物資不足、、
浄土真宗の山科別院のちかくに、なにやら石のオブジェがあります。
かなり異様なものに感じますが、これは戦前まであった
親鸞の銅像が立っていた場所です。
この石の上に銅像があったんですね〜
なぜ今はないのかというと、太平洋戦争の際に金属供出しなければならないほど日本が物資不足になり、富国強兵のために溶かされて様々な物資にされてしまったためです。
この石柱の裏側の銅製の説明板は、外されず残すことができたようです。
読んでみると、明治の有名な彫刻家である
「高村光雲」監修
と刻まれてます。
この当時は、お寺の釣鐘や家庭にあるナベなども大砲の原料などにするために国に供出していたのですが、こういった像まで利用しなければならなかったとは、オドロキですね〜