スースダイ、浅野です。
前回に続きです!
どんな幸運が起こって、今へと繋がったのか。
”人生とは何かを計画している時に起こる別の物語”
星野道夫「旅をする木 (文春文庫)」より。
僕はこの一節が一度読んだ時から、頭から離れませんでした。
そして僕の人生も、その言葉のようになったいきます。
一番の幸運だったのは、
当時2010年頃は日系の縫製工場の進出、視察がとても多かったことにつきます。
そして、進出する1社と日本で働いていた時の奇遇な繋がりのお陰で、
繋がることができたと考えると、人生全てに無駄なことはないのだな、と思うのです。
その社長さんには今でもお世話になりっぱなしなのですが、
その縫製工場(以後A社)で働いている技術指導者のDさんと食事をよく一緒に食べにいくようになりました。
Dさんはずっとフランスで某有名ブランドのパターンナーとして働いていた筋金入りの技術者。
カンボジアへ惹かれた理由は、映画「キリングフィールド」を見てから、ずっとカンボジアへ来たかった、と話してくれました。
もう定年を迎え、最後にカンボジアで働きたくて、A社へ入社したとある晩打ち明けてくれました。
一緒にお酒を飲んだり、ローカルのBBQを食べたり、
時間を共有するなかで、<4>で起こったテイラーメイドのシャツのクオリティ問題を愚痴程度に話したのです。
するとDさんから、
「ローカルテイラーを見ている限り型紙に関する知識が希薄だが縫う技術はある。
しっかりした型紙があれば、奇麗なシャツが完成すると思うよ」
とアドバイスがありました。
でも、僕にとってはその会話は上の空と言うか、
僕とは無関係な世界の話だと思っていたのです。
だって僕は日本に居た頃から服を買う側の人間であり、
型紙なんて作ったこともなければ、
ミシンだって中学以来触った事もない。
僕は「そうなんですか〜」と気のない返答。
すると、Dさんから予想外の言葉が投げかけられたのです。
「俺が型紙教えてあげるから、習うか?」と。
この一つの言葉から怒濤の時が始まったのです。