続きです。てか、タイトルのものが前編ではほぼ登場してなかった。(笑)
場所はここ、静岡県浜松市天竜区春野町。
(旧)筏戸橋にようやく到着です。
旧道化してからは歩行者自転車用として利用してもらおうと車止めが設置されたようですが、新筏戸橋には歩道はほぼないとはいえ交通量もそんなにはなさそうなせいかこちらを利用する人はほとんどいないのかも。
そもそもこの辺りの地域に歩行者自転車は絶対数が少ないかも…。
現役(車道)だった頃に設置されたと思われる「熊切川」の看板が錆び錆びの状態で残っていますね。
親柱を確認、こちらは「いかんどはし」。
昭和三十二年十二月竣功。
てことは、前編で登場した旧旧橋は20年しか利用されなかったってことですね…切ない…。
昭和の「昭」の字が旧字体?異字体?…この書き方は後日紹介予定の近くにある旧橋でも見られたので(それも訪問先のブログで見て知ったのですが…)でも見られました。
では、渡ります。
最初から写真にチラ写りしてたのでようやくの紹介みたいな感じになりますが、水色にペイントされたコンクリローゼ橋。
コンクリートのローゼ橋は長野県に多くあるようで、私も信州に遊びに行った時に見かけたことがあります。
自分が運転してるんじゃなかったのと、時間があまりなかったのと同行者が道路構造物に一切興味がなかった為に寄れてませんが、次に行った時には是非コンクリローゼ橋を何本か観察して来たいと目論んでますw←未だ実現できてないw
歩行者自転車用になった際にペイントされたのかな?
あと、わかりにくいかもしれませんが路面は赤っぽく塗られてます。
たぶん下流方向を見て撮ったもの。この柵みたいなのも歩道化の際に取り付けられたのかな?
渡りました。
こちら側もさっきと違う形ですが車止めがあるので車で入るのは無理です。
上の写真にも写ってますが、こちらの親柱に施工者名が入っています。
記憶が曖昧だけどこの親柱には竣功年月の銘板もついてた気がする…草にまみれて撮ってないけど…。
で…現地では何も考えなかったけど…これって右から左に書いてあって昭和32年のものとしては違和感があるような?
未だに当時年配の施工責任者の方にとっては左から横書きするのは違和感があったんでしょうか?(妄想)
で、残る最後の1本の親柱ですが…新筏戸橋建設時に路面の高さを調整するために埋まりかけてます。(^_^;)
「筏」という文字の上半分が見えるので、ここには「筏戸橋」と書いてあったのでしょう。
県道側から見る筏戸橋。
もう少し離れた位置から…こちら側の植生が激しくて全体像が見えないですが…。
旧旧橋の主塔も木々に遮られてほぼこちらからは確認することができませんでした。冬場なら少しは見えたりするかも。
この日はこの橋がわりとメイン目的地でしたが、もう少し進んだ先にも気になってた場所があるのでさらに川根本町方面へと向かいます。いつになるかわかりませんが、後日記事にしたいと思います。
→※2022年4月23日追記:記事にしました。