『僕はいわゆる「幸せない人生」を送ることは出来ないように思っている。

 

自分が幸せだと自分で言っている人たちの多くは、経済面であったり地位であったり家庭であったりが安定的してて、相対的に他人と同等もしくは上回っていることに満足し、その優越感から幸せだと感じているように思う。

 

そして、その「幸せ」という既得権益を固持するための行動を最優先する。。。そういったものが幸せであるのであれば、僕は幸せでなくていい。むしろ、もし僕がその幸せな状態になったのであれば、自らの手で破壊したい。

 

自分の「幸せ」を守るために変化を恐れるのであれば、それはすでに「人」でなく粘土人形にすぎない。人間は死ぬまで変わり続けなければならない。それならば、「幸せ」というステータスにとどまっている意味がどこにあるだろうか。逆に言うと、人はいつ死んでもいい生き方をすべきともいえる。

 

昔の偉い哲学者が「その人の人生が幸せだったかどうかは、その人が死んでから後世の人しか判断できない」みたいなことを言ったと思う。

すごく納得できる。』

 

 

 

・・・部屋を整理してたら昔ノートが出てきて、そういや若い頃こんなことをよく考えていたなと思い出しました。

若い頃の純粋さに自分ながら照れ臭くなりましたが、まあ考えてたことはそう的外れでもないような気もしました。

 

今の自分を顧みてみると、社会的・経済的地位はないながらも、しがらみもなく新しくやりたい仕事を見つけてはそれを楽しんでるので、過去の延長上の生き方をしているっぽい自分にちょっとほっとしました(笑)