映画 さがす “自死”をめぐる深い映画 | 気むずかしい いろいろ

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しくじった。上演時間を20分ほどまちがえた。

娘と友達が、ごみ収集所でお父さんの名前と同姓同名の男と会話するところから見ちまった。

 

はなしについていけるか不安だったが、ぜんぜん大丈夫だった。

 

「はるヲうるひと」の佐藤二朗が怖くて、おもくて、ツラくて。

この映画も、ちょっと似た雰囲気ありと前情報があり、相当覚悟してみたのだけど。

 

よかった。「はるヲうるひと」ほど、人でなしでなかった。

重度の障害をおった妻の介護をする献身的な夫で、

ちょいと短絡的な考えをしてしまう貧しい男なだけで、愛情や、優しさのある男だった。

 

ストーリーの詳細ははぶくが、

2017年に発覚した「座間9人殺害事件」をベースに、

自死と、尊厳死をあつかった、社会派サスペンスドラマとなっている。

 

ノンフィクションでなく、完全なるフィクションなんだけど、

“自死”というむつかしいテーマを、

とてもよく練られて、考えて、調査して、取材して、考えて、を重ねられた深い映画となっている。

 

入口は、指名手配犯をさがすために失踪した父をさがす娘のものがたりになっているが、

後半の折り返し地点からは、失踪した父の視点にかわる。

なぜ失踪したのか、なぜそんな決断をしたのか。

 

この映画では、自死を否定も、肯定もしない。

ただ、死にたい側、死んでほしくない側にもちゃんとした理由はある。

それをていねいに、描いた作品だと思う。

 

ちなみにわたしは“自殺”という言葉がイヤで、“自死”だと思っている。

自分を殺すわけでなく、自ら死を選んだことだと思いたい。

 

ロンドンのパラリンピックで、なにかの種目でメダルをとった海外の選手が、

閉幕後に、尊厳死をすることにした、という記事を読んだことがある。

そのことを思い出した。

彼女はその後、どうなったんだろうか。

 

、、、、、、、、、、。

 

佐藤二朗、今回もいい演技だったな。

殺してくれとすがる妻が唇をよせてきた時の戸惑いと、

首を絞めたあとに襲われた激しい罪悪感と後悔と、

車いすの女性の服wp着替えさせたときのあの表情と。

 

娘役の伊東蒼もいい演技やったが、

佐藤二朗のあの父には、けっこうやられた。

 

もっかい、観に行こう。

そんで、また「はるヲうるひと」をみたい。

パンフレットかうのもわすれちゃった。

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2022年日本

脚本・監督:片山慎三

出演:佐藤二朗、伊東蒼、清水尋也、森田望智

 

“死”にも自由な選択肢があっていいと思う。

自分の人生を生きているのは、自分なのだから。

“生”も、“死”も、自分で決めればいいと思っている。

 

▼なくなってた、、、。

 

 

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<今日のいちまい>

ほんとうは今日、「リトルプリンス」の3回目観劇やったんやけど、

これを観に東京に行っていたら、

1月は3回も東京に遠征することになり、

東京に移動するにも金がかかることにようやく気がついた。

 

きがるにポンポンと出せる額じゃない、ということにようやく気づく。

ガーーーン!やわ。

 

幸いにも、後輩の東京の友人が、

ミュージカル好きらしく「ぜひ、行きたい!」とのことで、譲ることにした。もちろん無料で。

 

たしか明日が千秋楽やったかな。

ぶじ、千秋楽まで乗り切れたみたいで、よかった。

残念やけど、代わりに20代の若い人が楽しんでくれてるから、ま、よしとしよう。

 

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プロなので、仕事中に感情をさらけだすことはしない。

 

たしか武術家みたいな人のTwitterだったと思うのだが、

この言葉をみつけて、仕事のスタンスにまたあらたな指標ができた。

 

無茶ぶりの連続で、

はらわたが煮えくり返るほど怒ってはいるが、それをクライアントや営業にぶつけたとて、

と思いいつも怒りを飲み込む日々が続いている。

 

先日、あまりにもの無茶ぶりで、後輩があからさまに不機嫌な態度をとったことに違和感を感じた。

かといって、そんな態度するな、とたしなめる気もせず。

わたしも無茶ぶりされたら、キレて仕切りの悪さを改めてもらう方がいいのか、迷っていた時である。

 

むかしはしょっちゅう、打合せ中にキレて、「よそに頼めや」と捨て台詞をはいて

途中退席することもあったが、

さいきん、それをしなくなったのは、それなりに理由があるからだろうと、

その理由をさがしていた時にみつけた言葉である。

 

プロなので、仕事中に感情をさらけだすことはしない。

 

なるほど。

わたしはもういい年なので、“プロ”であらねばならんと思っている。

だから、どんな無茶ぶりだろうが、柔軟に対応できてこそ“プロ”だと思っている。

ただ、無条件に無茶ぶりを飲み込むのでなく、相手側にも条件をつけて、

削れるものは諦めてもらい、一緒にゴールを目指す姿勢で取り組むことを心掛けている。

ただし、できるだけこっち側に有利な条件と金額提示をするのだが。

 

そらたまには、電話切ったあとに「死んだらええねん!」と叫ぶこともあるが、

基本は「どうやって乗りこえましょうか」スタンスにかわってきた。

 

自己都合の感情でなく、さっさと問題を片づけるため、

なにをすべきか、情報を整理して、対処していくほうが建設的だと考えるようになった。

 

なによりも、1分1秒でも早く仕事をおわらせて、

自分の時間に切り替えたいという思いも強くなった。

グズグズゆうてる時間がもったいない。とっとと片づけたい一心でもある。

 

それが、わたしの仕事においてのプロ意識なんだろうな。

 

わたしにはいくつかの座右の銘というか、行動指標があるが、

この言葉も加えることにした。

もう、キレるか、キレないかで迷うことはしない。

スッキリした!