1985年の日航ジャンボ機墜落事故から8月12日で39年になる。亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

 運輸省の航空事故調査報告では、圧力隔壁の「修理ミス」とした。胴体後部圧力隔壁の破壊により流出した客室与圧空気が垂直尾翼内に流れ込み、垂直尾翼が破壊したとしている。前後方向加速LNGG(サンプルNo.4)は、18時24分35.70秒において、約0.047Gの突出が記録されている。機体重量約520キロ・ポンドを用いて約24キロ・ポンド(訳1トン)の前向き外圧が作用したこととしている。また、破壊部分からの噴流の反力/形状変化による抗力の増加はLNGGから直接的に分離できないとしている。
 私は、胴体後部圧力隔壁の破壊により流出した空気が発生したならば、前向き外圧ではなく、後ろ向き外圧が作用したのではないかと疑っています。
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DFDR(digitalflightdatarecorder)とは、デジタル飛行データ記録装置のこと。
PSIとは、圧力や応力を表す単位で、重量ポンド毎平方インチ=ポンド・スクエア・インチのこと。

 ウクライナ軍が越境した露西部クルスク州では8日、3日連続となる戦闘によりウクライナ軍が占領地域を拡大しているようだ。ロシアとの交渉材料にするため、ロシア領内に占領地域を確保しようとしているという。米紙ワシントン・ポストは、ウクライナ軍が同州で約100平方キロ・メートルを制圧したと明らかにした。ウクライナ軍が国境から北方へ最大35キロ・メートル進んだとのことだ。


 2022年11月、ウクライナ当局者は、戦争の解決には、占領された領土の回復が不可欠だとの見方を示した。ダニロフ国家安全保障防衛会議書記は、ゼレンスキー大統領の主要な条件は、ウクライナの領土の一体性を回復することだと述べた。
 2024年6月、プーチン大統領は、和平交渉を始める条件として、ロシアが一方的に併合したウクライナの4つの州からウクライナ軍が撤退することをあげた。プーチン大統領は、ウクライナの和平に向けて「具体的で現実的な提案をする」とした上でロシアがおととし一方的に併合を宣言したウクライナ東部からウクライナ軍が完全に撤退することに同意し、実際に撤退を始めれば、和平交渉を始める用意があると主張した。
 ウクライナ占領地域と占領された領土の割合・中東情勢変化・アメリカトランプ政権樹立までの時間が、和平交渉を展開させ終戦へと向かうであろう。

 神一厘の仕組みとは、大難を小難とすることであり、九分九厘迄人類滅亡するところを、神様が一厘の救いを出され、救われることす。現在この仕組みを生かせるのは、神通力を有するアラヒトガミ現人神と言われた天皇だろうと考えています。天皇家には代々伝わる霊力があり、そのお力で厄災から、日本を護り続けきたとされています。

 奈良時代から平安中期以前においては、ひじり;聖とは、①神通力のある人。②神聖な霊力を左右できる人。天皇。③儒教の聖人。などの意で用いられています。語源は「日知り」で、太陽を初めとする天体の運行・暦法に通じた人の意です。天皇を「ひじり」と称するのは、天皇を超人的な能力者と見なして、一種の称え言としてこのように言ったものであろう。仁徳記には、天皇が国見をして人民の困窮を知り、3年間課役を免除した説話を載せ、最後に、「故(かれ)、その御世を称へて、聖帝の世と謂ふぞ」とある。この「聖帝」が「ひじりのみかど」と思われます

 神一厘の仕組みが発せられた例としては、太平洋戦争末期、東京へ原爆を落とそうとしていたアメリカのB-29が、忽然と姿を消し米軍は慌てて捜索を開始したということではないでしょうか

 戦後、GHQマッカーサーは、天皇の神通力を理解していて、この秘密を聞き出し、四国剣山納められていユダヤの三種の神器「アーク」が関係していることを知り、GHQが執拗に剣山で何かを探していたと噂されています 

 聖書外典マカバイ記「アークは持ち出され日出る国の秘密の洞窟に隠した」とあります。『マカバイ記』は教派によって扱いに違いがあり、ユダヤ教とプロテスタントでは外典として扱い、カトリック教会ではを正典に収めています

 エチオピア最後の皇帝ハイレセラシェは、「ロストアークは東洋の日本に必ずある」といっています。アークとは、物質的なものではなく、神通力かもしれません。

 平戸にポルトガル船が入港したのは、1550年。イエズス会宣教師、聖フランシスコ・ザビエルは、ここから布教活動を展開した。この地の大名・大村純忠は、長崎の港を開港。1571年にポルトガル船が初めて入港し、日本の歴史の大舞台として回り始めた。日本の「窓」であったゆえに背負わざるを得なかった長崎の宿命とは。
 キリスト教に対して好意的であった豊臣秀吉は、1587年「伴天連追放令」を出した。布教によってヨーロッパが日本を侵略すると考えた秀吉は、1597年、フランシスコ会の宣教師・イエズス会修道士ら26人を長崎の西坂で処刑した。徳川時代1605年キリシタン大名の大村純忠の子・喜前はキリスト教を放棄し、宣教師を領内から追放。徳川幕府が禁教令を発令し、宣教師やキリシタンは長崎港から国外追放を受け、教会堂は破壊された。1637年から1638年の悲劇が「島原の乱」。島原・天草の領民3万7千人が、島原半島の原城に立てこもり、幕府軍によって領民は皆殺しになった。
 開港と同時に長崎にやってきたのがトーマス・ブレーク・グラバー。1859年にグラバー商会を設立し貿易に従事し。また、幕末の激動時代、坂本龍馬ら志士達を陰で支え伊藤博文らの支援など、明治維新の陰の立役者であった。「維新の風は長崎から吹いた」といわれる理由は、坂本龍馬のエピソードからだ。龍馬は、日本初の会社「亀山社中」を長崎に設立。トーマス・ブレーク・グラバーなどの商人から武器弾薬などの物資を仕入れ、日本各地へ運ぶ取引を行うことで、対立していた薩摩藩と長州藩を結びつけ、後に薩長同盟成立を果たした。大政奉還のきっかけを作った後藤象二郎と龍馬の清風亭会談、長崎を出港した船中で龍馬が書いた船中八策、丸山遊郭で行われた数々の商談や密談など、幕末から明治維新への流れは長崎から始まった。
 今日また、長崎は歴史転換期として日本の「窓」の役割となるのではないか。長崎市長は、イスラエルの大使を原爆記念行事から外すと決定した。「政治的な理由でイスラエル大使を招待していないのではなく、式典を平穏で厳粛な雰囲気の中でスムーズに行いたいのです」と長崎市長鈴木史朗氏は語った。平穏で厳粛な雰囲気を目的とする意味は、右翼、左翼のイデオロギー関係なく”事件が長崎で発生”すれば、歴史の再現となると考えたのではないか。様々批判はあるが、元国土交通官僚の長崎市長としては、冷静な判断と歴史的で世界観のある分析であると思える。
 その判断の根拠としては、過去の長崎市長の銃撃による。
・1990年1月18日、本島長崎市長が長崎市役所で公用車に乗り込もうとした本島等市長が右翼団体の男に銃撃され、1か月の重傷を負った。本島市長は市議会で「天皇にも戦争責任はある」と発言し、これに対し右翼団体などが抗議活動を行っていた。
・2007年4月17日、当時長崎市長の伊藤一長がJR九州長崎駅近くで暴力団幹部の男に銃撃され、死亡した。現職市長で事実上の信任投票といわれた候補者がテロで抹殺された。市長だけの問題でなく、ぶちこわされたのは選挙であり、民主主義であり、主権者としての市民の権利である。伊藤市長は、反核平和を世界に訴えてきた。核の先制攻撃を叫ぶアメリカを批判したり、国にも逆らって、独自の見解をはっきり述べた。長崎市民の間では、この事件が「単なる個人的な動機」ではなく、そうした伊藤市長のやり方を好まない背後勢力の意向が働いたとみられており、「テロ時代の到来か」「うかつにものもいえない時代になった」と深い怒りが語られている。
 

 パリ五輪でセーヌ川を泳いだトライアスロン選手が体調不良を訴えた問題は、古都の河川を競技場にする難しさを示した。パリの下水道網の歴史は古く、14世紀のペスト流行後に整備が始まったとされる。
 下水道整備ではいま、雨水と生活排水の配管を分離する「分流式」が主流ですが、パリ市の下水道は、雨と生活排水をいっしょに流す「合流式」(東京区部と同じ)。
 セーヌ川でオリンピックの競技が実施できるよう、パリ市やフランス政府などは新たな浄水施設を設置するなどして水質の改善を進めていて、費用は14億ユーロ、日本円でおよそ2300億円にのぼるということです。
 19世紀末まで下水道さえなかったパリでは、各家庭の汚物は道路に放り出され、その汚物が雨で流され、セーヌへと注がれていました。下水道の代わりになっていたのが、道路の路上中央溝でした。家庭の廃水と雨水がその溝に集まり、徐々に流れてセーヌへたどり着く仕組みです。人間の排せつ物も混じっていたため、その臭気は想像のつかないものだったはずです。パリは数キロ先からでも臭うと言われた「鼻の曲がる都」だったのです。1832年のコレラ流行も、パリの劣悪な衛生環境で起こるべくして起こったものといえます。
 しかし19世紀後半、パリの汚水通りが上下水道局の局長アルフォンス・デュローとアンリ・エムリによって改善されました。そのおかげで、通りの中央に汚水が溜まって悪臭を放つこともなくなりました。
 今回のオリンピック開会式・トライアスロンにみられるように、パリのセーヌ川のイメージを美化したいという戦略には、「歴史的なフランス芸術の政治化」があるように思われます。現代のブランド・料理・街並み等のイメージ戦略の原点的な例としては、ルイ14世の祝祭があると思います。それは、多くの場合,勝利の覇者のイメージとして古代ローマが選ばれ,歴代の国王は古代ローマ風の鎧かぶとに身を包んだ姿・ギリシャ神話の神々・歴史上の英雄の姿に表象されました。


 参考文献:ルイ14世と三つのヴェルサイユの祝祭 榎本 恵子著
 

 県幹部の西播磨県民局長(当時)が3月、斎藤知事・県幹部に対する告発文書を作って、県議や報道機関に配った。プロ野球阪神・オリックスの優勝パレードの寄付金集めで片山安孝副知事らが不正行為があると主張した。斎藤知事は、完全否定した。斎藤知事は、大阪・神戸市で昨年11月に行われた当該パレードを担当した元課長の男性が亡くなっていたことを明らかにした。
 兵庫県では、百条委員会が設置され、6月調査が始まった。A氏も証人として出頭を予定していた。7月7日、疑惑を告発したA氏が、姫路市内で亡くなっていたことが明らかになった。
 なぜA氏は、死を選ばざるを得なかったのか。以下、維新の会トップの政治的理由が原因とおもわれる。
 県関係者は「A氏は百条委員会に対してプライバシーの侵害を強く懸念していた」と述べる。会議のなかで一部委員からは、告発文と関係のないパソコン内のデータファイルの開示も求められた。A氏のパソコンは、告発後に人事課に押収されていた。
 しかし、ある委員からは、「人事調査にかかる資料はすべて開示すべきだ」との発言があった。その上で、データファイルをすべて確認したところすべて本件告発文の真偽の究明には関係ないもので、人事課に対して当該データファイルの開示を求めないように釘が刺されている。と前出の県政関係者が言う。
 ところが、7月8日の百条委員会の緊急理事会では、「百条委員会設置に反対したのは維新の会。本件に関係のない資料の非開示に反対したのも維新の会だけでした。緊急理事会では、ある維新の会の議員から『本文章には、知事の好き嫌いに関する記述、片山副知事の家族や学生時代の学友など、個人を特定した上でのプライベートについての記述が散見される。当事者として(A氏は)、プライベートなことを取り上げながら、自らの調査結果についてはプライベートな問題だから公開してくれるなというのは、あまりにも都合のよい身勝手な倫理。プライバシーに関係しているかどうかについても、A氏の代理人が判断するのは不適切だ』という旨の発言がありました。これにはさすがに暴論だ、という指摘もあり、他会派からの反対意見が出て調査に関係のない資料は一切提出を認めないことが賛成多数で可決されます。それでも、維新の会の議員は食い下がっていました」という。
 斎藤知事は自民党と、維新の会が相乗りして誕生した知事である。前出の県議が言う。「自民党の中でも、A氏が亡くなったことで『百条委員会の継続は困難では』という一部議員もいたのです。ですが、真実を明らかにすべきだという方が大多数で会派として継続の方向性となった。維新の会の中でも、若手を中心に『知事の対応はさすがにマズイ』という意見も少なくなかった。ですが、会の意思決定は上層部の数人が行っており、完全にトップダウン型。その対応に違和感がある県議はいるものの、声をあげられない状態なのです」
 

 本日、日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生したことにより、気象庁は南海トラフ地震臨時情報を発表しました。この地震と南海トラフ地震との関連性について検討した結果、南海トラフ地震の想定震源域では、大規模地震の発生可能性が相対的に高まっていると考えられます。南海トラフ地震臨時情報は、南海トラフ地震の発生の可能性が高まったと判断された場合、気象庁から「巨大地震警戒」、「巨大地震注意」などが発表されます。
 宮崎県の地震活動の特徴としては、主に日向灘などの県東方の海域で発生する地震と、陸域や沿岸部の浅い場所で発生する地震と、南海トラフ沿いの巨大地震としていて、かなり分かりやすくまとまっています。全ての都道府県は、最低このレベルの地震情報の提示をしてほしいです。
 将来、必ず起きる大型地震について、その予知はできるのでしょうか。日本の地震学者たちは「現状の科学レベルではとても困難」「そもそも予知が可能とは言ってない」と学者らは本音を述べています。来るべき大型地震に備え、政府や国民の予知への期待は膨らんでいます。しかし、わが国の地震対策は、混迷していることを冷静に理解すべきでしょう。

・NISAって何さ

・パリは文化、日本は文明

・お盆、神道祖先巡礼

・今年もあと4ヶ月、これを奪われた79年前夏

・9月に総裁選、相殺

・8月6日の広島の朝は、いつも晴れる

・ソチ、北京、パリオリンピック、ロシア戦争の祭典

・オリンピック選手へのNet批判、”読みぐるしい”

・アメリカ軍、中央軍なのに何故か中東にいる

・79年前に削除された、川柳

 

 

 

 原爆攻撃は、長崎の有名なカトリック集落である浦上地区最大の大聖堂をほぼ直撃した。原爆犠牲者のご冥福をお祈りします。歴史上、浦上という名前が出現したのは15世紀。16世紀には全村がキリシタンと言われた。17世紀、キリスト教の禁教令が出たのちも、17世紀から19世紀における潜伏キリシタンの中心地として信仰を守り通した。
 アメリカでは、国民の約80%がキリスト教徒であり、プロテスタントの比率が高い。マルチン・ルターは、16世紀に、フリー・メーソンの陰謀といわれている宗教改革の主人公だった。
 アメリカは投下する都市を絞り込み、広島市が第一目標となった。 アメリカは焼夷弾による各地への空襲を行い、壊滅的な被害を与えたが、広島空襲を控えた。 これは、原爆の威力を測定するためといわれている。
 第二目標となった長崎の原爆投下は、原爆の威力を測定するだけでなく、カトリックへの”象徴的”攻撃であり、宗教改革の完了を表現したのではないか。