「松根油こそは,神風である」の挙国体制で始まった松根掘り作業 その② | PIECE of PEACE 島根教師の会

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 太平洋戦争中の松根油を採取する乾溜装置には3種類あったようです。

 東日本を中心に設置されたのが「標準型の北川式松根乾溜装置」(長野県出身の北川多助氏考案)、そして西日本を中心に設置されたのが「山本式」。山本式の考案者であった山本四郎氏は島根県出身者でした。
 山本式は、設備が簡単で、設置に必要な資材が少なくて済み、取り扱いが標準型より簡単でした。
 さらに簡単な装置として、「ドラム缶式松根乾溜装置」があったようです。
 松根乾溜工場の立地に適した場所として、

①松根原木が豊富な場所

②松根を運搬しやすい牛馬車の通行できる道端

③冷却用の水が得やすい

という条件が挙げられていました。

 松根乾溜装置についての詳細は、『松根乾溜装置』第一海軍燃料廠S19.12刊に図入りで解説されています。
 島根県内の松根油製造について詳しく記載されている記録は、『矢上の聞きがたり』笠松惣市S63.1刊です。
 邑智郡矢上町中野の中岡乙市氏が、山口県内で商売巡回中に、松根からテレピン油を抽出する方法を学び、山口県から職人を招いて抽出窯を6基築いたのが始まりだったようです。

 第1回目の松根油を島根県に出したところ最優秀油との評価を得て、その後中野・井原・矢上の地区へ新たに合計20基の乾溜装置を設置するほど盛んになりました。合計26基の乾溜装置でも処理できないほどの松根が集まり、大田市長久や松江市の工場へ鉄道貨物として掘り出された松根を送ったほどでした。

 島根県の松根油の評判は軍に知られるようになり、海軍大臣からの感謝状が中野の山田福市氏宅に保存されているということです。
 
【写真 山本式松根乾溜装置図 『松根乾溜装置』第一海軍燃料廠S19.12刊】