永井隆博士の『この子を残して』に込められた思い | PIECE of PEACE 島根教師の会

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 恥ずかしながら、永井隆博士の『この子を残して』を初めて読みました。
 戦時下、次々と青年男子が出征していく状況は、医療現場においても同様でした。
  レントゲン医学者である永井隆博士は、医師不足の中、制限されている被爆量を超えたレントゲン撮影勤務を続けざるを得ませんでした。

 医師としての使命感にもとづく行為とはいえ、戦争の犠牲的な行為として、集団レントゲン撮影を続けたのです。
 どのような結果を自身の身体に招くかを知りながらの勤務。

 その結果が「余命三年」という診断でした。
 さらに、長崎原爆投下による被爆、妻の原爆死。二人の我が子が残されました。
 「この子を残して……この世をやがて私は去らねばならぬのか! 」
 この言葉に込められた父親としての永井博士の無念な思い、そして全てを奪い去ってしまう戦争に対する憎しみ。
 歴史を考える時、「もし…」は無意味と言われています。それでも、もしあの戦争がなかったら、永井隆博士とその家族はどのような人生をおくっていらっしゃったのか。
 自身の二度にわたる被爆、妻との死別、我が子を残して死別しなければならない運命はなかったはず…。
 雲南市三刀屋町にある永井隆記念館を近く訪れたいと思いました。
 すでにみなさんは永井博士の作品に触れたり、記念館を訪れたりしていらっしゃることと思います。

 永井隆博士の残された思いに触れる学びをしたいと強く思いました。

【▼島根県雲南市三刀屋町にある永井隆記念館】