ウェブ上の記事のコメント欄を読むのが好きです。
特に、ちょっと主張が強すぎるなと思うような記事は
コメントをざっと眺めると、だいたいひとつくらいは
まっとうな反論が書き込まれていて、参考になります。
人種国籍を問わず、間違いを放っておけない人がとても多いこと、
権威にひれ伏さない玄人はだしの人が多いことは、
ウェブの管理者や記事を書く側にとっては迷惑な話かもしれませんが、
私にとってはありがたい驚きでした。
大学時代、法学部の教授で、論文試験の答案に
Aとも考えられる。しかしB。
Cともいえるが、D。
したがってどちらとも言えない。
と書かないと「優」がもらえないと囁かれる先生がいました。
当時司法試験の勉強をしていた私は、条文知識を総動員して
白黒いずれかの判断にこぎつける技量こそが重要なのだと思っていたので、
さっさとその助言を忘れて結論を鮮やかに決めつけて
確か「可」をいただきました。
教授は、問題文中に与えられた条件だけで善悪を判断できることなど
実際にはほとんどない、ということを教えたかったのかもしれないと
今になって思います。
誰かを説得しようとする場合は、主張をはっきりさせるため、
これは白、あれは黒と明確に言い切る必要があります。
でも、それを聞く側が、何がほんとうに正しいかを判断する局面では、
相手が重心をわざとずらして片足に力を入れて発言しているということを
十分に理解しておかなければなりません。
高校時代にディベートにハマったことがあるのですが、
ディベートの試合に出場するチームは、
ひとつのテーマに対して
肯定側と否定側どちらでもバッターボックスに立てるように
あらかじめ議論と証拠資料を準備して、
当日になって立場を告げられ、
どちらがより論理的に説得できたかを競います。
例えば、「日本はサマータイム制を導入すべきか」
というお題が与えられたら、
自分が個人的にサマータイム制に反対だったとしても
「ぜひ導入すべき」という立場でも論破できるように
理由と証拠を準備するのです。
ディベートの準備作業を通して、
100%正しいといえる主張など実はほとんどないし、
何でも白黒スパッと割り切れるほど
世の中は単純ではないということを身にしみて学びました。
(・・・そのくせ大学でも白黒はっきりなんて言っていますが。)
この複雑な世の中で
あまりにも善悪がはっきりしているような構図は、だいたい危険です。
皆に挟まれてまごまごして見える人は実は最も全体像が見えていて、
だからこそ悩んでいる可能性があります。
聞こえの悪いものをそのまま叩くのではなくて、
少なくとも真逆の主張をしている人を探して話を聞いてみるよう
心掛けたいと思っています。

