「ちょす」という支援 | 夜明けまで、あと少し

夜明けまで、あと少し

日々思うことを不定期に綴る備忘録。

「ちょす」。
北海道弁で「構う」とか「いじる」とかいうニュアンスの言葉です。

これが、私流の支援の基本です。

年齢を考えたらなんとなく幼い子、ことばや表情が少ない子、考えることや我慢することなどを駆使して人と関わるのが下手な子…。

生徒さんを多くみていると、軽度の発達障害かな?とか、幼少期の人との関わりが少なめかな?とか思うのです。

軽度の発達障害の場合、親御さんはそれとは気づかず、あるいは気づいても「すぐに他の子の発達に追いつくはず」と信じて、一般的な育児書のとおりの時期にいっぱい話しかけて、それでも反応が薄い不安と戦いながら、子育てされてきたのかもしれません。

感覚的にではありますが、その努力をされていた時、お子さんの発達がまだそれを受け取れる段階じゃなかったなんてこともあるのかな?と。

じゃ、今ならどうかな?

というのが、私の考え。

高校生なのだからと、大人扱いの話し方で「指導」をして、失敗したら「叱る」。
これを受け取れる段階ではまだないのだとしたら、不幸な歴史を繰り返すだけじゃないのかな?

というのが、私の思い。

だから、そういう気配を感じる子は、とりあえず「ちょす」ことにしています。

冗談を言ったり、いたずらをしたり。
時にはこっちが「小学生デスカ?」と突っ込まれる覚悟で。
割とどうでもいい話をたくさんするようにしています。
失敗しないように先回りの支援は、その場凌ぎでしかないので、失敗もさせちゃいます。
が!
そこでいきなり叱るというよりも、まずは笑い飛ばして「ちょす」わけです。
「なんとかなるよー」を伝えます。
その上で、「なんとかなる方法」を、ヒントをあげながら考えてもらいます。

「そんな方法ないよー」というなら、
「じゃ、誰かに助けてもらわなくていいの?」と
「へるぷみー」が言えるように促して、
言えたら全力で助けます。

まわりくどいし、変なやり方かもしれないけど、
この子達はきっと、周りの人に「助けて」が言えたら、
今より少し生きやすくなると思うのね。

「普通」と同じに、なんでもできるようには…
残念ながらきっとならないから。
それでも自分なりに考えてやってみることと、
難しければ一人で抱えずに誰かを頼ること。
この、2つができる状態にして、社会に巣立たせたいと思うから。