笑止千万!BIG MOTOR記者会見と現代社会 | 直球オヤジの自由奔走生活

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座右の銘は「"行きたい"、"やりたい"、"欲しい"と思った時が"その時"」。55歳で早期退職し、高齢者と呼ばれるまでの今が"その時"。趣味のバイクや自転車は年齢的に待ったなし。エコノミーな生活で趣味を楽しむ。これをどう追い求めるかが、このブログのメインテーマです。

ビックリモーター。じゃなかった、ビッグモーターの話題が巷を賑わしている。これだけあれこれ報道されれば、もはや私なんぞがとやかく言うことは何も無いが、あまりのビックリさ加減に書かずにはいられない。

私はビッグモーターのお世話になったことがないので、「まったく、しょうがねえなあこの会社は」と、外野から興味津々、面白半分で眺めている。車やバイクに乗り始めて半世紀の間に、自動車やバイクの修理は何度かあるが、どれも軽微で、保険を使ったのは二回だけ。それ以外の修理では、ディラーに持って行ったら「車両保険を使うと、来年度以降の保険料がアップしてしまいます。この程度の修理なら自腹で修理代を負担した方がトータルで安くあがりますよ」と助言され、結局自己負担となった。今思うと、このディラーは真っ当だったということ。

さて先日の記者会見をLIVEで見ていたが、
ツッコミどころが多過ぎて書き切れない。その中でも最も重要なことは、経営陣がこの不正を知っていたのか、指示していたのかという点。ここにどう言及するかは、事前に危機管理会社と入念に打ち合わせをしているに違いない。その方針は、どんなに頭は下げても「知らぬ存ぜぬ」「全く知らない」で押し通し、そこだけは絶対に譲らないということだろう。ちょっとでも隙を見せたら、そこからグイグイ突っ込まれるから、「全然知らない」「指示していない」で、強行突破するのが基本路線のはず。

ビッグモーターのコンプライアンス(法令順守)とコーポレートガバナンス(企業統治)の欠如を指摘する論評も多いが、百歩譲って、経営陣は指示していないとしたら、この会社は非常にガバナンスが効いていたということ。
経営陣が何も言わなくても、社員は会社の方針を十分理解し、それに沿って自主的に動いていたということで、それはもう理想的なガバナンスだ。会社の方針に対し盲目的に従えない社員は降格させられたり、退職に追い込んでいたようだから、現在所属している社員は会社の意に沿って動いているはず。だから、経営陣が直接手口を指示しなくてもやる。これぞ最強のガバナンス構造。これを構築した旧経営陣は素晴らしい!(もちろん皮肉です)

さて「
知らぬ存ぜぬ」の話に戻す。この成功例は、近年の国会議員、それも大物政治家連中が不祥事でやっている戦法であり、その成功事例を見習えばいい。どんなに追及されても、「知らない」と言えばOK。証拠や証言を示されても、フェイクとか嘘と言って押し戻す。強力なエビデンスが出て来たら、「記憶に無い」を使う。国民の代表と称される人がそうやって模範事例を示してくれているのだから、国民もそれに倣おう。ただ、この方法は政治の世界では有効であることは証明されているが、民間企業ではどうかが不安要素。証拠や証言は無尽蔵に出てくるだろうから、どこまで持ちこたえられるかだ。

次に気になったのは、
社員の”せい”にする点。「個々の工場長が指示した」と断言したが、一般のサラリーマンの世界で最も嫌われ、人望を無くす上司は、失敗を部下のせい、成果は自分(上司)の手柄という輩。不祥事や失敗をしでかしたとして、実際に自分が直接指示しておらず、部下が独断でやったとしても、自分の指揮下にあった者がやり、それに気が付かなったのは自分(上司)の落ち度だから、多かれ少なかれ自分がやったと等しい。だから上司である自分の責任を全面的に認め、矛先が部下に向かわないよう防波堤にならねばならない。ところが、いわゆる「後ろから鉄砲を撃つ」奴が少なからずいる。まあビッグモーターの社長らは、社員らの人望などそもそも無かっただろうから、今更痛くも痒くもないだろうけどね。

この時ふと脳裏に浮かんだのは、1997年に大手証券会社の
山一証券が破綻した時の、社長の記者会見のシーン。その社長が、「私ら(経営陣)が悪いんであって、社員は悪くありませんから!」と大声で言い、号泣した。それは感動的なシーンというよりは、メディアの前で大泣きする破綻企業の無様な社長という狙いで放送され、今もってバブル崩壊絡みの番組ではこのシーンが使われる。しかし、これぞトップの鑑(かがみ)じゃないか。この社長は山一證券廃業後も、職を失った社員の再就職に最後まで尽力したそうだ。それに引き換え、ビッグモーターは?でも、これも近年政治の世界でよくみるパターン。官庁の職員が証拠や文書を残し、上司でもある政治家に不利となるようなエビデンスがあっても、嘘を付いていると言って、自分の部下である人間を悪者扱いにする。まさしく、後ろから鉄砲を撃つ野郎そのもの。大したもんだ。

こういう場面を次から次と見せられると、ある言葉を思い浮かべる。それは「
卑怯」「ズルい」ということ。この言葉、なんか子供ぽい言葉だけど、近年、大の大人、それも社会的に大きな力を持っている大物政治家やビッグモーターの釈明(言い訳)会見でも、この言葉が浮かんでくる。真実はわからないが、リーダーである自分に大なり小なり要因があることは事実であり、その批判をリーダーである自分が受け止め、一社員や職員に向かわないようにしなければいけない(もちろん、部下に非があれば別途対応は必要)。しかし、矛先が自分に来ないよう逃げまくるリーダーの姿は、見苦しく、卑怯であり、ズルい。

いくら虚言で塗り固めても、現代社会においては書類、メールやSNSなどに様々な形で証拠は残ってしまうから、隠し切れるものではない。それでも「やっていない」と押し通す。そんなシーンを度々見せられると、「
困った時には、嘘をついてでも言い逃れればいいんだな」ということが、広く国民に刷り込まれてしまう。

社会的地位が高いのにも関わらず、卑怯な人間が大手を振って跋扈するような社会になったら、健全な社会は崩れて行く。汚職や腐敗、不祥事はどの国にでもある。独裁国家、権威主義的な国に比べれば、日本なんかずっとマシだろう。近年の日本は競争力が低下し、元気が無い先進国の筆頭のように言われている。でも、官であれ民であろうが、信頼でき信用して安心して任せられる国ならば、例え元気の無い国だと言われようと、大いに胸を張れる。これぞ誰かさんが生前に提唱していた、「美しい国」じゃないのか。

ビッグモーターの会見での名(迷)言の一つに、元社員の告発動画に対して、「自分の胸に手を当てて考えてみて欲しい」と非難していた。「
卑怯なことはしていないか」「ズルいことをやっていないか」と、国や企業の上に立つ人は、自分の胸に手を当てて考えてみて欲しい。