<5>浅野佑介のカンボジアで起業。カンボジアからブランドを。 | Sui-Joh〜カンボジア発アパレルブランド〜

Sui-Joh〜カンボジア発アパレルブランド〜

Sui-Johは2012年にプノンペンで生まれた、世界にひとつを作るシャツ・アパレルブランドです。
試行錯誤や喜怒哀楽が散りばめられたこのブログ&Sui-Johをよろしくお願いします!
そしてカンボジアから「Happy」が、水の上を漂う笹舟のようにぷかぷかと届きますように。

スースダイ、浅野です。

 

前回に続きです!

どんな幸運が起こって、今へと繋がったのか。

 

”人生とは何かを計画している時に起こる別の物語” 

星野道夫「旅をする木 (文春文庫)」より。

 

僕はこの一節が一度読んだ時から、頭から離れませんでした。

 

そして僕の人生も、その言葉のようになったいきます。

 

一番の幸運だったのは、

当時2010年頃は日系の縫製工場の進出、視察がとても多かったことにつきます。

そして、進出する1社と日本で働いていた時の奇遇な繋がりのお陰で、

繋がることができたと考えると、人生全てに無駄なことはないのだな、と思うのです。

 

その社長さんには今でもお世話になりっぱなしなのですが、

その縫製工場(以後A社)で働いている技術指導者のDさんと食事をよく一緒に食べにいくようになりました。

 

Dさんはずっとフランスで某有名ブランドのパターンナーとして働いていた筋金入りの技術者。

カンボジアへ惹かれた理由は、映画「キリングフィールド」を見てから、ずっとカンボジアへ来たかった、と話してくれました。

もう定年を迎え、最後にカンボジアで働きたくて、A社へ入社したとある晩打ち明けてくれました。

 

一緒にお酒を飲んだり、ローカルのBBQを食べたり、

時間を共有するなかで、<4>で起こったテイラーメイドのシャツのクオリティ問題を愚痴程度に話したのです。

するとDさんから、

「ローカルテイラーを見ている限り型紙に関する知識が希薄だが縫う技術はある。

しっかりした型紙があれば、奇麗なシャツが完成すると思うよ」

とアドバイスがありました。

 

でも、僕にとってはその会話は上の空と言うか、

僕とは無関係な世界の話だと思っていたのです。

 

だって僕は日本に居た頃から服を買う側の人間であり、

型紙なんて作ったこともなければ、

ミシンだって中学以来触った事もない。

 

僕は「そうなんですか〜」と気のない返答。

 

すると、Dさんから予想外の言葉が投げかけられたのです。

 

「俺が型紙教えてあげるから、習うか?」と。

 

この一つの言葉から怒濤の時が始まったのです。