1944(S19)年9月、島根県へ学童集団疎開した大阪西区の14校の国民学校の資料を求めて、2回目となる文献調査へ今月出かける予定です。
前回の文献調査では、現在の島根県出雲市斐川町内へ疎開した堀江国民学校と西船場国民学校の2校に関する資料を中心に調査を行いました。
今回は、第一次集団疎開(1944年9月)で来県した14校の国民学校まで調査の範囲を広げる予定です。
今回の具体的な調査内容は、
〇 大阪市立図書館所蔵の集団疎開体験者の手記資料の収集
〇 当時の国民学校の現在の学校の写真(跡地記念碑含む)撮影
〇 ピースおおさか大阪国際平和センターでの資料収集
です。
これまでに、大阪市立図書館の蔵書検索から、集団疎開実施校の周年記念誌を中心とした文献リストを作成しました。
また、地図で西区内の該当小学校の位置確認も済ませました。
大阪大空襲で被害を受けた来県の国民学校は、
全焼…西船場・広教・堀江・高台・九条中・西六
半焼…日吉・花園・九条南・江戸堀
14校のうち、10校が全半焼の被害を受けています。
西区内の国民学校は、昭和20年3月14日の第一次大阪大空襲により、特に大きな被害を受けました。
現在実際に学校があるのは、
西船場(西船場・江戸堀・広教・西六)
明治(明治)
日吉(日吉)
堀江(堀江・高台)
九条南(九条南)
九条東(九条東)
九条北(九条中・九条北)
本田(本田)
花園(本田)
の9校となっています。
【▼大阪市立中央図書館】