翠邑日誌
Suiyu’s Diary
榎本翠邑
元書法展会員、元太玄会会員、元瑞雲会評議員同人、
元全国書道師範連盟会員、
元東京書道教育会会員、英国ではブルネル大学ギャラリー、アルバートホール等
での展示、英国BBCテレビ「天皇」等があり、また「俳画」・「水墨」・
「書」・「花」等の書の担当での出版物があります。
東京生まれ。
7月 百人一首
90 殷富門院大輔
百人一首 90 殷富門院大輔
殷富門院大輔
いんぷもんいんのたいふ
90番
見せばやな 雄島(をじま)の
蜑(あま)の 袖だにも
濡れにぞ濡れし 色は変はらず
みせばやなをじまのあまのそでだにも
ぬれにぞぬれしいろはかはらず
©榎本翠邑 書
私の袖をあなたに見せたいわ。
悲しくて涙も枯れて血の涙になったのよ。
松島の雄島の漁師の袖だって、
こんなにはならないわ。
泣きすぎて血の涙で濡れた袖を
見せたいものです。
松島にある雄島の漁師の袖でさえ、
波をかぶって濡れに濡れても
色は変わらないというのに私は
涙を流しすぎて血の涙が出て、涙を
拭く袖の色が変わってしまいました。
本歌取り
この歌は百人一首にも登場する源重之
(みなもとのしげゆき)48番が詠んだ
松島や 雄島の磯にあさりせし
あまの袖こそ かくは濡れしか
という歌を本歌(ほんか)にした
「本歌取り」の歌です。
©japansuibokucentre
本歌取りというのは、昔の有名な歌の
一部を引用したりさまざまにアレンジして
新しい歌を作る、和歌の技法のひとつです。
松島の雄島の磯で漁をしている
海女の袖くらいでしょうか、
涙をぬぐう私の袖より
濡れているものといったら。
「雄島」は、宮城県にある島々の
一つです。
42番の「末の松山」と共に、
東北地方の歌枕として、昔から
歌の題材にされてきました。
重之の歌は
「つらい恋で涙を流し、松島の雄島の
海女(漁師)の袖くらいでしょう、
私の袖のように濡れているのは」
と詠っています。
返歌で大輔は、重之に答えて
「私の袖こそ見せたいものです。
涙も枯れて血の涙が流れ、
色が変わってしまったのですから。
松島の雄島の漁師の袖でも
こうはならないでしょう」
と詠ったのです。
©榎本翠邑 書と画
血の涙
袖の色が変わったのは、泣きすぎて
涙が枯れ、ついには血の涙が
流れたためで、これは中国の
故事から来ています。
〔韓非子、和氏〕和(くわ)、
乃ち其の璞(はく)を抱きて、
楚山の下に哭(こく)すること、
三日三夜、泣(なみだ)盡きて、
之れに繼ぐに血を以てす。
「血涙」(けつるい)とは、
中国の古典から来た言葉で、
中国戦国時代の法家である韓非の著書、
「韓非子」(かんぴし)によりますと
「ある農夫が畑で宝石の玉(ぎょく)
の巨大な原石を見つけました。
王に2度献上しましたが、磨いても
石のままだったので、王に両足を
切られてしまいました。
そこで農夫は激しい怒りや悲しみ
のために激しく泣いて血の涙を
流しました。
©japansuibokucentre
結局3度目に玉が磨き出され、
農夫はやっと称えられたという
物語から来ています。
「血涙」は激しい怒りや
悲しみのために流す涙。
血のなみだのことです。
血の涙。悲痛を極める。
この歌は「袖の色が変わる」と語って、
涙が枯れて血の涙が出るほど激しく
泣いたことを暗示しています。
これを大げさに表現した歌です。
殷富門院大輔
殷富門院大輔
(いんぷもんいんのたいふ)
(1131ー1200)
従五位下、
勧修寺流藤原信成(のぶなり)
の娘で、勧修寺流
(かじゅうじりゅう、かんじゅじりゅう)
は、藤原北家高藤流の公家
(公家貴族)でした。
母は従四位式部大輔菅原在良
(すがわら の ありよし)
の娘で、一説に道尊僧正どうそん
の母とも言われています。
若い頃から後白河院の第1皇女、
殷富門院(亮子内親王)
(りょうし(あきこ)ないしんのうに
姉とともに仕えました。
©榎本翠邑 書
当時は、小侍従(こじじゅう)と
並ぶ女房の歌人として有名で、
千首の歌を詠んだといわれ、
「千首大輔」と言われています。
1192年に殷富門院に従って出家し、
尼となり69か70歳で亡くなりました。
歌人としての殷富門院大輔
藤原定家は日記「明月記」の中で、
9月末、当時27歳の時の出来事を、
書いています。
夕方定家は大輔のもとを訪れ、
文学や芸術の話をしていた中、深夜に、
いとこの藤原公衡(きんひら)も
大輔に会いに馬でやって来ました。
大輔は他の女房たちも招き夜明けまで
和歌や連歌を楽しんだとあります。
このようにまだ20代だった藤原定家、
藤原公衡(きんひら)など若い歌人たち
からを敬愛されていたようです。
定家が撰者の「新勅撰集」には
女性で最多の15首が入っています。
なお、歌の技法などは藤原定家の父、
83番藤原俊成に学んでいます。
藤原定家が撰者の「新勅撰集」には
女性で最多の15首が入っています。
©榎本翠邑 書
勅撰集
千載和歌集5続後撰和歌集6
新後撰和歌集1続後拾遺和歌集1
新拾遺和歌集4新古今和歌集10
続古今和歌集2玉葉和歌集4風雅和歌集4
新勅撰和歌集15続拾遺和歌集1
続千載和歌集2新千載和歌集2
新続古今和歌集2
歌合
1160年 太皇太后宮大進清輔歌合
1170年 住吉社歌合
1172年 広田社歌合
1178年 別雷社歌合
1182年 寿永百首
後京極摂政家百首歌
1195年 民部卿家歌合
私家集
「殷富門院大輔集」
(鎌倉時代前期写本 伝藤原為家筆
冷泉家時雨亭文庫 重要文化財)
(宮内庁書陵部本の親本) 305首
「殷富門院大輔集」
(寿永百首家集・続群書類従本) 110首
©japansuibokucentre
京都白川の俊恵法師の別邸で開かれた
「歌林苑」(かりんえん)の歌会の
メンバーで、源頼政、8寂蓮法師、
西行法師らと親交があり、
多くの贈答歌が残っています。
殷富門院大輔 人丸はか尋て仏事を
こなふとて 人々に尺教歌よませ侍けるに
権中納言長方かきつめしことはの露の
かすことに 法の海にはけふやいるらん
鴨長明の「無名抄」の中で
近く女歌よみの上手にては、
大輔、小侍従(こじじゅう)
とてとりどりにいはれ侍りき
近ごろの女流歌人のなかで上手なのは
殷富門院大輔と小侍従であると
さまざまにいわれていると書かれ、
当時名ある女流歌人であると
認められていました。
その歌風は「歌仙落書」によると
「古風を願ひてまたさびたるさまなり」
(古いスタイルの和歌を手本として
古風な趣があり、また一方では、
本歌取(ほんかどり)のことが
挙げられています。
そのライバルと目されていた
小侍従と夜通し連歌に興じることも
あったとあります。
「無名抄」(むみょうしょう)には
大輔と小侍従の歌才を比較した
85番、俊恵法師の言葉があります。
©榎本翠邑 書
「近く女歌よみの上手にては、
大輔、小侍従とてとりどりにいはれ侍りき。
大輔は今少し物など知りて
、根強くよむ方(かた)は勝り、
小侍従ははなやかに、目驚く所よみ
据うることの優れたりしなり」
個性は違いますが、2人とも優れた歌人
だと称賛されています。
大輔は歌の道に深く学んでいたことや、
その教養をふまえて、根強く工夫して
詠むことが知られていたようです。
殷富門院大輔の物見遊山
1191年頃、殷富門院大輔集は
南都への巡礼に出かけ、
東大寺で再建間もない大仏を拝した後、
興福寺南円堂、一言主社等を
参拝しました。
荒廃した元興寺
元興寺ことのほかに荒れて
煙のたぐひにはなくて うてなの
露しげきに似たり
飛ぶ鳥や飛鳥の仏あはれびの
そのはぐくみに漏らし給ふな
これに智光が曼陀羅おはします
夢のうちに手の際みせし極楽を
とくみのりにぞ思ひあはする
大輔は比叡山では登離ましたが、
当時は山そのものが「女人結界」
とされ、仏教の聖地である高野山や
比叡山も「女人禁制」でした。
大輔はそれを「くやしいと」と
書き残していました。
ちなみに霊山や寺社における女人禁制は
明治5年に解除されました。
それから仲間と四天王寺や
住吉大社を参詣しています。
寂蓮法師らと奈良まで出かけ
和歌の歌聖と呼ばれ、称えられている
柿本 人麻呂(かきのもと の ひとまろ)
の墓を訪ね、て仏事を営み、
在原業平の遺跡を訪ね当代の
有名歌人達に和歌の詩歌をよんで
宮中や社寺などに差し出す
行事を主催していました。
仲間の僧侶たちと難波に療治に出かけ、
みそぎなどのため、海水につかる
「潮浴み」(しほゆあみ)をしています。
©殷富門院大輔の書
殷富門院大輔集から恋の歌4首
もらさばや思ふ心をさてのみは
えぞ山しろの井手のしがらみ
新古1089
ひそかに伝えたいわ、
私があの人を思うこの気持を。
こうして堪え忍んでばかりなんて嫌。
山城の井手のしがらみだって、
水を漏らすじゃないの。
題しらず
逢ひみてもさらぬ別れのあるものを
つれなしとても何歎くらん
新勅撰749
逢って契りを交わしたからって、
避け難い永遠の別れというものが
あるじゃないの。
あの人がつれないとからといって、
私は何を歎いているのかしら。
【本歌】業平母「古今集」
老いぬればさらぬ別れもありといへば
いよいよ見まくほしき君かな
よみ人しらず「後撰集」
逢ひ見ても別るる事のなかりせば
かつがつ物は思はざらまし
いかにせん今ひとたびの逢ふことを
夢にだに見てねざめずもがな
新勅撰976
©japansuibokucentre
どうしよう。
なんとか、あの人に逢いたいの。
今一度あの人と逢うことを、
せめて夢にだけもいいから、
そのまま眠りから覚めずにいたい。
【本歌】和泉式部「後拾遺集」
あらざらんこの世の外の思ひ出に
今一たびの逢ふこともがな
はかなしなただ君ひとり世の中に
あるものとのみ思ふはや我
殷富門院大輔集
情けないことだわ。
わたし、この世界にあなた一人しか存在
しないとでも思っているのかしら。
おしまい
ではまた、ごきげんよう。
ありがとうございました。
ごこれからもよろしくお願い申し上げます。
お便りはこちらまで 上田トミ
japansumie21@gmail.com
使用可能
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写真などは©翠邑の名前を
入れて使用できますので、
©翠邑
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榎本翠邑 動画
動画はこちら
http://www.youtube.com/watch?v=XanIYY7Q-cM&
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書
http://www.youtube.com/watch?v=R2Mw3u3-DAs
翠邑が書いています。
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