叶子(かなうこ)です3歳の時、誰に教えられるわけでもなくこの世には引き寄せの法則がある事に気付き、中学生でマスター。本当に親しい友人にだけその話をしていましたが、考え方や実践方法など周りがあまりにも「幸せになった」と喜んでくれるため皆さんにも共有出来たら、とブログスタート
こんにちは、叶子(かなうこ)です✨✨
今日は叶子の生い立ちを書こうと思います。
すまんが自分語りをさせてくれ。
幼少期
子供の時から感受性がとても強く、お母さんとお腹の中で話していた内容を覚えていたり
自分の中の自分とずーっと楽しくおしゃべりしていたり
絵が大好きで一日18時間も絵を描いていたり
あんま友達いなかったです
〜fin.〜
いやいや、ちょっと待って!!fin.って!!
fin.って!!!
まだまだこれからだから!!
気を取り直しまして
とにかく子供の時から言葉では上手く言えない不思議な感覚を持っていて、母親を困惑させていました。
「頭の中にもう一人の叶子ちゃんがずっといて〜、楽し〜、楽し〜。リカちゃん人形の顔が変わった〜、怒ってる〜、しゃべっている〜」など、謎な事を言い出し、空を見つめ続け、そして笑い、親を戦慄させる。
そして月曜日〜土曜日まで休みのない習い事地獄が強制される!(それは10年ほど続く)
「あ、この家では私の意見は何も通らず、人権などないのか…了解!」と思って心を殺して育つ。
家庭環境はというと、正直あまり良くなかったです。
更に、家族と自分の感性が違いすぎてものすごく違和感を感じ、心が全く開けなかった。
家族が外国語を話しているように感じたくらい!
私は感受性が強すぎたのか、学校でも家でも全く居場所がなく何もかもが大嫌いでした。
特に家族関係で死ぬほど悩む。
今となってはとても大切なたった1人の姉とも上手くいかなかったんです。
特に姉は、超絶マイナス思考な私とは正反対の性格で楽天的。「楽しい事にしか興味ない」なパリピで合うはずもない。
同じ人間とすら思えなかった。 向こうもそうだったと思う。
成績は姉も私もすごく良かったです。
すごく褒められるというよりは、オール5で当然、といった空気が家には流れていた…。
お母さんとは大きな衝突はなかったものの、習い事強制してくるので好きではなかったです。(今では大好き)
おじいちゃん、おばあちゃんとも一緒に暮らしていたのですが、もちろん好きではない。
どうしても家族が大嫌いで、憎くて、辛くて、悲しくて
特に父親に関してはいつも「俺」で、「父親」や「夫」だった事はなかったと思います。常に、「俺」。
育児?なにそれ?おいしいの?
そして時々めちゃ怒る。怒りまくって家のもの壊しまくる。
(父は仕事から帰ってきたら、毎日腕立てやダンベルで180キロある巨体を鍛え上げていたのだ…)
そんな父が怒る、怒る。
子供だからわんわん泣くよね?それがうるさくてリモコン折ったり、電話折ったり、足でドア蹴って穴あけたり。殴られたりの暴力こそなかったけど
こえーよ。いやマジ
高校生の時、何かを食べる私に対して「デブ、デブ」と言葉の暴力もあり、父親の前で何かを口にする事が怖くなった。
私の体重はその時身長に対して平均的な体重だった。後にこの経験は摂食障害へと繋がる。
おかげで私は家庭の中でビクビクし、安心して暮らした事がなかったのです。
自分に自信がなくなり、常に自分を責め、自尊心が全く育ちませんでした。
親に隠れて布団の中で毎日泣き続ける日々。延々とそれが続く。
「ごめん、いつか私父親◯すわキリッ。」
そう思っていた。
もう心はバラバラ。
繊細すぎるガラスのハートを持っている、と思っていたけれど、私の心はガラスどころか
飴細工。
しかし、そんな事をするよりも自分が消えた方が早いので
「私はこの人生を苦に、自ら◯ぬのだろうなうんうん。」
と、小学校5年生の時にはそんな未来を思い描いていました。
中学時代〜大学時代
中学生になり、いよいよ人が嫌いになる。友達いらない、話しかけるな、消えろ
こんな汚い言葉がずっと頭を飛び交っていた。
ですがここで、子供の頃から教えられなくとも何となく気づいていた引き寄せの法則の存在にガッチリ確信を持つ。
しかも、使える。
当時は「引き寄せの法則」なんて言葉なかったので、「なぜか願いが叶うやり方」と自分で名付けていました
が
引き寄せの法則が使えても全っっ然幸せじゃなかった私↓
の記事にあるように、欲しいものは引き寄せられるし、願った状態に必ずなるのに地獄のような日々を送る。
高校になったら、もう殆ど学校で話をしなくなった。
仲の良い子は1人、2人はいたけど、クラスでは1日に一言も話さない日もあった。
もう人生どーでもいー
こう思ってた。
「人生が余った」、と。
全部すっとばして、老人になりたいって。
今思えば、素晴らしい家族関係引き寄せろよ!!って思うんですけど、そんな事思いつくはずもないくらい、家族の事は諦め失望していた。(というか、幸せ家族が想像もつかない)
そこから大学へ行くのですが、大学で状況は少し良くなります。
実家である愛知から、京都の大学に行く為に初めて家を出て一人暮らしを始めるんですね。
もう今まで環境がボロボロだったし、精神もボロっボロだったので大学では心理学を学ぶ。
音楽サークルに入ってまぁまぁ楽しかった。
まぁでも…
私はこの人生を苦に、自ら◯ぬのだろうなアゲイン。
という気持ちは常にありました。
長くなってしまうので、今日はここまでにして次回に続きます!
叶子♡