『僕はいわゆる「幸せない人生」を送ることは出来ないように思っている。

 

自分が幸せだと自分で言っている人たちの多くは、経済面であったり地位であったり家庭であったりが安定的してて、相対的に他人と同等もしくは上回っていることに満足し、その優越感から幸せだと感じているように思う。

 

そして、その「幸せ」という既得権益を固持するための行動を最優先する。。。そういったものが幸せであるのであれば、僕は幸せでなくていい。むしろ、もし僕がその幸せな状態になったのであれば、自らの手で破壊したい。

 

自分の「幸せ」を守るために変化を恐れるのであれば、それはすでに「人」でなく粘土人形にすぎない。人間は死ぬまで変わり続けなければならない。それならば、「幸せ」というステータスにとどまっている意味がどこにあるだろうか。逆に言うと、人はいつ死んでもいい生き方をすべきともいえる。

 

昔の偉い哲学者が「その人の人生が幸せだったかどうかは、その人が死んでから後世の人しか判断できない」みたいなことを言ったと思う。

すごく納得できる。』

 

 

 

・・・部屋を整理してたら昔ノートが出てきて、そういや若い頃こんなことをよく考えていたなと思い出しました。

若い頃の純粋さに自分ながら照れ臭くなりましたが、まあ考えてたことはそう的外れでもないような気もしました。

 

今の自分を顧みてみると、社会的・経済的地位はないながらも、しがらみもなく新しくやりたい仕事を見つけてはそれを楽しんでるので、過去の延長上の生き方をしているっぽい自分にちょっとほっとしました(笑)

N国!

 

すっごくおもしろいと思った。

いや、思ってた。

 

でも、やっぱダメですね、彼。

 

Hモンとかにもてはやされて、自分が頭いいと自分で思ってしまって。。。

 

で、調子乗りすぎ。

 

そろそろ自己矛盾が増えすぎてきた。

 

自分の発する言葉に対し、自分自身が洗脳されている。。。

 

彼自身が悪としている政治家の部分に、自分自身が染まりはじめているんだよ、お前!

 

期待していただけに、残念!

最近は、いつも酔っ払いながらブログを書いているので、心ならずもちょっと行き過ぎた表現になっていると、翌日ブログを読み返して思うことがあります。。。

 

大いに反省です、酔っ払っている時はPCに向かうのをやめたほうがいい!

 

・・・と思いつつも、ついブログを書き始めてしまいました。

 

ここんとこの私の投稿を読んでいただいている方は、私のことをネトウヨだと思っているケースも多いと思います。

ネトウヨの定義ってよくしらないけど、まあネットで反マスコミ(特にA新聞)的な発言に賛同する人間をネトウヨというなら私もそうでしょう。

 

でも、実はちょくちょく極左の若者(偏差値高め)の集団にまじり、お話しを聞いたりもしています。

そのお話しの中では、私は自分の考えをまげて迎合している訳ではないのですが、不思議なくらい話が合います。

 

要するに真剣に世の中に向き合い、論理的に世界がどう変わっていくべきか真剣に考える人間にとって、右とか左とか些細な話だと思いました。

 

私にとって対峙すべき敵(?)は、既得権益的なものを守るために、党派(もしくは宗教)などにしがみつき、自分たちの地位・名声・財産を守ることしか考えていない存在だと、最近改めて思います。(※一つ前のブログにも書きましたが、日本を貶めようとする敵国はもちろん駆逐していくべきだと思っています。)

 

そういった意味では、N国の立花さんのスタンスが、結構自分に近いと思っています。

まあ、あまり彼を褒めていると私の周りの「まとも」な人たちに怒られるのですが(笑)