もし現代の温度の概念がなかったとして、あなたに突然「温度を数で表してほしい」と依頼されたらどうするだろうか?
今日は暖かい、肌寒い、暑い、寒い、と肌で感じる程度の表現しかない時代でだ。
先ほど温度と書いたが、温度という言葉すら一般的ではなかったかもしれない。
まずは基準となる自然界の現象に着目し、その時の温度に0や1、10、100と数字を当てはめてみるだろう。
それでは次は?
もう一つ異なる自然現象をピックアップしてその時の温度に数を当てはめようとするのではないだろうか。
あとはその基準となった二つの間を等間隔に何分割するか決めていけばいいだろう。
つまり、二つの自然現象での温度を取り上げて数を設定し、あとはその間を何分割かするのが温度を定量的に表す代表的な方法だろう。
では自然現象は何を想定するのがいいのだろうかという疑問に到達する。
多くの人がそんなの決まりきっている、氷が水に溶ける温度を0にすればいいだろう、とおっしゃるのだろう。
勿論それは一つの正解であり、皆が納得するからセルシウス度は現在多くの国で採用され、国際単位系にもなっているわけだが、本当にそれだけで納得してしまっていいのだろうか。
だってそうだろう。
わざわざあなたは温度を表すのにマイナスや氷点下などを使って表現したいのかということだ。
メートルにマイナス何メートルとか普通聞かないだろう。
ならば自然界で一番低い温度を0と決めた方が何かと後で便利なのではないか。
そしてもう一つの基準設定も自然界で起こりうる最高の温度を100と決めた方がいいのではないか。
そうすれば異常に暑い日は三桁で表され、一目で殺人的な暑さだと印象に残るだろう。
と、こんなイメージから作成された温度の種類も存在するのだ。
それは華氏。
主にアメリカや一部の国で採用されている温度の種類である。
渡米する時、いや単に旅行するだけの時にさえ摂氏と華氏の変換は一つの障害になり、多くの場所で変換式を広めており、はぁめんどくせえなあ、という気持ちを味わった方も多いだろう。
アメリカという大国なので企業などの思惑などの様々な事情が絡み、摂氏が国際単位系になるも未だ華氏を多く使用し続けているわけだが、考案者の意図をくみ取ると華氏にもメリットがあるのである。
一見して面倒な華氏、何故このような体系になったのか、それは次回以降触れていこうと思う。
数学者・サイエンストランスミッター
平間達也









