ジョリのブログ -25ページ目

ジョリのブログ

ブログの説明を入力します。

 池袋駅で、まあ、ラーメンでも食べてみようと思って、「頑者」というつけ麺の店で、ラーメンを食べた。その後、山の手線に乗ったら、ラーメンに載せてあった鰹節の粉かなんかが喉にひっかかって、咳が止まらなくなった。

 すると、となりに座っていた30代ぐらいの女性が、のど飴でアレルギーとかなかったら、どうぞ、と言って、のど飴をくれた。自分は、ありがとうと言って、その飴をなめたのだが、そんなことをしてもらったことがなかったので、ちょっと感動してしまって、どうして、そんなことをしてくれたんだろと電車の中でずっと考えていた。

 その女性は、田端駅で降りたが、最後にありがとうございましともう一回言いたかったのだが、結局、その女性は、さっと降りてしまって、横顔ぐらいしか見えなくて、何も言えなかった。

 その後、上野駅からグリーン車に乗って帰ろうと思って、上野駅で降りた。グリーン券売機のところで、スイカにグリーン券情報を書き込もうとしたが、そのときに、電車の中に忘れ物をしたことを気づいた。池袋西武のデパ地下で、少し食材を買ったのだが、それを入れたトートバッグを山の手線の網棚に載せたまま忘れてしまったのだ。

 どうやら、あの小さな感動に心を奪われていたので、網棚の上に置いた荷物のことはすっかり忘れてしまっていたのだ。

  

 上野駅のホームで、このままあきらめて家に帰ろうかとも思ったのだが、そうだ、山の手線なら回転しているので、一周して戻ってくる電車を待って、荷物を探したら、見つかるかもしれないと思った。

 それでipadで、山手線の電車が一周するのにかかかる時間を調べたのだが、すると60分ぐらいだと出てきた。 

 上野駅で山手線で着いたのが6時20分ぐらいで、まあ、1時間ぐらいなら、荷物を忘れた山手線を待つのもいいだろうということで、荷物を探すことにした。

 上野駅のエキナカの店で時間をつぶし、その後は、駅のホームで7時10分ぐらいから、電車がやってくるたびに電車の網棚の上に自分のトートバッグがないか、のぞきこんだりして探してみた。

 乗った電車の車両の位置に少し不安があったが、上野駅で降りた場所をおぼろげに覚えていたので、忘れた荷物を置いた電車の車内の場所は、だいたい見当はついた。

 そんなわけで、7時10分ぐらいから、7時半ぐらいまで、10本以上の電車で、荷物がないかと調べた。

 はっきり覚えていないのだが、6時20分ぐらいには、上野駅に着いていたので、山手線の一周が60分として、7時20分ぐらいの電車の網棚の上を、一番可能性が高いだろうとしっかりとチェックしたのだが、残念なことに荷物はなかった。

 山手線の一周の経過時間の60分を過ぎた7時半ぐらいになっても、荷物が見つからなかったので、もうあきらめて帰ろうと思ったのだが、最後にもう1、2本と思って、電車を待って探したら、あった!と自分のトートバッグらしきものを見つけた。

 ところが、なんと、そのバッグ、網棚の上にあったのではなく、池袋駅の構内で、朝、寝転んでいたそうな浮浪者風の小柄なじいさんが、座席に座った膝の上に抱えるようにして、自分が忘れたトートバッグを持っていたのだ!

 上野駅に着いた山手線は、その時間帯はがらがらで、電車の車両の中には、そのじいさんと、数人の人しかいなかった。

 それで、ドアが開いてすぐに、自分はそのじいさんのところに行き、ちょっとぱっと見では、自分のバッグだとは確信ができなかったので、じいさんが座って膝の上に抱え持っているトートバッグの中身を上からのぞきこんでチェックし、明らかに自分のものだとわかると、それ、自分の、とじいさんに言った。

 すると、そのじいさん、なんで置いておくんだ!と逆切れしたように言った。

 電車が駅に止まっている時間はそう長くなかったので、とりあえず、そのバッグを返してもらって、ホームに降りた。

 バッグを返してもらってから、そのバッグの中にじいさんの持ち物があったら、まずいなと思った。そんなことを思って心配していたら、そのじいさん、なんとホームに降りてきた。

 それで、自分は「なんかバッグの中に自分の物はないの?」と訊いた。すると、そのじいさん、「ない」と怒ったように言って、あっちに行ってしまった。

 そしたら、ちょうど電車の中から降りてきた警視庁の制服を着た警官の人がいたので、こんなことがあったんですけど、だいじょうぶですか、と訊いてみた。

 別に、そのじいさんをどうかしてほしいというよりも、なんだかそのバッグを取り上げてしまったことで、じいさんの持ち物が万が一入っていたり、なんかまずいことがあったら、困るなと思って、一緒に確認したかったのだ。

 それで、警官の人に事情を説明して、バッグの中身を調べたが、結局、バッグの中には池袋のデパ地下で買った、食材があるだけだった。

 

 バッグを取り戻したすぐ後で、もしかしたら、そのじいさん、わざわざ忘れ物を見つけて、どこかに届けようとしてくれたのかもしれないなとも思ったが、あの浮浪者風の風貌と、声をかけた時の怒った風な反応からして、そういう心配はまずなさそうだった。

 

 誰もいなくなった電車の中に置いてあった忘れ物を、手にとって持っていたら、なんと、その先の駅で、それ、自分のと、その忘れ物の持ち主があらわれるなんて、そのじいさん、びっくりしただろうなと、思った。

 自分も、まさか探していたバックを、じいさんが持ってるなんて思いもしなかったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブラック・クロウズのクリス・ロビンソンは、まだ若いので除外しておいて、もし、今存命中のミュージシャンで、亡くなったとしたら、一番ショックを受けるであろうのは、ボブ・ディランでも、ポール・マッカートニーでも、ビリー・ジョエルでも、ドン・ヘンリー(ドン・ヘンリーは、あまり好きじゃないが)でもなく、バーズのロジャー・マッギンじゃないかと良く思う。それほどまでに、バーズは、自分にとってなくてはならない特別な存在なのだ。

 でも、その特別なバーズの中心メンバーは、ロジャー・マッギンなんだろうけれども、ロジャー・マッギンの歌声は、ビートルズにおけるポール・マッカートニーの歌のように、ジョン・レノンの歌ほどには、迫力や憂いといった点で少し物足りないものを感じる。

 バーズの初期のヒット曲「ターン・ターン・ターン」を聴くとよくわかるが、バーズの歌の核心を担っていたのは、ロジャー・マッギンではなく、ジーン・クラークだった。

 ジーン・クラークの歌声は、ブラームスの多くの曲と同じように、鬱だったり、頭の中で渦巻いて消化しきれない、もやもやした気持ちなんかを、中和してくれるような、音楽性がある。素晴らし声なのだ。

 

 ジーン・クラークの『No Other』というアルバムは、あまり商業的に成功しなかったにも関わらず、名盤という評価も一部の間ではある。

 このアルバム、ヒットしなかったのもわかる。アルバムを聴いて、全然、良くないと感じる人も多いと思う。だが、このジーン・クラークの歌声にいったんはまってしまったら、他の人には代えがたい、とてつもない魅力があるのも事実だ。

 ジーン・クラークは、なんと46歳という若さで亡くなってしまったが、中年を過ぎて、老年にさしかかろうとする自分には、本当にたまらない歌声だ。

 

 

 

 

  関係のない話。

 今日、わりと近所のスタバに行ったが、店員の人がすごく感じが良くて感動した。素晴らしくトレーニングされていると思った。コーヒーはそれほどおいしいわけでもなく、座席も座った場所がカウンターの堅い座席だったこともあり、座り心地は良くなかったが、あんなふうに素晴らしい接客をされると、コーヒーは値段以上の価値があったと、思った。

 やっぱり、飲食店に限らず、普段の生活でも、そういう愛想の良さは、基本的な生活態度として身につけたほうがいいものだとあらためて感じた。

 実は、そういうことが、うまくできなくて、いちいち落ち込んだり、暗い気持ちになっている弱い人間なのだが、そういうときは、ジーン・クラークでも聴こうと思う。

 

  

 
 

 とりとめのない話。

 最近は、ブルーノ・ワルター指揮のブラームスの交響曲の3番を狂ったように聴いていて、さすがにずっと聴き続けて疲れたので、ブラームスの他の、ピアノ・ソナタとか、その他、もろもろブラームスばかりを聴いていた。

 ところで、そのブラームスの3番と一緒にCDに入っていた、この『アルト・ラプソディ』も、同じように繰り返し、100回ぐらいは聴いていた。

 

 そんなわけで、ブラームスとブルーノ・ワルターというのが、最近の自分の、生活を彩っていた。

 けっこう若い頃、トスカニーニが大好きで、トスカニーニばかり聴いてこともあったが、最近は、ブルーノ・ワルターが好きでたまらない。

 何が好きかといえば、変な言い方だが、顔が好きなのだ。慈愛に満ちた顔をしている。リヒテルもそうなのだが、ずっと見ていて、心地良い顔をしているのだ。

 この前、わりと近くのコストコに行って、レジのお姉さん(おばさんと言った方がいい)、かなり感じが良くていいうれしかったのだが、それと反対に、レジの人もしくはお店の人の接客態度がが感じが悪いと、どんなに良い店でも行きたくなくなるのだ。

 

 すこし話が混乱してしまったが、要はブルーノ・ワルターの顔が好きなのだ。ポスターがあったら、部屋の壁に大きく貼り付けておきたいくらいだ。

 

 

 

 関係のない話。

 

 最近、アマゾンのaudibleというのに試しに入ってみた。これが、本当にいい。何がいいのか?他の仕事をしながら聴けるところ。

 例えば、掃除をしていたり、料理を作っていながらだって、アマゾンのaudibleなら聴くことができる。今まで、活字だと少しおっくうだった、小説も、audibleなら、まっ、いっか、ぐらいの感じで、聞き流すことができる。

 そんなわけで、谷崎潤一郎の細雪やら、夏目漱石のこころやら、水上勉の越前竹人形とか、とりあえず、手当たりしだし、ちょこちょこと聴いてみたが、そのどれも良かった。

 

 それで、まあ、村上春樹のノルウェイの森も、なんとなく聴いてみたのだが、audibleで本を読み上げている妻夫木なんとか、という俳優の声がとてもいい。村上春樹のノルウェイの森を読むのに、まさにぴったりのとてもいい声をしている。これは、ほんとにいいと思った。

 妻夫木なんとかと言って、実は下の名前も出てこなくて、今、googleで検索して、そうか妻夫木聡と言うのかとわかったのだが、この人の出ている映画やドラマも一つも見たことがなくて、電車の中の確か宝くじの広告に出たた人ぐらいしか、知らなかったのだが、この人の、ノルウェイの森の朗読は、憂いもあるし、本当にぴったりでいい。(ノルウェイの森を聴きながら、どうして村上春樹は、こんなにも執拗に性的なことを書きたかったのだろうかと疑問に思ったのだが、どこかの文学部の村上春樹の研究者が、そんな論文を書いているかもしれないが……。)

 それから、ねじまき鳥クロニクルも、藤木直人の朗読で読んでみたが、藤木直人の朗読も、ねじまき鳥には、かなりいいと感じた。

 そんなわけで、amazon、audibleは、とてもおすすめだ。