『重松日記』と父の体験 | PIECE of PEACE 島根教師の会

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 みなさんは、『重松日記』をご存知ですか?
 
広島原爆投下直後の市内の状況を詳細に淡々と綴った作品で、井伏鱒二『黒い雨』の原資料となった作品です。
 著者の重松静馬氏は、当時広島市千田町二丁目在住で、安佐郡古市町にある日本繊維広島工場に勤務しておられた方でした。
 通勤のため横川駅に到着し、可部線の電車に乗りこんだ直後に午前8時15分を迎えました。
 その後の足取りは次のように描かれています。
 横川駅→東練兵場→広島駅→比治山南の女子商業学校→陸軍被服支廠→広島大学(妻と出会う)→宇品(姪と出会う)→紙屋町交差点→西練兵場→山本駅→〔列車〕→古市町の職場
約17kmにわたり、地獄絵と化した広島市内を歩いて見聞きした様子が記録されています。
 午前8時15分から午後6時頃にかけ、妻と姪を探し当て、3人で安全な安佐郡古市町の勤務先へ避難する様子が描かれています。
 
私の父が広島の街を歩いたのが、8月7日の朝から夕方にかけてです。
 重松氏が歩いた24時間後に、私の父も広島の街を歩いていたわけです。

 市内の状況は、重松氏が見た状況とあまり変わらない様子ではなかったかと思われます。
 重松氏の8月6日の行動は、下の地図にて確認できます。
[『『黒い雨』と「重松日記」』豊田清史 風媒社1993.8刊より]