やふぁらさん | ぶっ飛び沖縄‼︎

ぶっ飛び沖縄‼︎

突然沖縄に引っ越してきました。
楽しいこと、不思議なこと大好きです。


北斗の拳だか
どこの北東の県だったか忘れたけれど
関東圏出身の空手家 兼 漁師。
今年66歳の山田正志さんは
たまたま観光に来た沖縄で
琉球空手にハマってしまう。

それは
沖縄海洋博の年だった。
1979年、昭和50年だから
約45年前ということは
今の沖縄とはまったく違う。

観光地という自覚は
もっともっともっと
ホッともっと後の話だし。

当時、若かった山田さんは
大学の仲間たちと5人で
高い飛行機には乗ることが出来ず
フェリーでやって来た。

本人いわく
自分はチカラが強かったから
それを自慢に思っていた。
不良グループに絡まれると
チカラまかせにブン殴り連戦連勝だし
頭の中がアッパッパで
オッパイが大きくて派手な女の子が好き。
放置された廃墟をメチャクチャに壊すような
バカばっかりやっていたという。

面倒くさい就職なんかしなくても
自分はオヤジの会社を継げばいいから
大学なんかテキトーに過ごせばいい
という、ケンカは強いが
ポーズだけのイタイ男だったらしい。

で、予定は決めず
沖縄ではガマと呼ぶ洞穴に野宿して
魚釣りをし、そこら辺に成っていた
熟したバナナやバンシルーを食べ
お金を節約しながら
行き当たりばったりの旅は
ものすごく楽しかったという。

でね、洞穴にいた
真っ黒に日焼けした山田さんたちを見て
ハブがいるから気をつけなさい
と、ヤマトの言葉をしゃべる小柄なオジイに
言われたものだからビビリまくった。

ハブが毒ヘビだと聞き
ここら辺では、ちょっくらちょっとでは
救急車は来ないし、血清は高くて
そうそう売っていないと
オジイに言われてから宿を探した。



公衆電話から予約して
場所が分かりにくいから
時間はかかったけれど
ウッソーとした森の中に
素泊まりだけだという
そのバカ安い宿はあった。

ボロくて照明が暗くて薄気味悪い。
長い白髪をまとめて、てっぺんにくくった
目がギョロりとした色黒のオバアから
前金で払ってもらう料金は
返金出来ないからねと
念を押されるように説明された。

夕食は食べてきたから
まず、久しぶりの風呂に入ろうと
案内されたのは
あちこち剥がれ落ちている
白いタイル張りの薄暗い
だだっ広い風呂場。

で、膝くらいの浅い風呂。
ああ沖縄はそうなのか、と
勝手に解釈して
ぬるくてもしばらくの間
湯に浸かっていた。

風呂からあがり
せんべい布団を敷いて
早目に寝ると。

暑くて寝苦しいその夜に
ひどくうなされた。
仲間たちに起こされて
どうしたのか聞かれる。

さっきの浅い風呂に
真っ黒な日本兵が浮かぶ。
それが風呂から這い出して
自分たちの部屋に入ってくる。
という内容だった。

いつのまにか冷えたのか
夏なのに震えるほど寒い部屋で
廊下の常夜灯の薄暗い光だけが
建て付けのよくないドアのスキマから入る。
寒さのために仲間たちと固まって
男同士なんだけど
この時だけはイヤも何も無い。
山田さんの話に
怖くて怖くて抱き合っていた。
寒いのは、クーラーが
壊れているんだろうって。

すると、肩を叩かれて
思わず振り返ってみると
銃口を向けた真っ黒な日本兵が
そこにいたんだって。

翌朝、目が覚めて
皆んなが失禁していたのに驚いた。
どうやら全員が日本兵を見たらしい。
布団を濡らしたことを
何も咎めないおばさんにも驚き
ついでにクーラーなんか無い
と、ポツンと言われた。


失禁したことで
すっかり意気消沈した山田さんたちは
なぜ日本兵の幽霊なのかを
何となくだけど
ハブのことを注意してくれた
小柄なオジイと話がしたくなる。

今のような
近代的な建物も無いし
赤瓦の平屋の民家ばかりの
糸満のはずれの漁港に向かう。

まるで、訪ねてくるのを
知っていたかのように
その小柄なオジイは
道端に佇んでいた。

5人の若者たちを自分の家に招き
ここに好きなだけいていいから
その代わりに仕事を手伝いなさい
という言葉に甘える。

毎朝早起きして
漁船に乗って漁に出る。
で、夕方から漁師仲間たちと
酒盛りをしたらしい。

で、
自分たちの体験した怖い話をすると
漁師さんの誰も驚かない。
そこは、もともと病院で
沖縄戦の時には
亡くなった日本兵の遺体を
洗浄するための洗い場があり
それを買い取って
安宿として使っているんだという。

夜だし薄暗い照明で
気が付かなかっけれども。
思わず身震いしながら
山田さんたちは沖縄戦の悲惨さを聞いて
初めて知ることになった。

で、小柄なオジイは
元は、東京で空手をやっていて
いざこざに巻き込まれて
誤って人を死なせてしまった。
で、刑期を終え罪を償ってから
空手の本場の沖縄へ
移住して来たという。

山田さんも
高校生の頃からずっと
部活で空手をやっていたから
いつしかオジイと意気投合していた。

沖縄の空手は
同じ空手なのに
本土の空手とは違う。

沖縄は、空手のエッセンスが
凝縮された " 型 " を中心に稽古する。
そして、その型の動作を
どのように使うのかという型分解を
2人で組んで稽古する。

しかし。
本土では
実際に空手の技を使ったら
人を倒せること、制することが出来る
という面に関心が集中し
組み手偏重の傾向が強い。

だから、内心では
オジイの話は理解出来ず
実際、戦ってみても
なぜ、オジイに勝てないのかも
まったく分からないままだった。


で、大学を卒業し

しばらくしてから

オジイに会いに来た。


お前は、やふぁらさんだ。

正志が弱い理由は
呼吸が乱れているからだ
と、超カンタンに
小柄なオジイから言われたんだって。

ずっーっと、
回りの人から強いと言われて
自分も疑ったことなどない。
意味が分からないまま
腹式呼吸を教えてもらい
瞑想をやるように言われた。

半年した頃に
浜辺で網の手入れをやっていた時に
思わず涙が出て来たんだと。

自分は父の会社を継ぐものと
思っていたのに、実際には
3つ上の姉貴を社長にすえた父から
お前は社長の器では無いから
と、言い渡された時のこと。

昔から、頭のいい姉は
県内一の進学校を首席で卒業し
早稲田大学の経済学部を出て
一流企業へ就職していた。
義理の兄は姉の職場の同僚であり
専務として義父の会社を支える
という。

才色兼備の姉は
ずっーっと引け目に感じていた弟には
とても優しかったから
部長になってほしいと
言われていた。

でも、自分のいる場所など
何処にも無いじゃないか。
と、大学卒業と共に沖縄へ移り住み
漁師になるために
オジイに弟子入りしていた。

走馬灯のように
短いながらも人生の出来事が
頭の中を巡っていた。

あゝ
強い、とはチカラだけだと思い込んで
相手を倒すためだけに空手をやったけれど
空手とは、そうじゃないんだと
腑に落ちたらしい。

家出同然で行方不明になったから
興信所を使って
居どころを調べたお姉さんから
ずっと手紙が届いていたけれど
読まないで引き出しに入れ
放置したままのを開封してみた。

すると、綺麗な便箋に書かれた文面は
姉からの弟に向けられた愛情に
満ち溢れていたから
涙が溢れて来たんだって。

昔からヘタレの弟が
なぜ空手部に入ったのも
姉は分かっていた。
強くなろう、と体力だけで
空手をやっていた。
だから、ポッキリ折れてしまうのを
姉は、ずっと心配していたんだと。

手紙が返送されて来ないだけで
姉は安心していたんだって。
正志は生きている、って。

それから
姉夫婦とは仲良くなり
歳を取った両親と一緒に
毎年遊びに来てくれて
正志さんの空手を見て
驚いていたらしいよ。
勢いだけのガキンチョのケンカから
本格的な空手になったから。

正志さんのお母さんは
正志さんを産んだ時に亡くなっていて
継母さんは、正志さんのことは
自分の責任だと思い込んでいたみたいだけど
誤解を解いてからは
1人で沖縄へ来るらしいよ。
ヤバいくらい元気らしいから。


型を学んで

型を抜けて
さらに超えていく。
最終的には、執着をしない
という最強の型かな。

沖縄空手は
相手がいないと
学べないんだと思った。
倒すための相手じゃないの。
学ぶための相手なのよ。

空手は
中国から伝わった時は
唐手、トーテーと呼ばれた。
日本の読み方の、カラテに
空、を当てたのは
何の武器を持たないという意味の
徒手空拳から来たらしいよ。

武器を持った時点で
自分は弱い
自分にはチカラが無い
と、自ら認めているようなもの。

どっかの国で
空手が流行るのは
もしかしたら自分の持つコンプレックスと
戦うためなのかもね。

何も持たなくても
いいんだよ。
体という宝ものが元気なら
どうにかなるじゃない?
体は元気
頭の中は、やふぁらさん。
柔らかいという意味よ。

型を、一心に続ける。
そのうち頭の中がカラッポになる。
すると、答えが
降って来るんだって。

奥さんも
空手道場で知り合い
無我夢中でアタックしたんだと。
あの時の集中力は
未だかつて無かったみたいよ。

アタタタタッ‼️
やっぱ
やふぁらさん?