⑮奥宮拝殿⛩️日光東照宮
ブックマーク★レトロ系建物2




【2022-02-20】奥社銅鳥居が見えてくると207段の石段と坂道の奥社参道も終わりです。
奥社 (奥宮)には銅鳥居、銅神庫、拝殿、鋳拔門、宝塔などがあります。
奥社とは別名奥宮とも呼ばれ、神社境内にて本社より奥にある神社の事です。
奥社は歴代将軍のみが昇段し、この拝殿は奥の宝塔に眠る
「神となった家康公」に祈りを捧げるための場所として建立されました。



奥宮拝殿の奥には鋳抜門(いぬきもん)があります。
鋳抜門の鋳抜とは、鋳型による製造工程の技法のことです。
鋳型に溶かした金属を流し込んで、冷めて固まった金属を鋳型から抜きます。
鋳抜門は名前の通り唐銅の鋳造によって製造された門です。
唐銅とは金銀銅を溶かして作られた合金です。
鋳抜門の前で墓前を警護している狛犬の像も金属製です。美しいですね。
奥宮拝殿と鋳抜門の間の参道にはロープが張られていて
立ち入りができない様になっていました。
この参道は日光東照宮で最も神聖な参道なんでしょう。
なので参道に立ち入れず鋳抜門を正面から撮る事はできませんでした。

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【2022-02-20】奥社銅鳥居が見えてくると207段の石段と坂道の奥社参道も終わりです。
奥社 (奥宮)には銅鳥居、銅神庫、拝殿、鋳拔門、宝塔などがあります。
奥社とは別名奥宮とも呼ばれ、神社境内にて本社より奥にある神社の事です。
奥社は歴代将軍のみが昇段し、この拝殿は奥の宝塔に眠る
「神となった家康公」に祈りを捧げるための場所として建立されました。



奥宮拝殿の奥には鋳抜門(いぬきもん)があります。
鋳抜門の鋳抜とは、鋳型による製造工程の技法のことです。
鋳型に溶かした金属を流し込んで、冷めて固まった金属を鋳型から抜きます。
鋳抜門は名前の通り唐銅の鋳造によって製造された門です。
唐銅とは金銀銅を溶かして作られた合金です。
鋳抜門の前で墓前を警護している狛犬の像も金属製です。美しいですね。
奥宮拝殿と鋳抜門の間の参道にはロープが張られていて
立ち入りができない様になっていました。
この参道は日光東照宮で最も神聖な参道なんでしょう。
なので参道に立ち入れず鋳抜門を正面から撮る事はできませんでした。

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⑭奥社参道⛩️日光東照宮
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【2022-02-20】坂下門の先には奥社(奥宮)まで続く奥社参道があります。
奥社は日光東照宮で最も神聖な場所。
歴代将軍以外何人たりとも進入禁止でした。
江戸時代では一般庶民は、立ち入る事ができませんでしたが
1965年 (昭和40年) に執り行われた日光東照宮 三百五十年式年大祭を記念して、
特別に一般公開され今日に至っています。
奥社参道は石段と石の道からなり石廊下とも言われます。
写真を見て注目して欲しいのは石段が全て1枚石だと言う事。
手すりも全て1枚の石を加工して作っています。
江戸時代ではお城の石垣さえ半加工石やまばらな大きさの自然石を使っていました。
それだけ石材加工の職人や技術が少なかった時代です。
歩いてる人は気に留めない様でしたが自分はこの石段に驚きました。
また今回は写真にあえて人を入れて撮影しました。
坂下門辺りでは老若男女、いろんな世代の人で賑わっていましたが
奥社参道を登る人々を注目してみると家族連れや若いカップルばかりです。
重量系の人やお年寄りは奥社参道を見上げると絶望して引き返していきました。
奥社参道の途中に「東照公御遺訓」がありました。
「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し。 急ぐべからず。」
まさにその通りですね。石段を登っているとその言葉が心に沁みます。

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【2022-02-20】坂下門の先には奥社(奥宮)まで続く奥社参道があります。
奥社は日光東照宮で最も神聖な場所。
歴代将軍以外何人たりとも進入禁止でした。
江戸時代では一般庶民は、立ち入る事ができませんでしたが
1965年 (昭和40年) に執り行われた日光東照宮 三百五十年式年大祭を記念して、
特別に一般公開され今日に至っています。
奥社参道は石段と石の道からなり石廊下とも言われます。
写真を見て注目して欲しいのは石段が全て1枚石だと言う事。
手すりも全て1枚の石を加工して作っています。
江戸時代ではお城の石垣さえ半加工石やまばらな大きさの自然石を使っていました。
それだけ石材加工の職人や技術が少なかった時代です。
歩いてる人は気に留めない様でしたが自分はこの石段に驚きました。
また今回は写真にあえて人を入れて撮影しました。
坂下門辺りでは老若男女、いろんな世代の人で賑わっていましたが
奥社参道を登る人々を注目してみると家族連れや若いカップルばかりです。
重量系の人やお年寄りは奥社参道を見上げると絶望して引き返していきました。
奥社参道の途中に「東照公御遺訓」がありました。
「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し。 急ぐべからず。」
まさにその通りですね。石段を登っているとその言葉が心に沁みます。

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⑬眠り猫・坂下門⛩️日光東照宮
ブックマーク★レトロ系建物2



【2022-02-20】陽明門の袖塀である廻廊は東側まで続き、東の門である坂下門まで続いています。
その坂下門近くの廻廊には日光東照宮の彫刻の中で、
三猿に匹敵する有名な彫刻の眠り猫(国宝)があります。
この彫刻は⑨東西廻廊⛩️日光東照宮の時に説明した蟇股の彫刻です。
(屋根の重みを分散して梁に伝える為、柱と柱の間に取り付けられている部材です。)
何十個もある蟇股の彫刻の中でどうしてこの眠り猫の彫刻が注目されるのでしょう。
眠り猫の彫刻単体での解釈もありますがそれはきっと的外れな物です。
何故なら眠り猫の意味は裏側にある雀の彫刻無しには成り立たないからです。
猫が起きていれば雀は食べられてしまいますが、
猫が居眠りしていれば雀は共存していけます。
天敵である猫が眠っている時にスズメが安心して暮らせる、
「弱い者も安心して過ごせる争いの無い平和な世の中」である事を意味しています。



東側の廻廊を抜けるとすぐ石垣の間に坂下門が見えます。
この門を潜り石畳の坂と石段約200段登ると家康公の御墓所奥宮があります。
この先の家康公の御霊が奉安される奥宮は最重要の霊域として、
将軍が社参した際にのみ開扉され、他の者は入る事を許さず
普段はこの坂下門の扉が閉扉されていました。
その事から坂下門は「開かずの門」と呼ばれていました。

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【2022-02-20】陽明門の袖塀である廻廊は東側まで続き、東の門である坂下門まで続いています。
その坂下門近くの廻廊には日光東照宮の彫刻の中で、
三猿に匹敵する有名な彫刻の眠り猫(国宝)があります。
この彫刻は⑨東西廻廊⛩️日光東照宮の時に説明した蟇股の彫刻です。
(屋根の重みを分散して梁に伝える為、柱と柱の間に取り付けられている部材です。)
何十個もある蟇股の彫刻の中でどうしてこの眠り猫の彫刻が注目されるのでしょう。
眠り猫の彫刻単体での解釈もありますがそれはきっと的外れな物です。
何故なら眠り猫の意味は裏側にある雀の彫刻無しには成り立たないからです。
猫が起きていれば雀は食べられてしまいますが、
猫が居眠りしていれば雀は共存していけます。
天敵である猫が眠っている時にスズメが安心して暮らせる、
「弱い者も安心して過ごせる争いの無い平和な世の中」である事を意味しています。



東側の廻廊を抜けるとすぐ石垣の間に坂下門が見えます。
この門を潜り石畳の坂と石段約200段登ると家康公の御墓所奥宮があります。
この先の家康公の御霊が奉安される奥宮は最重要の霊域として、
将軍が社参した際にのみ開扉され、他の者は入る事を許さず
普段はこの坂下門の扉が閉扉されていました。
その事から坂下門は「開かずの門」と呼ばれていました。

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⑫透塀・本殿⛩️日光東照宮
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【2022-02-20】唐門の両側には透塀「すきべい」が連なります。
透塀は唐門と共に御本殿を取り囲むように造営されています。
総長は約160m、全体に透かし彫りで彫刻が施されてるので透堀と呼ばれます。
中央部分は格子状になっていて光だけではなく風も通りそうですね。
上部の欄間部分には 「鳥、植物」の彫刻、下部の最羽目部分には「水、鳥、波」 が彫られています。


写真の編集をしていて上野東照宮はどうだったかな?と思って比較してみました。
上野東照宮の唐門は金ぴか、透堀はもっとシンプルなデザインでした。

さて、透塀で囲まれた本殿、拝殿ですが唐門は観光客は通行できず、
脇の通路から下駄箱で靴を脱いで拝殿へ入る事になります。
本殿の扉は普段は閉扉されており、 祭礼のときだけ開扉されます。
本殿、拝殿のエリアは撮影禁止です。
なので写真は残っていません。
唐門を撮った写真の中に遠めに拝殿が写った写真がありました。
豪華で煌びやかですが、ちょっと色あせて見えます。
リニューアルも近いかも知れません。
日光東照宮は江戸幕府初代征夷大将軍・徳川家康公を神格化させてお祀りする為に
家康公の息子である 「徳川秀忠」によって1617年に創建された神社です。
本殿は特に江戸時代の文化や建築技法などが余すことなく集積されており、
それが国宝や重要文化財の指定を受ける理由の1つでもあります。
御祭神・東照大権現 (江戸幕府創始者 初代将軍 徳川家康公 )
相殿 豊臣秀吉公 相殿 源頼朝 (卿)

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【2022-02-20】唐門の両側には透塀「すきべい」が連なります。
透塀は唐門と共に御本殿を取り囲むように造営されています。
総長は約160m、全体に透かし彫りで彫刻が施されてるので透堀と呼ばれます。
中央部分は格子状になっていて光だけではなく風も通りそうですね。
上部の欄間部分には 「鳥、植物」の彫刻、下部の最羽目部分には「水、鳥、波」 が彫られています。


写真の編集をしていて上野東照宮はどうだったかな?と思って比較してみました。
上野東照宮の唐門は金ぴか、透堀はもっとシンプルなデザインでした。

さて、透塀で囲まれた本殿、拝殿ですが唐門は観光客は通行できず、
脇の通路から下駄箱で靴を脱いで拝殿へ入る事になります。
本殿の扉は普段は閉扉されており、 祭礼のときだけ開扉されます。
本殿、拝殿のエリアは撮影禁止です。
なので写真は残っていません。
唐門を撮った写真の中に遠めに拝殿が写った写真がありました。
豪華で煌びやかですが、ちょっと色あせて見えます。
リニューアルも近いかも知れません。
日光東照宮は江戸幕府初代征夷大将軍・徳川家康公を神格化させてお祀りする為に
家康公の息子である 「徳川秀忠」によって1617年に創建された神社です。
本殿は特に江戸時代の文化や建築技法などが余すことなく集積されており、
それが国宝や重要文化財の指定を受ける理由の1つでもあります。
御祭神・東照大権現 (江戸幕府創始者 初代将軍 徳川家康公 )
相殿 豊臣秀吉公 相殿 源頼朝 (卿)

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⑪唐門⛩️日光東照宮
ブックマーク★レトロ系建物2







【2022-02-20】陽明門を抜けて正面にあるのが唐門(からもん)【国宝】です。
唐門は本殿を守護する真正面の門であり、
「唐破風造りの屋根」 が備え付けられていることから「四方唐破風造」と呼称されます。
唐破風の大きな特徴として、弓なりのアーチ型の屋根の形状が特徴的です。
屋根は一見、瓦葺に見えますが銅板を使用した豪華な屋根となっています。
また撮影している時は気が付かなかったのですが屋根の突端に銅板の雨樋がありました。
江戸時代の建物に雨樋があったとは驚きです。
唐門は観光客、一般の参拝客も通れませんが、
正月や例大祭、勅使が下向された時には開放されます。
唐門は江戸時代でも将軍、勅使、幕臣、大名だけが通る事が出来たそうです。
象牙の様に白い柱には昇龍と降龍の彫刻があります。
インパクトありますね。

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【2022-02-20】陽明門を抜けて正面にあるのが唐門(からもん)【国宝】です。
唐門は本殿を守護する真正面の門であり、
「唐破風造りの屋根」 が備え付けられていることから「四方唐破風造」と呼称されます。
唐破風の大きな特徴として、弓なりのアーチ型の屋根の形状が特徴的です。
屋根は一見、瓦葺に見えますが銅板を使用した豪華な屋根となっています。
また撮影している時は気が付かなかったのですが屋根の突端に銅板の雨樋がありました。
江戸時代の建物に雨樋があったとは驚きです。
唐門は観光客、一般の参拝客も通れませんが、
正月や例大祭、勅使が下向された時には開放されます。
唐門は江戸時代でも将軍、勅使、幕臣、大名だけが通る事が出来たそうです。
象牙の様に白い柱には昇龍と降龍の彫刻があります。
インパクトありますね。

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