Chris Robinson Brotherhood のアルバムは、もちろんすぐに買って聴いたことは聴いていたが、聴きこむというふうには聴いていなかった。 それが最近、このゆったりした感じが、よくなってきた。またも、クリスの音楽の世界に、やっと自分が追いついたという感じだ。
このライブは、映像は悪いが、音はいい。
最近、わりとよく聴いていたのが、『ショパンのノクターンの17番』だ。wikiによると、17番と18番が、ショパンの生前の最後に出版されたノクターンとのことだが、そのことは、ずいぶん前にどこかで読んで知っていた気もする。
18番は自分の宝物といっていいくらいに好きな曲で、大切に聴いていた。が、最近は17番の方ばかり聴くようになった。18番をあまりに聴きすぎて少しあきてきたせいもあるし、それよりも17番の人生の秋といった雰囲気が、今になってしっくりくるようになったからかもしれない。
ショパンがこの曲を作曲したのは、35歳。出版されたのが、36歳。39歳で死んでいるので、死の4年前の作曲ということになる。
ショパンのノクターンは、どれも素晴らしいのだが、今の自分の気持ちに一番しっくりくるのは、この17番だ。普通にピアノ曲が好きな人なら誰だって好きにならずにはいられない曲だとは思うが、それでも名曲中の名曲、ということには変わりないと思う。
最近は、身体の調子があまりよくない。突然、舌が突き刺すように痛くて、すぐ治るかなと思ってほっておいたら治らず、しかたがないので近所の内科に行ってみてもらったら、ストレスじゃないかと言われた。薬をもらったら、一週間ぐらいして完治した。
ここ数日は、右目が痛くて、やっぱり治るだろうと思って様子を見ていたが治らないので眼科に行った。眼底に炎症ができているとのこと。薬をもらったが、まだ、まばたきするたびに痛い。
ルプーの鎌倉、鎌倉芸術館というので、鎌倉だと思っていたら、大船だった。まあ、大船も鎌倉市らしいが。あと結局、鎌倉のルプーも行くのが難しくなってきた。最後まであがいてみるが、だめかもしれない。またチケットを無駄にすることになりそうだ。
それから他にも、ベレゾフスキーのNHKホールの演奏を取るつもりでチケットを買ったら、全く関係のないNHK交響楽団のチケットだった。チケットぴあのサイトで、ベレゾフスキーで検索して出てきた画面で、座席を確認して、残っていた席の中から、ここでいいやと思う席を買ってみたら違う公演だった。
チケットの返品は、当然ながら無理らしい。好きじゃない曲は、まったく興味がないのだが、まあ気分転換に行ってこようかなと思う。
追加
とりあえずルプーの鎌倉芸術館に行ってきた。年齢層の平均は、かなり高め。50歳は、軽く越えている感じ。それだけ、シニア層が多かった。いつもよりも多い。クラシック、若い人は聞かなくなったのか、というような印象。ポリーニと違って、チケットだってばか高いわけでもないのに……。
イーグルスの東京ドーム公演に行って、自分よりも世代の上の人ばかりだった時のことを思いだした。
ところでルプーの感想。感動したわけではないが、行って良かった。最初の方のシューマン。シューベルトに気を取られて、曲目すら、しっかり確認しないで行った。そしたら、子どもの情景と、色とりどりの小品、というものだった。
この二つが、まったく期待していなかったにもかかわらず、けっこう良かった。
シューベルトの20番は、あらためてすごい曲だなと思った。この曲も、とことん好きな曲だ。双眼鏡で、手の動きを見ながら、やっぱり、シューベルトは病気だったなと思った。簡単に言えば、躁鬱。あるいは、気持ちの揺れの大きさ。早死にしてもしょうがないなと思った。
それから、鎌倉芸術館について、音の良さにびっくりした。サントリーホールと比べると、奥の部分がなくて、脇の部分もない。音の響きを拡散させずに、たっぷりと豊富なまでに観客席に伝えようとする贅沢な作りだと、感心した。
そんなことを思っていたら、休憩時間、ロビーで、鎌倉芸術館、初めてきたけど、音がいいわねと、おっしゃっていた女性が二人。まったく同じ意見だった。
ただ問題点もあった。たぶん風の音。最初、誰か赤ちゃんでも連れてきたのかな、わんわんと子どもが泣いているような声が聞こえると、演奏中に思った。
クラシックのピアノ曲を聴きにくるような人は、まあほとんどが音に関しては病的な感覚を持っている人が多い。気になった人も多くいたはずだ。
これまた、同じ意見を持っていた人がいらして、係のお姉さんにに風の音だろうけど……、とやんわりとコメントを求めていた初老の紳士の方がいらした。そうか、そう言われてみれば、あれは赤ちゃんの声じゃなくて、風の音だなと思った。
休憩が終わって、シューベルトの20番の途中で、かなり、その風の音が聞こえてきた。しつこいくらいに。それも、曲の大切な部分で、聞こえてきた。これは、やっぱり問題はあるだろう。こういうことは、さすがにサントリーホールでは、一切なかった。
演奏会が終わって、外に出たら、いつもよりも強い風が吹いていた。それにしても、あれだけ、ピュー、ピュー、繰り返し風が鳴るようでは、ルプー、クラスの世界的な名手を呼ぶ会場としては、どうだろうかという気がした。
18番は自分の宝物といっていいくらいに好きな曲で、大切に聴いていた。が、最近は17番の方ばかり聴くようになった。18番をあまりに聴きすぎて少しあきてきたせいもあるし、それよりも17番の人生の秋といった雰囲気が、今になってしっくりくるようになったからかもしれない。
ショパンがこの曲を作曲したのは、35歳。出版されたのが、36歳。39歳で死んでいるので、死の4年前の作曲ということになる。
ショパンのノクターンは、どれも素晴らしいのだが、今の自分の気持ちに一番しっくりくるのは、この17番だ。普通にピアノ曲が好きな人なら誰だって好きにならずにはいられない曲だとは思うが、それでも名曲中の名曲、ということには変わりないと思う。
最近は、身体の調子があまりよくない。突然、舌が突き刺すように痛くて、すぐ治るかなと思ってほっておいたら治らず、しかたがないので近所の内科に行ってみてもらったら、ストレスじゃないかと言われた。薬をもらったら、一週間ぐらいして完治した。
ここ数日は、右目が痛くて、やっぱり治るだろうと思って様子を見ていたが治らないので眼科に行った。眼底に炎症ができているとのこと。薬をもらったが、まだ、まばたきするたびに痛い。
ルプーの鎌倉、鎌倉芸術館というので、鎌倉だと思っていたら、大船だった。まあ、大船も鎌倉市らしいが。あと結局、鎌倉のルプーも行くのが難しくなってきた。最後まであがいてみるが、だめかもしれない。またチケットを無駄にすることになりそうだ。
それから他にも、ベレゾフスキーのNHKホールの演奏を取るつもりでチケットを買ったら、全く関係のないNHK交響楽団のチケットだった。チケットぴあのサイトで、ベレゾフスキーで検索して出てきた画面で、座席を確認して、残っていた席の中から、ここでいいやと思う席を買ってみたら違う公演だった。
チケットの返品は、当然ながら無理らしい。好きじゃない曲は、まったく興味がないのだが、まあ気分転換に行ってこようかなと思う。
追加
とりあえずルプーの鎌倉芸術館に行ってきた。年齢層の平均は、かなり高め。50歳は、軽く越えている感じ。それだけ、シニア層が多かった。いつもよりも多い。クラシック、若い人は聞かなくなったのか、というような印象。ポリーニと違って、チケットだってばか高いわけでもないのに……。
イーグルスの東京ドーム公演に行って、自分よりも世代の上の人ばかりだった時のことを思いだした。
ところでルプーの感想。感動したわけではないが、行って良かった。最初の方のシューマン。シューベルトに気を取られて、曲目すら、しっかり確認しないで行った。そしたら、子どもの情景と、色とりどりの小品、というものだった。
この二つが、まったく期待していなかったにもかかわらず、けっこう良かった。
シューベルトの20番は、あらためてすごい曲だなと思った。この曲も、とことん好きな曲だ。双眼鏡で、手の動きを見ながら、やっぱり、シューベルトは病気だったなと思った。簡単に言えば、躁鬱。あるいは、気持ちの揺れの大きさ。早死にしてもしょうがないなと思った。
それから、鎌倉芸術館について、音の良さにびっくりした。サントリーホールと比べると、奥の部分がなくて、脇の部分もない。音の響きを拡散させずに、たっぷりと豊富なまでに観客席に伝えようとする贅沢な作りだと、感心した。
そんなことを思っていたら、休憩時間、ロビーで、鎌倉芸術館、初めてきたけど、音がいいわねと、おっしゃっていた女性が二人。まったく同じ意見だった。
ただ問題点もあった。たぶん風の音。最初、誰か赤ちゃんでも連れてきたのかな、わんわんと子どもが泣いているような声が聞こえると、演奏中に思った。
クラシックのピアノ曲を聴きにくるような人は、まあほとんどが音に関しては病的な感覚を持っている人が多い。気になった人も多くいたはずだ。
これまた、同じ意見を持っていた人がいらして、係のお姉さんにに風の音だろうけど……、とやんわりとコメントを求めていた初老の紳士の方がいらした。そうか、そう言われてみれば、あれは赤ちゃんの声じゃなくて、風の音だなと思った。
休憩が終わって、シューベルトの20番の途中で、かなり、その風の音が聞こえてきた。しつこいくらいに。それも、曲の大切な部分で、聞こえてきた。これは、やっぱり問題はあるだろう。こういうことは、さすがにサントリーホールでは、一切なかった。
演奏会が終わって、外に出たら、いつもよりも強い風が吹いていた。それにしても、あれだけ、ピュー、ピュー、繰り返し風が鳴るようでは、ルプー、クラスの世界的な名手を呼ぶ会場としては、どうだろうかという気がした。
数ヶ月ほど前、押し入れの中に入れっぱなしにしておいた紙袋からCDを取り出した。その紙袋、ある人に何枚かのCDを貸して、返してもらったときのものだが、それをそのまま5年ほど入れっぱなしにしておいたのだ。引越した後も、新しい家の押し入れに、そのまま入れておいた。
それで、その袋の中に入っていたCDというのが、ティル・チューズディの「Welcome Home」で、つまり、そのCDをほとんど聴いていなかったということになる。
袋の中からCDを取り出してみる気になったのは、頭の中で急にティル・チューズディの曲が流れ出したせいで、たぶんこの紙袋の中に入れておいたCDの中の曲だろうと思って、袋の中にあったCDのジャケットを調べてみたら、やっぱりそうだった。
前置きがやけに長くなったが、『No one is watching you now』はティル・チューズディの2枚目のアルバム「Welcome Home」の最後の曲だ。エイミー・マンはその後もいい曲を発表し続けているが切なさという点では、このアルバムの中の「What about love」と『No one is watching now』に勝るものは少ないと思う。
歌詞は、
<No one is watching you like I did.>
考えようによってはストーカー的とも受け取れる歌詞だが、まあエイミー・マンみたいな女性にストーカーされるなら幸せというものかもしれない。
誤解のないように、もう少し歌詞を書くと、
Something has torn me apart
oh but what do I care
about watching my heart
I know that sadness bleeds through
and my sadness for me
is now sadness for you
と続く。
悲しみが、bleedsするという表現をがすごいと思うが、と同時にエイミー・マン独特の強さのようなものも感じられ、すごいなと思う。
私の自分自身に対する悲しみは、あなたへの悲しみに変化した。sadness for you というところが、ちょっと解釈の難しいところだが、別れた相手にたいする、あわれみ、いや、思いやりの気持ち、ということなのかもしれない。
いつも書いているとおり、このブログにアクセスしてくださっている方は本当に少ないので、あまり宣伝にもならないと思うが、田宮亜紀さんという陶芸家の方がいらして、今、代官山で展示会を開いている。
昔の先輩にあたる方と一緒に今日、訪ねる予定だが、もう何年間も展示会があるたびに行っている。値段はけっして安くはないが、とてもいいものがそろっているので、近くにお住まいの方は、ちょっと行ってみたらいいかなと思う。
http://tamiya-aki.com/exhibition.html
それで、その袋の中に入っていたCDというのが、ティル・チューズディの「Welcome Home」で、つまり、そのCDをほとんど聴いていなかったということになる。
袋の中からCDを取り出してみる気になったのは、頭の中で急にティル・チューズディの曲が流れ出したせいで、たぶんこの紙袋の中に入れておいたCDの中の曲だろうと思って、袋の中にあったCDのジャケットを調べてみたら、やっぱりそうだった。
前置きがやけに長くなったが、『No one is watching you now』はティル・チューズディの2枚目のアルバム「Welcome Home」の最後の曲だ。エイミー・マンはその後もいい曲を発表し続けているが切なさという点では、このアルバムの中の「What about love」と『No one is watching now』に勝るものは少ないと思う。
歌詞は、
<No one is watching you like I did.>
考えようによってはストーカー的とも受け取れる歌詞だが、まあエイミー・マンみたいな女性にストーカーされるなら幸せというものかもしれない。
誤解のないように、もう少し歌詞を書くと、
Something has torn me apart
oh but what do I care
about watching my heart
I know that sadness bleeds through
and my sadness for me
is now sadness for you
と続く。
悲しみが、bleedsするという表現をがすごいと思うが、と同時にエイミー・マン独特の強さのようなものも感じられ、すごいなと思う。
私の自分自身に対する悲しみは、あなたへの悲しみに変化した。sadness for you というところが、ちょっと解釈の難しいところだが、別れた相手にたいする、あわれみ、いや、思いやりの気持ち、ということなのかもしれない。
いつも書いているとおり、このブログにアクセスしてくださっている方は本当に少ないので、あまり宣伝にもならないと思うが、田宮亜紀さんという陶芸家の方がいらして、今、代官山で展示会を開いている。
昔の先輩にあたる方と一緒に今日、訪ねる予定だが、もう何年間も展示会があるたびに行っている。値段はけっして安くはないが、とてもいいものがそろっているので、近くにお住まいの方は、ちょっと行ってみたらいいかなと思う。
http://tamiya-aki.com/exhibition.html