大日トンネル【2020年1月13日】 | Subaru6の休日お出かけ記録

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お出かけして撮ってきた写真を載せていきます。

季節のお花巡りと、道路ネタ??が主になります。

3連休最終日、袋井市までやってきました。

 


静岡県道81号焼津森線(やいづもりせん)、何度もブログに登場した県道で最近ではこの時に登場してますが、特にこれまでの記事とはあまり関係ありません。(^_^;)
ここを森町方面に向かって歩きます。

 


時々この辺りにはこんな観光(?)道しるべが立っています。
ちょっと見にくいけど、私の進行方向(左)は「大日の隧道 約400m 所要時間約6分」と書いてあります。


最初の目的地はその大日トンネルなのですが、「トンネル」じゃなくて「隧道」と書かれているのが気になるんだけど!?

 


大日トンネルまでやってきました。1997年竣工とまだわりと新しい…かな?
平成らしいデザインのトンネルです。


トンネルは特にブログネタにするようなトンネルじゃないですが、その入口手前の矢印のところ…それを見に来ました。

 


西尾只吉と大日隧道(トンネル)
「明治時代の周智郡宇刈村大日は、飯田村や森町との交流がさかんでした。
当時は、荷車で荷物を運搬していましたので、山を越えて、米や茶を運ぶのには大変な苦難を伴いました。
この様子を見てきた西尾只吉(1827~1907)は村人と相談し、隧道(トンネル)を掘ることを計画しました。
明治14年(1881)に工事を開始し、明治17年(1884)に完成しました。
当時、この道は堤ヶ谷新道と呼ばれ、道路の延長は697メートル、幅員2.1メートル、トンネルの長さは115メートルという立派な道路で、地域の人たちから大変喜ばれました。
新トンネルの完成にあたり、郷土の発展に尽くされたことを讃え、ここに銘記するものです。
          平成9年8月 袋井市長 豊田舜次」


…とのことです。(漢数字をアラビア数字にした以外は全文転記)

この辺りの地域に残ってたり残ってなかったりする古い隧道と同じように、明治時代になって他の地域と交流するため、人々や農産物等の行き来がしやすくなるようにという願いをこめて隧道が建設されました。

これだけ読むと1997年まではずっと明治隧道だったように思えてしまいますが(私はこの文章だけでそう感じましたが…)、最初は素掘りの隧道だったものが昭和10年くらいにコンクリート巻き立てされたらしいです。

リンク貼っていいかよくわからなかったので貼ってませんが、素掘り時代と巻き立てた直後頃の写真がネットで見つけられました。

 


現トンネルは広い歩道もあり、歩いて通るにも何の問題もありません。
途中で袋井市と森町の市町境が表示されていました。

 


森町側に出るとすぐにゴルフ場があり、横の駐車場は従業員用の駐車場のようです。

 


袋井側はずっと2車線あったけど、この辺りの県道はちょっとだけ狭くなってます。

ところで、さっきも書いたけど私は最初の頃に見た観光(?)道しるべに「大日の隧道」と書いてあったのが気になっているのです。
今通って来たトンネルは、「隧道」って雰囲気じゃありません。
もしかして、現トンネルのすぐそばに先代の大日隧道が眠ってたりするの?

 


と、思って現地で地図を開いてみました。(笑)
赤い丸のところが大日トンネルです。

 


同じ場所の1950年の地図がこちら。現在と同じ位置に隧道の記号があります。
おそらく、元々の隧道を拡幅して現在のトンネルになってるものと思われます。
ネットで探しても先代の隧道レポが見つからないのもその裏付けになるかな…と。


たぶんですが、観光(?)道しるべは1997年より前から設置されているんだろうと思いました。




おまけです。(笑)


大日トンネルと、近くにあるもう1本の隧道を見て一度車まで戻ってきました。
戻ってきた時に初めてこの「猪注意」看板を見つけました。(笑)


このパターン多いな。いつもはクマだけど。(^_^;)