執事が1匹 執事が2匹 | ぶっ飛び沖縄‼︎

ぶっ飛び沖縄‼︎

突然沖縄に引っ越してきました。
楽しいこと、不思議なこと大好きです。


今なら
タリラリラ〜ン🎵
と、ラクに行けちゃう軽井沢。
昔から避暑地として名高いけれど
沖縄だって、内地から比べたら
避暑地になる。

埼玉県の熊谷市なんて38度になるし
盆地なだけに熱暑地なんだよ。
かたや沖縄が38度なんて
あり得ないからさ。

今や、軽井沢駅は
埼玉県のカナメ大宮駅から
新幹線🚅で40分あまり。
駅弁を食べ終わって
お茶を飲んでいる頃に到着する。

ダラダラしていたら
通過してしまうにゃ🐈

圏央道が出来てからは
首都高を使わない快適さがある。
高速道路とは言えない低速しか出せない
混み具合と道路の形状。
だいたい平坦で真っ直ぐなところなんて
無いに等しい。

近年は技術の発達が目まぐるしく
関東圏の車での移動が
ホント便利になったから
かつては、あんなに時間がかかった距離が
あっちゅーまに行けちゃう。

東名高速道路とかの
渋滞にハマってしまうと
ダラダラ走らせているウチに
どうしたって眠くなってくる。
寝るな!ここで寝たら死ぬぞー!って
無理矢理に目をコジ開けていた。

昔から比べたら
海老名サービスエリアだって
ずいぶんとキレイに
広くなったし。

どちらかというと
東北道まっつぐの
真人( まひと ) さんの那須の別荘より
当時は遠い道のりなのに
なぜか不彌也さんの軽井沢の別荘へ
行く機会が多かった。

真人さんも
執事の勘解由 ( かげゆ )さんの運転で
お泊まりにやって来たし。
まぁ、私にしてみれば
4人の美形の男たちを鑑賞できる。

あくまで鑑賞までで
色濃い甘い蜜の時間は
なんとなく仲間はずれにされるような
そんな時もあった。



士恩さんの

ハーレーダビットソンのサイドカーには
不彌也さんが乗るのかと思いきや
そうじゃないの。

ハンチングを目深に被り
ヘリンボーン柄のニッカーポッカーズに
乗馬用のジョッキーブーツという
イギリスの正式なスタイルで
高身長と長い足を見せつけて
車にしか
お乗せいたしません。
と、キッパリ。

サイドカーなんて
そんなのくっ付けていたら
バイクの利点の小回りどころか
車と同じような大回りをしないと
いけないような運転になる。

人を乗せなければ
サイドカーを浮かせて
曲がればいいけれどさ。

ヤケにオシャレをしたから
買い物にでも行くのか?
と思ったら
背中の丸まった、おじいちゃんを
迎えに行って来たらしい。
医師免許を持つ勘解由さんに
診せていたけれど。

バカでかい外車より
小回りがきくから、とはいえ
やっぱりハーレーは大きい。
士恩さんも勘解由さんも背が高いから
あまり大きく感じないけれど。

一度乗せてもらって喋っていたら
舌を噛みますよ、と
やたらと凸凹のひどい道を走ってくれた。
私を乗せるのがイヤなら
イヤだと言えばいいのに。
やなヤツめ。

勘解由さんも
同じようなサイドカー付きの
ハーレーダビットソンを持っていた。
学生時代にラグビー部だっただけに
胸板は厚いし肩幅もガッシリ。
2人並ぶと、まるでガンダム。


背中の丸まった老爺は
不彌也さんの前執事だった人。
旅行中、士恩さんと出会った時に
同行していたんだけど。

ある霊能者から紹介されて
執事として入れたのは
不彌也さんの母親の
ほんの気まぐれから。

体のことで
重労働が出来ないなら
ウチにいらしたらいいわ。
他にもお手伝いの人がいるから
という、ひと言だった。

まもなく生まれて来たのが
霊能者の言っていた通りの
光輝いている玉のような男子。
長じるにつれて
不思議なチカラを発揮した。

不彌也さんは
何かの修法をやって
一時的に心臓が止まった。
で、前執事さんは慌てて医者を呼ぼうとした。
大丈夫だよ、と言う声に振り向いてみたら
5歳の不彌也さんは
なぜか肋骨の一部の骨を持っていた。

で、前執事さんは
孫にまで障りがあった家系の宿業を
少しづつ解消することが出来た。
どんな障りかというと
手のひらや足の裏や肋骨のところに
黒いホクロのようなモノが出来て広がっていき
そのまま体の一部分が壊死する奇病。
死ぬことはなく骨が溶けて欠損し
ようやく奇病の進行は止まる。

不彌也さんにより
自分の家系にまつわる忌まわしい
言い伝えが本当だったと知った。
キリシタンを徹底的に弾圧した
大名家の血筋だった事で
かなり恨まれた因縁を持っていると。

磔になったキリストと
同じ箇所に壊死が起こる。
キリストの致命傷となった
肝臓の辺りとか、両手両足に。
前執事さんも片足が義足で
片目が義眼だった。

士恩さんに仕事を
引き継いでから体調を崩して
不彌也さんの計らいにより
別荘から離れた場所にある一軒家に
看護師と家政婦を付けて
静養していた。

時間はかかったけれど
息子や娘たち、孫にまで及んだ
手足の奇病が治ったことを知り
子どもたちへ財産分けをし
某教会の建て直しにも
かなりの私財を投じていたらしい。
 
士恩さんを呼び出して
不彌也坊っちゃまを頼みます、と
深々と頭を下げて
1カラットのダイヤが入った
ネクタイピンとカフスボタンを贈った
と聞いた。

確か、
私がサイドカーに乗った姿を見てから
翌月に亡くなった。


執事の士恩さんは

不彌也さんより9歳年上。

出会った時の不彌也さんは8歳。

つまり、士恩さんが育てたようなもの。


父親は、教授の奥さんに手を出して

東京大学を自主退学し

ヨーロッパを遊学するという名目で

消息不明のまま。

母親は、いわゆる上流社会間の

お付き合いで忙しい人で

お嬢さまのまんま母親になったような

社交的な性格が幸いしてか

家にいないくらい外出していた。


だから。

士恩さんと不彌也さんの

2人きりの時間が多かった。


主従を超えた繋がりは

はるかアトランティスからの

キズナがあったからだろう。


でもしかし。

あのクソ生意気な性格は

誰に似たのかしら?


私の呟きは

士恩さんの耳に止まった。

あなたさまほどでは

ございませんよ。


しまった❗️

明日のオヤツの

ザッハトルテのカットが

小さくなってしまう。

う〜む。


でも、不彌也さんの

誰にでも優しい計らいは

きっと、万事に配慮を怠らない

士恩さんの教えの賜物に違い無いわ✨

( P.S オマケよ )


翌日のランチに

お手製のビーフストロガノフを

ご馳走してくれたのよ。

やっぱ。

褒めて育つのが男子なんだよね。

不彌也坊っちゃまに

召し上がっていただきたいだけで

あなた様はついでですから

と、ツンデレだったけれども。


不彌也さんも真人さんも

勘解由さんまで

嬉しそうにお代わりしていたし

ガーリックバターを塗った

士恩さんの焼いたバゲットだって

モリモリ食べている様子を見て

きっと嬉しかったハズ。



これだけ男がいて

食べられない私ってなんなの?

メシだけ、かっくらっている

男たちの顔を眺めているダケなんてさ。


お互いを見つめる

主従の目線から完全に外されている私…

イヤ、無視に近い。

勘解由さんの注ぐ薔薇色の

タヴェルのロゼワインの向こうに広がる

男だけの濃密な世界。


いろいろな意味で

ご馳走さまでした💢

ゲップ💦