79年目の7月28日~鳥取県大山口駅列車空襲の現場を訪ねて | PIECE of PEACE 島根教師の会

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 これまで、新聞やテレビの報道で何度も見てきてた鳥取県大山町にある大山口駅における列車空襲被災慰霊碑でした。
 現地で実際に自分の目で慰霊碑を確かめ、碑に刻まれた当時の様子を知ることで、いかにこの列車空襲が非人道的な出来事であったのかが分かりました。
 昭和20(1945)年7月28日午前8時頃、11両編成の鳥取駅発出雲今市行きの列車が、この大山口駅の東600m地点で3機の艦載機から銃爆撃を受け、死者44名、負傷者31名以上という大変な被害が出ました。
 特に前4両が集中的に攻撃を受けましたが、前2両は病客車であり、屋根には大きな赤十字のマークをつけていたにもかかわらず、繰り返し攻撃を受けています。
 その病客車には、呉海軍病院三朝分院から転退院する病人や付添人、衛生兵や看護婦が、そして一般客車には、勤労動員学徒や一般客で満員の状態であったと言われています。
 この慰霊碑は、今から32年前の平成4(1992)年7月28日、大山口列車空襲被災者の会により、再びこのような惨禍を繰り返してはならないと願って建立されたものです。

 今日令和6(2024)年7月28日は、79回目となる大山口列車空襲被災者を慰霊する日です。
 

【▼写真① 現在のJR山陰本線大山口駅の駅舎】

【▼写真② 駅舎西に建つ列車空襲被災慰霊碑】

【▼写真③ 大山口駅から空襲のあった東方向を望む】