漆久保トンネルを見に行った際にあった「小沢川橋梁」への案内、トンネル見学後にそちらも寄ってみます。
トンネル側にも下り口があるのでここから行ってみます。
特に所要時間や距離なんかが書いてないので、もう17時半近いしけっこう歩く(下っていく)ことになったらどうしようと思ってました。
こんな感じの道を進むと見えてきました。
この下側がそうみたいです。
正面方向が駐車場側から降りて来る道になってるので、帰りはそちらへ行きます。
上の写真から左方向に、川の方へ降りて行く道があります。
まったく人の来ないような場所のイメージでいたら、先の方に民家があります。
地図を見ると駐車場沿いの道から奥へ進むとこの先に繋がってるみたいな感じのようです。それも、そこのお宅の方が庭先?畑?で何か作業をしていたような感じでした。
実はこの左側に小沢川橋梁の説明書きがあるのですが、この時はロクに読まずに写真だけ撮って家で読もうと思ってたので…まあ後程…。
振り返ると、ありました!ここですね!
地図に描かれた川の位置からしてだいたいこの辺りなのかな?
元々”駐車場から楽々歩いて行ける遊歩道化した隧道”を見学するだけという目的だったので、長靴ではなくスニーカーのままですが橋梁手前まで普通に歩いて行けそうなので近づいてみます。
煉瓦の積み方がやたらと凝ってるような感じがしますね。
坑口(って言い方でいいのかな)の面に対して平行に積んだ部分と、斜めに積んだ部分が交互になっています。
これだけでもここまで来た価値はあったと思います。
現役当時のメンテナンス用かと思われる梯子がありますが、今は体重を預けるのが不安なような…。(^_^;)
銘板がありました。
「小沢川拱きょう」「延長 58m(?)700」「設計 (ちょっと元画像を拡大しても読めない…)」「施行 株式会社木下組」「着手 昭和33年6月20日」「しゅん功 昭和33年10月17日」…こんな感じかな?
元画像も鮮明に撮れてるわけではないので読み取れた限りですが…。
「拱きょう」ってのはアーチ橋のことらしいですね。
最初に完成したのは漆久保トンネルとほぼ同時期の明治時代と思われるので、この昭和33年というのはここのコンクリ巻き立て時期なんだと思います。
水が流れてる部分が少ないので、このままスニーカーでも歩いて行けそうですが、コンクリ巻き立てされていてここから見るのと中に入るのとたいして変わらないかなと思いました。
あと、最初の方の写真にあるように近くに民家があって人がいたようなので、少し距離があるとはいえもしかしたら見られてしまうかもしれないし、入るのは控えておきました。
内部をフラッシュ撮影。
で、煉瓦の部分を眺めていて…このアーチ部分が気になったのですが…この積み方って…。
戻る時に先ほどの説明書きを再度読んでみないと…と、ここで思いました。
では、戻りますか。
というわけで、先ほどはまともに読んでなかった説明書き。
「アーチ軸と線路とが直交していない七十五度の斜めアーチ」
「長手面が現れる段はスパンドレル面に沿って積まれているのに対して、小口面が現れる段はアーチ軸方向に積んである」
「このような仕上げ方のアーチ橋は全国を探してもきわめて稀なものである」
やっぱりかなりレアな積み方みたいですね…。それに「アーチ軸と線路とが直交していない」って最初に書いてあるし、先ほどのアーチ部分の感じからしてもしかしてここって「ねじりまんぽ」だった!?コンクリの巻き立てで確認しようがないので残念なのですが。
しかも巻き立ては昭和33年と完全に自分が生まれるずっと前なので「もう少し早く来てれば」レベルじゃないですね。(笑)
それどころか両親だってまだ子供の頃…。
上から見るとこんな感じ。
ここから駐車場側の坂を上って戻りました。
来るまでここの存在はまったく知らなかったので(篠ノ井線旧線跡についてもGoogleMapに載ってるからってだけで来たくらいでw)来れて良かったと思います。