翠邑日誌 

Suiyu’s Diary

榎本翠邑

元書法展会員、元太玄会会員、元瑞雲会評議員同人、

元全国書道師範連盟会員、

元東京書道教育会会員、英国ではブルネル大学ギャラリー、アルバートホール等

での展示、英国BBCテレビ「天皇」等があり、また「俳画」・「水墨」・

「書」・「花」等の書の担当での出版物があります。 

東京生まれ。
 

5月

百人一首 

88 皇嘉門院別当

 

百人一首 88 皇嘉門院別当

 

 

©榎本翠邑書

 

皇嘉門院別当

(こうかもんいん・べっとう)

 

難波江の 蘆のかりねの 

ひとよゆゑ みをつくしてや 

恋ひわたるべき

 

なにはえの あしのかりねの 

 ひとよゆゑ みをつくしてや 

こひわたるべき

 

 

©榎本翠邑 書

 

 

難波の入り江に生えている芦を

刈った短い根っこみたいに、

たった一夜の仮寝(かりね)

だけなのに、交わした男の

ことが忘れられないの。

座礁防止の標識の澪標

(みおつくし)みたいに、

なんで私が身を尽くしてあなたを

恋し続けなきやならないの?

 

(遊女の心で読んだ、

又は若かりし昔を詠んだ歌)

 

歌会と詩

 

源頼朝の後援で摂政となった

藤原兼実こと九条兼実

(くじょうかねざね)が

右大臣のときに開いた歌会で、

「旅宿に逢う恋」という題詠でした。

 

千載集 恋三807
詞書:「摂政、右大臣の時の家の

歌合に、旅宿逢恋といへる心をよめる」

兼実家歌合での歌が1175年の

歌合とすると皇嘉門院聖子は53才頃。
若かりし昔を詠んだ歌

だったのでしょうか。

平安時代、女性の許へ男が

出かけていくという、

「通い婚」が慣習だった時代でした。

 

この歌は皇嘉門院が遊女の 

立場に自分を置いて作った歌

と言われています。

 

難波江というのは現在の

大阪府大阪市の南部一帯の湾岸で、

難波潟のあたりには遊女が

多くいたようです。

 

©japansumiecentre

 

この歌は、「芦の刈り根」と

「仮寝(かりね)」、「一節(ひとよ)」

と「一夜(ひとよ)」、

「澪標(みおつくし)」

と「身をつくし」などを

掛詞としてあしらい、技巧を凝らし

尽くした歌として表現しています。

 

難波の入り江に生えている、

芦の刈った根の一節(ひとよ)

ほどの短いたった一夜(ひとよ)

ではないが、私は澪標(みおつくし)

のように、身を尽くして恋し続け

なければならないのでしょうか。

 

 

皇嘉門院別当

こうかもん・いんのべっとう

 

  生没年不明)とは太皇太后亮 

源俊隆の娘で、崇徳天皇の皇后 

皇嘉門院、関白藤原忠通の娘

に仕えて、別当という役職についていた

ことからそのように呼ばれています。

 

 

定家が皇嘉門院別当を 

百人一首に選んだのは

「皇嘉門院」崇徳院后という名

を百人一首に入れたかった

と言われています。

順番は76番忠通-

77番崇徳院-

88は番皇嘉門院です。

 

崇徳院の悲劇と皇嘉門院は

自然に繋がっていたからだと

言われています。

 

©榎本翠邑 書

 

皇嘉門院別当

(こうか・もんいん・べっとう)

 

平安時代末期の女流歌人です。

生没年は不詳ですが、

推定1125年頃。

 

太皇太后宮亮

(たいこうたいごうぐうのすけ)

源俊隆(みなもと のとしたか)

の娘で、で大蔵卿源師隆

(みなもと の もろたか)

の孫にあたります。

 

77番、崇徳天皇の

中宮皇嘉門院藤原聖子

(こうか・もんいん・

ふじわら の せいし/きよこ子)

摂政藤原忠通

(ふじわら の ただみち)

の娘に仕えた女房でした。

 

父が「皇太后宮亮」になり、

その縁で「皇太后の女房」として

出仕したと想像できます。

 

皇嘉門院 

 

皇嘉門院というのは

崇徳天皇(七十七)の皇后
藤原聖子(せいし)の

院号(いんごう)です。


院号は皇后や皇太后、内親王

などに贈られる名前で、
贈られた人は女院と呼ばれます。

 

©榎本翠邑 書

 

中宮皇嘉門院藤原聖子聖子

が1142年「皇太后」になった

ときが18歳で、1150年、

「皇嘉門院」になったときが

聖子26歳でした。

 

中宮皇嘉門院藤原聖子は、

1156年の後、聖子の夫、

崇徳は保元元年、1156年

保元の乱で讃岐へ流され

ましたが、聖子は父、藤原忠通、

九条兼実の支援を得て、

出家の身で都で過ごしました。

 

夫の崇徳院が讃岐に流された

ため聖子は出家し、1181年に

亡くなっています。

 

別当、皇嘉門院はその頃1181年

には出家して57歳で尼になって

いたことが、九条兼実(かねざね)

の日記「玉葉」(ぎょくよう)に

記されています。

 

©japansumiecentre

 

別当は、家政を司る役目のことです。

「皇嘉門院別当」は1182年

皇嘉門院が亡くなるまで、

皇嘉門院に仕えました。

 

没年は不明です。

左京四条二坊六町に邸宅があった

という記録が残っています。

 

九条兼実(くじょう‐かねざね)

は異母弟に当たり,その縁からか,

1175年、右大臣兼実家歌合を

はじめ兼実関係の歌合に

参加しています。

 

(千載集)以下の勅撰集に

9首入集しています。

(百人一首)には

難波江の芦のかりねのひとよ

ゆゑみをつくしてや恋ひわたるべき

がとられています。

 

 


(おしまい)

 

 

 

ではまた、ごきげんよう。

 

ありがとうございました。

 

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ごこれからもよろしくお願い申し上げます。

お便りはこちらまで 上田トミ 

japansumie21@gmail.com

 

 

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ありがとうございました。

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