夜明けまで、あと少し

夜明けまで、あと少し

日々思うことを不定期に綴る備忘録。

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意味のわからないことを押し付ける時、

とりあえず「恒例」だからとか、「歴史」があるからとかいう。


職場で訳の分からない書類業務が追加されたが、

担当者曰く「例年どおり」。

おいおい。

ワタクシ、この学校で4年連続で担任もってますが…

こんなの今までなかったよ?

…と、言ってみたけど、「例年通りですからっ!」。

意味がわからないが、歴史の改竄が行われた以上、

何を言っても無駄。

言ってる暇に仰る通りの二度手間をやってあげる方が早そう。

無駄だけど、ね。


コロナも落ち着かんのに、国民の8割が延期か中止を推してるのに、

復興しきれていない東北から始まった聖火リレー。


4年に一度というのが「恒例」だから、状況無視してやりたがるオリンピック 。

オリンピックやるなら「恒例」だから、「歴史」を繋げなきゃいけないからと、

無理やりおっぱじまった聖火リレー。


だがしかし。

聖火リレーの歴史はナチス主導のベルリン大会から。

表面的にはオリンピアからの火を繋ぐことで古代からの「歴史」の強調。

一枚裏はドイツ民族の優位性や正当性の主張のため。

さらにもう一枚めくると、後に諸国に侵攻するときに国境を通過する最短かつ安全なルートをそれとなく知るため。


そんなものの「歴史」を、世界情勢無視して、参加者を危険に晒してまで、守る必要あるんですかね?


聖火リレーに参加する人もアスリートも、複雑な気持ちになりそう。

この人たちは、お上に「やる」って決められちゃったら、断るには相当勇気がいる。

参加しても辞退しても、どっかから叩かれる危険性がある。


なんだかなぁ。

オリンピック開催されても、きっとワタクシは見ないだろうなぁ。

だって、素直に応援できないもの。


ひとのコトバには裏側…というか、行間というモノがあります。

そこも含めて受け取り、返すことも、コミュニケーションの大事なところ。


なのですが…。


100%額面通りにしか受け取れない人もいます。

アスペルガーさんに多いのだけど、ね💦


先日、授業評価アンケートなるものを実施しました。

大概は参考になる結果なのですが、

中には、嫌いな教師を匿名でdisり倒せるチャンスと捉えるお子さんもいまして…

自分の授業の結果じゃないのに読んでて嫌ぁな気分になるものもあったり、なかったり。


ワタクシに関してはあるクラスからのみ苦言をいただきました。

「感情を押し付ける」「雑談したくせにうるさいって名指しで言う」。


ん?


そのクラスは、支援が必要なお子さんが多めかな?というクラス。

だからこそ、誰かを名指しで吊るし上げることなど、絶対にあり得ないw

やられた子はもちろん、そばで見ているだけでも、不安になる子が多そうですから。


ベル席がなかなかできなくて、そのたびに開始早々叱っても雰囲気が悪くなるので、

「残念だなぁ」と言うようにしてました。

ある日ちゃんとできた時に「嬉しいなぁ。すぐ授業に入れると気持ちいいね」とは言いましたさ。


これをアスペルガー的に額面通り受け取ると、

「感情を押しつけて機嫌取りを要求された」

になるワケです。


一時間いっぱい全員に集中を保ってもらうのは難しいので、確かに雑談は多めに入れてます。

その中で、ここまでは許されるだろうとの関係性を元にこちらを弄ってくるお子さんもいます。

ADHD傾向があると、それが楽しくなっちゃって止まらないケースもあります。

そんな時には、こちらも軽口を叩き合える関係性を元に「おだまりっ(笑」と返すこともありますさ。


これをアスペルガー的に額面通り受け取ると、

「自分からふざけといて、黙れと怒った」

になるわけです。


アスペルガーのお子さん以外がみなさん定型さんであるならば、論理的に指示して、できたら褒めるというのがテッパンではありますが…

それはそれで、なんとなく冷たい雰囲気になりがちではあります💦

コトバの裏側も駆使した、ニンゲンらしい交流を求めまくるかまってちゃん系のお子さんがいた場合、これはこれで文句言いまくられるパターンとなります。


というわけで、一言で心の通う指導をと求められましても、

十人十色、異なった受け取り方をするお子さんたちの集団への一斉指導には、なかなかの限界があるわけです。


ただ、ご家庭であれば、その子だけに向けて、その子に合った伝え方で伝えられることも多いのではないでしょうか。


ワタクシが、「基本のしつけはご家庭でお願いします」と言い続けているのは、そんな裏事情もあったりします。

「ちょす」。
北海道弁で「構う」とか「いじる」とかいうニュアンスの言葉です。

これが、私流の支援の基本です。

年齢を考えたらなんとなく幼い子、ことばや表情が少ない子、考えることや我慢することなどを駆使して人と関わるのが下手な子…。

生徒さんを多くみていると、軽度の発達障害かな?とか、幼少期の人との関わりが少なめかな?とか思うのです。

軽度の発達障害の場合、親御さんはそれとは気づかず、あるいは気づいても「すぐに他の子の発達に追いつくはず」と信じて、一般的な育児書のとおりの時期にいっぱい話しかけて、それでも反応が薄い不安と戦いながら、子育てされてきたのかもしれません。

感覚的にではありますが、その努力をされていた時、お子さんの発達がまだそれを受け取れる段階じゃなかったなんてこともあるのかな?と。

じゃ、今ならどうかな?

というのが、私の考え。

高校生なのだからと、大人扱いの話し方で「指導」をして、失敗したら「叱る」。
これを受け取れる段階ではまだないのだとしたら、不幸な歴史を繰り返すだけじゃないのかな?

というのが、私の思い。

だから、そういう気配を感じる子は、とりあえず「ちょす」ことにしています。

冗談を言ったり、いたずらをしたり。
時にはこっちが「小学生デスカ?」と突っ込まれる覚悟で。
割とどうでもいい話をたくさんするようにしています。
失敗しないように先回りの支援は、その場凌ぎでしかないので、失敗もさせちゃいます。
が!
そこでいきなり叱るというよりも、まずは笑い飛ばして「ちょす」わけです。
「なんとかなるよー」を伝えます。
その上で、「なんとかなる方法」を、ヒントをあげながら考えてもらいます。

「そんな方法ないよー」というなら、
「じゃ、誰かに助けてもらわなくていいの?」と
「へるぷみー」が言えるように促して、
言えたら全力で助けます。

まわりくどいし、変なやり方かもしれないけど、
この子達はきっと、周りの人に「助けて」が言えたら、
今より少し生きやすくなると思うのね。

「普通」と同じに、なんでもできるようには…
残念ながらきっとならないから。
それでも自分なりに考えてやってみることと、
難しければ一人で抱えずに誰かを頼ること。
この、2つができる状態にして、社会に巣立たせたいと思うから。