経済評論家の山崎元さんが生前に仰っていたこと。
それは「組織とは理不尽なものである」ということ。
山崎さんが居た銀行業界はその理不尽さがとんでもなく、無能な上司の言うことは絶対で、機嫌を取るのもマストだったそう。
お偉いさんが最後のタバコに火をつけたら、誰かがすぐに同じ銘柄のタバコを買いに走らなければならなかった。
つまり、常に、タバコが切れないように補充するのが部下の役目。
お偉いさんは基本的にかなり年上だから、時代錯誤も甚だしい説教を垂れることもよくあった。
「お前ら、金利計算のやり方を知ってるか。ほら、これを見ろ。計算尺と言うんだ。」と言って、竹でできた物差しのようなものを得意げに披露する。
あのー、今のご時世ならパソコンのキーボードをポン、と叩けば、そんなもの1秒ですよ。
という心の声を表に出す部下はいない。
パソコンがどんなに複雑な計算も瞬時に行うということを知らないくらいに無知で時代錯誤の無能なお偉いさんを、立場が下だというだけで部下たちが必死に支えて食わせてきたのだと。
ある時、子供も大きくなったし、そろそろ会社を辞めてもいいかな、と思った山崎さんは、長年思っていたことをついにぶちまけた。
それは、お偉いさんが、あたかも自分が部下を食わせてやっているというような発言をした時のこと。
「何を言ってるんですか。私たちが地べたを這いつくばって集めてきた金で、あんたたちを食わせてきたんじゃないですか。」って。
そしてその後、山崎さんは銀行を辞めたのだそうです。
似たような話は、どこにでも落ちているもんです。
私も色んな会社で働いてきていますが、色んな理不尽を見てきました。
理不尽が存在しない組織などないかもしれない、と思うくらいに。
しかし、会社勤めにはそのようなことはついて回るものです。
古い組織であろうが、新しい組織であろうが、関係なく理不尽は存在します。
では、脱サラして起業したらどうかというと、そこにはまた別の理不尽があるのです。
私の両親は自営業でしたから、その辺の事情は見聞きしております。
人間が暮らす世界で、理不尽のない場所などないのではないでしょうか。
種類は違えども、多かれ少なかれ理不尽は存在します。
いちいち解決しようとしてもキリがないし、解決できないから理不尽なのです。
ただ、そこに居るかどうかを決めることはできます。
その自由は残されている。
ただし、いちいち理不尽に腹を立てていると、ヤシの実のようにあてどなくあちこち流れてゆくしかなくなります。
ではどうしたら良いのか。
綺麗な解決策はありませんが、「理不尽だね。でもだから?」って開き直るという手があります。
「だから?」の先はその時の気分で自分で作ればいい。
「理不尽だね。でもだから?私は給料を稼ぎにきているだけよ。」
「理不尽だね。でもだから?そんなこと、どうでもいいのよ。」
「理不尽だね。でもだから?ちゃんちゃらおかしいけど、テキトーに付き合ってあげるわ。」
などどいうバリエーションが考えられます。(私の場合)
理不尽には気の抜けた対応をするのが精神衛生上いいと思います。
あー、そうですね。
わっかりましたあー!
ですよねー。
ちょっとわからないですねー。
なんて、軽く流しておけば良いのです。
そうそう、川の流れのように、ね。
話を続ける価値すらないのですから、そんな簡単な対応で充分です。
そして、そこまで真剣になる必要もないし、その意味合いを考えるだに馬鹿らしいです。
合わない上司や同僚も、考えてみればたかだか数年の付き合い。
数年どころか、数ヶ月かもしれない。
すぐにどちらかが異動になります。
組織とはそうしたものです。
永遠に続く関係ではないのですから、真剣に考えることもない。
それに、そんなにムキにならなくても、意外に周りの人も同じように感じでいます。
みんなわかっているから大丈夫。
それを踏まえつつ、穏やかに過ごす工夫ができるのが幸せな会社勤めの第一歩です。
それでもそろそろ環境を変えたいなと思ったら、お勤めを続けつつ、別の収入源を持てばいいと思います。
別の世界が持てると、会社勤めに全力を尽くさなくなるので、深刻になりすぎるのを防げます。
会社なんて、片足だけ突っ込んでおくくらいがちょうどいい。
そんなふうに最近は思います。