『虎に翼』は、ある意味『マッド・マックス怒りのデスロード』なのだ② | よしすけのツレヅレなるママ 映画日記

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大好きな映画の感想をメインに、読書感想や子育てについてetc…のんびりした日々をゆるゆると綴った日記です

 


優三との思い出が詰まった河原で

寅子は焼き鳥の包みを開いた。


「おいしいものは二人で分け合おうと

言ったじゃない」

「必ず帰ってくると言ったじゃない」

泣きながら焼き鳥を頬張る寅子に

あの日の優三が語りかけた。


「トラちゃんができるのは、トラちゃんの好きに生きることです。また弁護士をしてもいい。違う仕事を始めてもいい。優未のいいお母さんでいてもいい。僕の大好きな、あの、何かに無我夢中になってる時のトラちゃんの顔をして、何かを頑張ってくれること。いや、やっぱり頑張んなくてもいい。トラちゃんが後悔せず、心から人生をやり切ってくれること。それが僕の望みです」


食べ終えた寅子が

ふと新聞に目を落とすと

そこには日本国憲法が書かれていた。



憲法十三条

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」


憲法十四条

「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」


そしてまた優三の言葉が繰り返された。



Xで「優三は日本国憲法なんだ」という

ポストを見てなるほどと思った。

優三が日本国憲法のメタファーとするなら

大日本帝国時代の価値観の中で

埋もれてしまったのも頷ける。


優三は誰に対しても

常に相手を尊重する

花岡のような華やかさはないけれど

長く一緒にいても辛くならない人というか

空気のような存在というか。


寅子が優三と結婚したのは

社会的地位のためだった。

(結婚してから恋に落ちた)

直言は寅子の結婚相手が「優三くんかぁ」

「花岡くんじゃないんだぁ」と

最初は思っていたと言った。


優三が空気のような存在と書いたけど

そういう人(もの)って

普段はそこに居る(在る)のが当たり前過ぎて

存在していることすら忘れてしまう。

(ま、それが平和ってことなんだけども)

だけど非常時になった途端

存在があやふやになって

初めてその存在の大きさに

気づくのかも知れないな。

(それは人権ともいう)


例えばコロナの時とか

震災の時とか

いまみたいな長い経済不況とか…

食べ物や水、仕事や住まいとかを失った時に

その存在が浮かび上がってくるというか。

それがちゃんと

守られているのかが見えてくる。


能登半島地震で被災した人たちは

半年近く放ったらかしにされている。

夜は煌びやかな

プロジェクションマッピングに彩られた

東京都庁には昼間

何百人もの人が生活困窮者の食料支援の列に

並んでいる。

全国に子ども食堂が増え続けているのを

無策の結果とも思わず

日本政府は誇らしげにしている etc.....


わたしたちのくらしを保証してくれる憲法を

政府が守っているようにはとても思えない。

全て自己責任にされているとしか思えない。


日本国憲法はよく

「檻に閉じ込めたライオン」に例えられる。

権力が暴走しないように

国民を守るため

憲法で縛っておくという意味だ。


「憲法とは、国家権力が過去にしてきた失敗を繰り返さないために、その失敗をリスト化して禁止したもの」と

憲法学者の木村草太さんが言っていた。


だから

でかい声で闇雲に

憲法改正を唱える為政者には

注意しなくてはならないのだ。



※またまた書ききれず

更に次に続きます。


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