叶子(かなうこ)です3歳の時、誰に教えられるわけでもなくこの世には引き寄せの法則がある事に気付き、中学生でマスター。本当に親しい友人にだけその話をしていましたが、考え方や実践方法など周りがあまりにも「幸せになった」と喜んでくれるため皆さんにも共有出来たら、とブログスタート
ここで書いた経歴の詳細を一つずつ書いて行こうと思う。
まず一つ目の経歴、全くの未経験から、3ヶ月で六本木の高級クラブでNo.1になった話をしたいと思います。
もちろん、スタートは一筋縄ではいかない波乱の展開に…。
水商売は、最も最初に選択肢から外した職業だった
上京し、東京砂漠で就職した会社内で、「不倫を持ちかけられる」という形で職を秒で失ってしまった叶子でしたが
その後生活する為に何を仕事にするか考えます。
その中で、最も興味もなければ憧れもなく、完全に縁がないと思い、最初に選択肢から外したのが水商売。
元々地味な性格だし、夜遊びやクラブ、派手な遊びは全く興味がない、更にブランド品にも興味なし、バーキン?なにそれ?
そして、極め付けは夜は寝たい。
全然やりたくない!!寧ろ避けたい、だってこわい!!どんな世界かもわからない、いじめられたら?
っていうかそもそもお酒好きじゃないし、飲めない!!!
水商売をやるには圧倒的不利すぎる!!
そんな私がなぜ水商売を選んだかというと、それは少し過去に遡る。
無職になった瞬間、私は大学時代のとあるエピソードを思い出した。
当時私は京都の大学に通いながら、ユニクロのシャツが制服のクリーニング店で受付のアルバイトをしていた。
そこにド派手な祇園のママがお客様として来ていた。
すごく綺麗で細身のモデルのような美しい方。まるで芸能人。
いつもDolce & Gabbanaの素敵なドレスをクリーニングに出してくれていた。
当時は私も20歳なのですごく大人に見えたが、今思えば30代前半〜半ばくらいだったのではと思う。
私はそのママから、お店に来る度にスカウトを受けていたのである。
でも、夜の世界なんて興味もないし、怖いしで断り続けた。
それに私自身美人なタイプではなく、どちらかというと童顔で幼く、実際このママにも
「あんた、おぼこいな〜〜」
と言われていた。
おぼこいとは関西弁で、あどけない、幼い、可愛らしいという意味。
どこからどう見ても、私のイメージする祇園のホステスとはかけ離れた容姿。
なので何がポイントで誘ってくれていたのかわからなかった。
そんなエピソードを思い出したのと
せっかく東京に来たんだから
という理由から。と、
なんかチャンス落ちてそう
なんの?
それと
自信はないが、まぁ出来なくはない見た目
これのみ。
フットワークが軽い自分、ありがとう!とりあえずやってみるか精神で、その世界へ足を踏み入れる(実はめっっっっちゃくちゃ怖かった!!)。
夜の世界に興味が全くなかった私は、スナック、ラウンジ、キャバクラ、クラブの違いが全くわからないほど無知だった。
ネットで色々なお店をリサーチしつつ、とりあえず時給が良さそうなお店をピックアップ。
田舎者の私は、水商売=歌舞伎町という短絡的な考えと、20代前半だったこともあり歌舞伎町のお店に問い合わせの電話をする。
めっっっちゃくちゃ勇気を出しての電話。何度も何度も電話しようとして出来ずに、数日過ぎたくらいだ。
お店に電話をすると「明日面接に来てください。で、良ければそのまま働いて。」と言われました。
あーーーードキドキしたーーー!!でも、電話してみたらあっけなかった、とりあえず前に進んだ!!という安堵感があったのを覚えています。
今から思い返すと最早100年前と言ってもいいくらい昔ですが、今でもはっきりとお店の場所、内装を覚えている。
面接に行き、無事採用となりそのまま体験入店。1日目は初めての夜のお店に緊張して、何がなんだかわからないまま終わってしまった。
が、何となく出来そうだったので続ける事を決める。
「明日も今日と同じ時間に来てね」と言われ、その日のお給料を受け取り帰宅。
しかし、次の日驚くべきことが起こるのである…!ここでもまた大都会東京の洗礼を受ける事になるとは…。
2日目、出勤すると衝撃な光景が
無事体験入店を終え、まだ夜の街に恐れを感じつつも、「自分が決めた事だ!!」と気合を入れて2日目出勤!!
覚えたばかりの歌舞伎町の道を力強く歩き、やっとお店に辿り着くと、なんとそこには…
昨日まで
あったはずの店がないのである。
正に驚きの光景。
「は…?!?!!!!!!」
え?!!!え!!!?!!!!そんな事ある?!!!!!
私はパニックになり、しばらく立ち尽くして動けませんでした。
ちょ、ちょっと待って、頭整理する!!え??場所ここじゃなかった??店がないけど…え?!!!!!
数分立ち尽くし、冷静に考えても場所はここで間違いないと悟り、担当者に電話。
繋がらない‼︎
繋がるわけがないのである。
次の日に店が無くなる事わかってて、「明日もこの時間に」って言ったの?!
そもそも、従業員になんの告知もなく「店がなくなる」なんて、ある?!!?!!!
これが東京…!!!!
私は絶望した。
あんなに勇気をだして電話をし、一大決心で歌舞伎町デビューを果たした私の努力はなんだったのか…!
しかし、ないものはない!!何度見ても店はない!!立ち尽くしていても仕方ないのである。
いわゆる「とんだ」というやつだ。
こうして私は途方に暮れながら、大人の階段をまたひとつ、登ったのであった。
つづく