朝鮮問題を見る眼~Eye/愛~ -8ページ目

朝鮮訪問記④ 苦難を越えて…

信川で受けた衝撃…

心が重く憂鬱な気持ち…

その気持ちを晴らしてくれたのは、農村の片田舎の子どもたちだった。

近づく私たちに手を振り愛くるしい笑顔で迎えてくれた。

決して豊かな生活ではないし、着ている服もおしゃれとはいえない。

でも彼らの笑顔からは、かれらもここで素朴な幸せを一つ一つ見つけながら

一日一日をいま生きていているのだ。。。

貧しいからかわいそう。それがどんなに傲慢で失礼かを痛感した。

黄海道の農村文化住宅が建設ラッシュだった。

道の各市の青年同盟が旗をなびかせながら競って建設をしている。

今年朝鮮では農業に力を集中させている。農業の構造自体を変えてしまうそうだ。

その中でも”農民を過酷な労働から解放する!”をスローガンに掲げその一つとして農民の生活水準の向上の為の文化住宅建設であるし、また田植えをせずとも種をまくだけで稲を収穫できる品種も開発したそうだ。

FTA問題で窮地に立たされている南の農民たちを思うと複雑な気持ちになった…

建設された文化住宅郡。全ての家に家畜を育てるための小屋が設置され。豚や兎、山羊がいた。写真は人間です。逃げ出した豚ではありません。

夕飯も食べずにアリラン公演観覧。すごすぎて言葉になりません。

ね。。言葉要らないでしょ?

"うぉ~~~""すっげぇ~~"の連発

子どもたちの演技に度肝抜かれ

華々しいクライマックス。今回公演日程が急遽5日に短縮された。報道ではやれ核実験だとか経済的困窮とか騒ぐが、想像以上夜風が厳しく風邪を引く児童が若干出たそうな。その瞬間短縮された。

出演した子どもたちとしゃんをとりました。テンションマックスです!ファノン君はバスで待機。スハン!!手…手が!!

この後も見に宴会が夜遅くまで行われました…

朝鮮訪問記③ 悔恨の地

板門店を出で信川にむかう途中鉄道が見えた。



この鉄道がまさに南北の血脈を繋ぐ京義線鉄道。

南北統一事業の一環として注目をされている。

5月17日に試験運転がされる予定だ。




南北連結鉄道の北側最南端の駅舎。

話だけ、歌だけで聞いてきた統一列車を迎え入れる駅…

駅の名前を案内員に聞いても『わからない』とい答え。

そのとき指導員が耳打ちをしてくれた。

『私たちはあの駅を「統一駅」と呼んでいる。多分それで確定しそうだよ』

万感の想いがこみ上げてきた。


統一列車の試験運転も必ず実現するとのころ。


高まる鼓動を体で感じながら信川へ

ここは朝鮮戦争時に米軍による住民虐殺が行われた場所。


信川博物館


展示されている米軍の蛮行はとてもじゃないが載せられない。

米軍が同じ人間だと考えるだけで鳥肌が立つ。


住民を焼き殺したといわれる地下防空壕。

ここでは900人を超える住民が虐殺された。

信川を占領した米軍が撤退するとき監禁していた母子に対して

『朝鮮人が母子と一緒に死ぬのは幸せすぎる』と

泣き叫ぶ親子を無理やり引き離し別々の倉庫で焼き殺した。

上の写真は爆撃の後。国連人権委員会が調査に乗り出したとき

証拠隠滅のために米軍が爆撃した。




上の倉庫で焼き殺された400の母、102の子どものお墓


歴史を忘れえはならない。

同じことがイラクでいままさに行われている。

朝鮮半島もいつ何時米国によって戦争の惨禍を

こうむるかわからない。


それを抑止するための力、米国の戦争を食い止める力が

朝鮮半島の平和と東アジアの安定に

必要だと

改めて痛感した。。。

朝鮮訪問記② いざ南へ!

二日目のピョンヤン。。。

昨日の旅の疲れも、昨日の二日酔いも吹き飛ばしてくれる

爽快な朝でした。


これより、朝鮮最南端の板門店へ


車道の風景、、後で述べるが朝鮮では未来を見据えて

木を植える運動が盛んに行われている。

都市はもちろん田舎や農村、山岳地帯のどこでも小さく幼い木々を目にする。



板門店の前で私たちを出迎えてくれたのはこの碑


左;統一祖国を後世に渡そう

右;朝鮮は一つだ


板門店に入る前に解説を受けた。 板門店の模型

軍事境界線がどれか一目ではわからない。

それほどぐねぐねでゆがんだ線であった。

アフリカ大陸の国境や45年当時の38度線のような人為的な

直線とは違い、反文明的な武力によって引かれた線


北側の非武装地帯に張られた鉄条網…

見ているだけで触っているかのように

胸を刺されるような痛みを覚える…


53年7月に朝鮮戦争の停戦協定が結ばれたところ。

51年から米側の提案により始まった協議。当時はここが最前線であったが

53年には北側が掌握している。そのため私達が参観できたのだ。

本当に熾烈な戦いが展開されていたこと、それがどのような戦禍をもたらしたのだろうか…

この部屋はまだ朝鮮半島での戦争が終わっていい無いということを

告げるかのごとく、ひんやりとして殺伐としていた。


故金日成主席の直筆サインの碑。94年7月7日に

当時金泳三大統領との南北首脳会談を準備する案件に

サインしたもの。 三伏の初伏と言われる蒸し暑い日に

祖国統一のための文献を深夜まで点検されサインし、

そのまま夜を明かして7月8日の明け方に執務室で殉職された。


北側から見た板門店。 南側の軍隊や米軍の姿は無かった。

南北分断から自分たちの責任をごまかそうと板門店に米軍は現れないそうだ。

南北の軍隊ともに観光客が来るときだけ身辺警護のため出て来るそうだ。


左が北側、右が南側… 

建物の中に入るやいなや奥のまで行った。これ以上はいけない

この先に故郷があるのに…