廃止された(1143年)
G.その後持参金は(特にローマ法の原則を受け継いでいる国=西欧の南半分で)結婚に関係する交換の中心的負担となり、中世後期には「夫婦間の財産提供に関する全ての法律」へとつながる。夫側からの提供も完全に消滅することはなかった:
1.「南フランス・イタリア・スペインでは、嫁いだ女性の評価は持参金額に依る」
2.「それより北側の西欧では、夫が設定する財産遺贈(=自分の死後に妻へ遺す)は近代まで存続する」
3.「一般的には女性は、持参金・夫から貰った財産を完全には自由できないようになる(中世後期に至るまでは、自由に財産を利用できた)」
4.「これにより『a.夫が上記の妻の財産を管理するようになり、収益をほしいままにできる』『b.夫が死んでも妻には用益権しか手にできない』『c.全ての遺産を自由に遺贈できなくなる』のだった」
【財産に対する女性の権利喪失の理由】
1.「土地関係の封建化が進んだことにより、女性が城・領地といった財産の移転に関与できなくなる」
2.「商工業で生計を立てている都市では、各職業組合の閉鎖性により、活動と責任は男性のものとなる(=女性の経済的役割の低下)」
3.「支度金を貰ったことにより、娘は世襲財産の相続から外される(支度金が相続分の代わりとなるから)」
4.「ひとたび嫁ぐことにより、理論的には自分の所有である筈の財産に対しても、能動的な管理権を放棄することにされた」
H.上記の変化の方向は、地方や慣習によって多少の違いはあっても、ほとんどの場所で同じだった(中世が進むにつれ)
【女性の地位低下】
I.女性の経済的役割・財産管理能力が引き下げられたことによって、女性の「価値」が低下していった。文献史料に見られる女性蔑視(13~15世紀)の生まれた原因は「禁じられた性に対する聖職者の抑えがたい悩み」でしかないのだが、しかし女性に対する敵意に満ちた雰囲気を作り出し、女性の財産権を制限する方向へと働きかけた→さらに「女性に対する懐疑的・否定的な一般の態度」を助長した
J.都市化されたヨーロッパの大部分において「持参金のインフレ現象」が起こる(中世後期)。それは決して女性の貪欲と虚栄心のせいではなく、持参金・結婚支度金が「社会的な地位を確保し、身分を社会に認めさせる」目的で高額を用意するようになったから(=結婚は家族の名誉のために金がかかる!)
☆夫から貰う見返りもなく、持参金を付けて嫁ぐ女性もいたので“女性は嫁がせるのに高くつく”と言われた
【妻の振る舞い】
K.男系相続の原理が確立し、家の名誉を重んじる社会では、女性は「血統を保存する役割が重要」であり、後は「煮炊き物”と子供をしつける」だけでよい。ところが、女性が性的な節操を守れるか否かは家族の中心問題となり得た。というのは「“良家”では他人の血が血統に混じるのを心配する」からである
L.夫が婚外で作った子供は、言うまでもなく相続から除外される。しかし妻の不倫から生まれた子供は、母親が上手く罪を隠したならば(血統にとって)危険な存在となる。おまけにそれは「肉体の罪から生まれた,嫁ぎ先の家に対する裏切り行為」という二重の非難を受けた
M.身分不相応な家へ嫁いだ女性は(窮屈な立場にあっても)「実家と嫁ぎ先の仲介役」という役割に忠実&献身的でなければならない。時にはこの求めは「妻の愛情,夫への服従」という義務とぶつかった。中世の終わり頃には世俗の人々は、家系に対する服従意識がぐらつき始めていた